【介護社会】
<俺しかおらんのや>(3) 再び心寄せ合い
中日新聞2009年12月11日
「またやったんか」
夫(61)が仕事から帰宅すると、目に飛び込んできたのは布団に垂れ流された妻=死亡時(56)=の大便だった。「なんで…」。問い詰めたい思いをぐっとこらえた。言っても無駄だと分かっていた。汚れた布団にくるまって妻は素知らぬ顔をしていた。
4年半にわたる入院生活でリハビリトレーニングを受けた妻は、無理をすれば、はいつくばってトイレに行けるはずだった。しかし、妻はベッドわきの簡易トイレで用を足そうとはしなかった。
「ぼっこい(古い)家やった」。自宅隣にアパートが建ってから、室内には昼間でも日光が差し込まなくなっていた。明かりもつけず独りぼっちで一日を過ごす気持ちを思った時、妻の「反抗」の理由が分かったような気がした。近くに空き家ができたと聞いて引っ越しを決めた。
2間だけの小さな家。妻の変化は新居に足を踏み入れた瞬間から表れた。「あー、あー」。部屋に入った妻は言葉にならない声を何度も発した。南向きのガラス戸から柔らかな日差しが差し込んでいた。
寝たきりに近かった妻はベッドから起き上がると、尻をすりながら自由の残る左手を使って、簡易トイレに自分で行くようになった。
さらに大きな変化が待っていた。「お・か・え・り」。仕事から帰宅した男性は耳を疑った。一音ずつをたどたどしく並べただけではあったが、妻は言葉を取り戻していた。
「どうや」
「おいしいよ」
食卓にも会話が生まれるようになった。幼少時に父親を亡くし、仕事で家を空ける母の代わりに家事をすることが当たり前だった男性にとって、料理は得意分野。「何作ったら喜ぶかなあ、とか思うようになっとった」。妻の好物はタケノコご飯だった。春になると勤め先の現場近くにある山に入ってタケノコ採りにいそしんだ。
夏はアイスクリーム。「うわぁ」。買い物袋から好物の「あずきバー」の箱を取り出すと、妻は幼い子どものように喜んだ。
妻の隣で一緒にほおばっていると、過去のわだかまりも一緒に溶けていくように思えた。
「(介護が)えらいなんて思わなかった。二人で生きようって、そう思ってたんや」