公園を歩いている。蒼い空にやさしい雲、そして快い風。

2009-09-10 | 日録

 先週から、また公園を歩いている。夕方5時15分頃から40分ほど。空が美しい。蒼い空にやさしい雲、そして風が実に快い。いつも同じ地点に猫ちゃんがいる。キャットフードを持って歩くようになった。一日一日、日暮れが早まる。散歩の時刻も、少しずつ早めなくては・・・。
 本日はピアノのレッスン。私が一度弾くだけで、あとは先生とおしゃべり。ベートーベンは難しいが、最近痛感することは、曲の長さだ。ベートーベンだけではない。クラシックには、1楽章だけで25分くらいの曲もある。天才が自己の思いを述べるには、これほどの長さを必要としたということだ。だから、これだけの曲を弾くには、弾き手にも、それなりの「力」が要る。聴き手にも、それなりの「力」が要る。
 ベートーベンのソナタ(テンペスト)を弾く。少しずつ少しずつ、ベートーベンの思いが伝わってくるようだ。悲しみが伝わってくるようだ。この人は、既に人ではない。「楽聖」などと言われるが、言い得て妙である。聖域に遊ぶ魂を感じる。この感覚は、モーツアルト(レクイエム)を聴いたときにも痛切に感じたものだ。バッハのパッションを聴いたときにも。音楽が、音楽でなくなる「時」。そういう感覚。丁度、地上を走っていたものが、速度の限界を越えたとき、地上を離れて浮き上がり「飛翔」するような、そんな感覚。人が、人でなくなる。音楽が、音楽でなくなる。
 この手で音符をなぞるとき(弾くとき)、こんな私だけれど、「聖」なる天上の片鱗に連なる。


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