“「国民」という言葉の不遜”--テレビで、いともお手軽に「国民」という言葉を使う

2009-08-28 | 社会
「新聞案内人」水木楊 作家、元日本経済新聞論説主幹
2009年08月28日
“「国民」という言葉の不遜”の反響に…
 前回、テレビでキャスターやコメンテーターたちがいともお手軽に「国民」という言葉を使うことが気になっていると書いたところ、思いがけなくたくさんの方々から反響がありました。
 「国民に説明しなければなりません」「国民に見えてこないのです」「国民不在の騒ぎではありませんか」といった「国民」という言葉を、みだりに使ってほしくない。国民にもいろいろある。抽象的な「国民」などというものはないのだから、「国民」を葵のご紋のように使ってくれるなというような主旨でした。
 そこで、国民という言葉がこんなに頻繁に登場する国もなかろうと思い、英語の専門家に「国民」はどう英訳するかを尋ねたところ、ぴたっとした答えが戻ってきません。中には、「NATIVE OF~」であるとの答えもありましたが、それでは「~国生まれの」という意味でしかありません。直訳した「NATION PEOPLE」などという言葉はもちろん使いません。
 実は、新聞やテレビでしばしば登場する「わが国」という言葉も滅多に使われません。たまに大統領などが「OUR COUNTRY」などと演説で言いますが、それは相当“大上段”に振りかぶったときのみです。
 いろいろ考えてみるに、「国民」とか「わが国」とかいうのは、第2次世界大戦前から戦中にかけて普及した言葉なのではないか。
 祖父に首相を持ち、国語の変などこかの国の首相は、最初に選挙に出たとき演説会で「しもじものみなさん」とやり、落選したと聞きますが、「国民」とか「わが国」とかの言葉には、自らを少々高みに置いた姿勢が感じられます。
 ついでに申し上げるなら、日本のニュースキャスターは自分のコメントをどんどんしゃべります。自分の影響力をなんとかして行使しようとしているかのようです。
 また、コメンテーターと称する人たちは、できるだけ短い言葉で、印象的な、ときにはどぎつい言葉を発することに腐心しているように見えます。
 2、3度、テレビに出たことがありましたが、ディレクターたちが異口同音に要請してきたのは、「できるだけ毒のあることを言ってください」ということでした。「毒」さえあれば、真実ではなくても結構といわんばかりの口調でした。まことに不愉快になり、以降、出演を止めることにしたものです。
 アメリカ人のニュース・キャスター(あちらでは、アンカーマンと呼ぶことが多い)にピーター・ジェニングスという人がいました。ABCテレビのアンカーマンで、米国で最も影響力のあるジャーナリストとみなされた人ですが、67歳で亡くなりました。
 彼はその著書で「過大にならないよう、控えめに語ることを、いつも心がけている」と語っています。自らの影響力を自覚しているからこそ、控えめに語ったのです。
 彼はそのハンサムな容貌から若い頃、ABC幹部の目に留まり、アンカーマンとして抜擢されましたが、他局に視聴率で負け、中東に左遷されて、事件報道の現場から取材経験を積み上げました。高校卒の学歴のジャーナリストでしたが、地を這うような取材経験が彼を育て、もう一度、ABCテレビに登場したときは、実に穏やかな語り口の冷静なアンカーマンになっていたのです。
 日本のニュースキャスターには、地道な取材経験の乏しい人が多い。ジャーナリストとしては素人です。中には、タレントからの転向組もいる。いろいろなニュースの前で悲憤慷慨してみせる彼らの番組に、信頼を置く気になれないのは私だけでしょうか。

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