放送局は体制の一翼を担っている。ホリエモンに渡すわけにはいかないと、検察は判断したのでしょう

2010-01-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
【正論】評論家・西尾幹二 小沢氏の権力集中は独裁の序章
産経ニュース2010.1.27 02:31
  東京地検特捜部による小沢一郎民主党幹事長に対する事情聴取が終わって、世間の関心は今、刑事責任追及の展開や鳩山由紀夫内閣に与える政治的激震の予測を占う言葉で騒然としているが、ここでわれわれは少し冷静に戻り、小沢問題とは何であったか、その本当の危うさは今なお何であるのかを顧みる必要があると思う。
 ≪国民の声を地方から封じる≫
 小沢氏は最大与党の幹事長として巨額の政党助成金を自由にし、公認権を握り、地方等からの陳情の窓口を自分に一元化し、年末には天皇陛下をあたかも自分の意の儘(まま)になる一公務員であるかのように扱う無礼を働き、近い将来に宮内庁長官の更迭や民間人起用による検事総長の首のすげ替えまで取り沙汰(ざた)していた。つまりこれは、あっという間に起こりかねない権力の異常な集中である。日韓併合100年における天皇訪韓をソウルで約束したり、問題の多い外国人地方参政権法案の強行採決を公言したりもした。一番の驚きは、訪中に際し自らを中国共産党革命軍の末席にあるかのごとき言辞を弄し、民主党議員百四十余人を中国国家主席の前に拝跪(はいき)させる服属の儀式をあえて演出した。
 穏やかな民主社会の慣行に馴(な)れてきたわれわれ日本国民には馴染まない独裁権力の突然の出現であり、国民の相談ぬきの外交方針の急変であった。この二点こそが小沢問題の危険の決定的徴表である。恐らく彼の次の手は-もし東京地検の捜査を免れたら-地方議会を押さえ込み、国内のどこからも反対の声の出ない専制体制を目指すことであろう。
 ≪頼りは検察だけという皮肉≫
 まさかそこまでは、と、ぼんやりゆるんだ自由社会に生きている一般国民はにわかには信じ難いだろうが、クーデターは瞬時にして起こるものなのである。今の「権力」のあり方を考えれば、危うさ、きわどさが分かる。
 鳩山首相が小沢氏に「どうか検察と戦って下さい」と言ったことは有名になった。小沢対検察の戦いのはずが、これは政府対検察の戦いになっていることを意味する。民主党は検察の「リーク検証チーム」を作り、反権力を演じた。民主党は政府与党のはずである。自らが権力のはずである。権力が反権力を演じている。とてもおかしな状態である。いいかえれば今の日本は政府が反政府を演じる「無政府状態」になっていることを意味するのである。
 しかもこの反権力は小沢氏の後押しがあって何でもできると勘違いをしている。天皇陛下も動かせるし、内閣法制局も言うことを聞かせられると思っている。逮捕された石川知裕代議士は慣例に従えば離党することになるが、小沢氏の離党につながるので誰もそうせよと言い出すことができない。小沢氏も幹事長職を辞めない構えである。つまり民主党だけが正しく、楯(たて)突く者は許さないという態度である。こんな子供っぽい、しかも危険な政治権力は今まで見たことがない。
 ≪外交方針の暴走に不安≫
 小沢民主党のここさしあたりの動きを見ていると、独裁体制がどうやって作られるのかという、さながらドキュメンタリー番組を見ているような気さえする。一種の「無政府状態」を作ってそこでクーデターを起こした。それが今展開されている小沢=鳩山政権である。そのようなファッショ的全体主義的体質の政権を、今まで民主主義を金科玉条としてきたはずのマスコミが何とかして好意的に守ろうとするのはどういうわけなのか。今の日本で唯一の民主主義を守る頼りになる「権力」がじつは検察庁であるというのは決して望ましいことではないにしても、否定することのできない皮肉な現実ではないか。以前にもライブドア事件という似た例があった。裁判所が処罰せずに取り逃したホリエモンや村上ファンドを公序良俗に反するとして裁いて自由主義の暴走を防いだのは検察庁だった。
 平和で民主的な開かれた自由社会はつねに「忍耐」という非能率の代償を背負って成り立っているが、自由の余りの頼りなさからときおりヒステリックに痙攣(けいれん)することがある。小泉内閣が郵政選挙で大勝したときも自民党の内部は荒れ果てて、首相の剣幕(けんまく)に唇寒しで物も言えない独裁状態に陥った。自由はつねに専制と隣り合わせている。今度の小沢氏の場合も政権交代の圧勝がもたらした自由の行き過ぎの暴走にほかならぬ。
 ただ今度は自由が専制に切り替わったとき、中国や朝鮮半島の現実を無媒介、無警戒に引き受ける外交方針の急展開を伴って強引な政策として推し進められる恐れを抱いている。それが米国に向いた小泉内閣の暴走とまた違った不安を日本国民に与えている。
 農水大臣は韓国民団の新年会で外国人地方参政権の成立を約束した。幹事長代行は日教組支持を公言し、教職員に政治的中立などあり得ないとまで言っている。もし小沢氏の独裁権が確立されたなら、日本は例を知らない左翼全体ファッショ国家に急変していくことを私は憂慮している。(にしお かんじ)
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▲そのようなファッショ的全体主義的体質の政権を、今まで民主主義を金科玉条としてきたはずのマスコミが何とかして好意的に守ろうとするのはどういうわけなのか。今の日本で唯一の民主主義を守る頼りになる「権力」がじつは検察庁であるというのは決して望ましいことではないにしても、否定することのできない皮肉な現実ではないか。以前にもライブドア事件という似た例があった。裁判所が処罰せずに取り逃したホリエモンや村上ファンドを公序良俗に反するとして裁いて自由主義の暴走を防いだのは検察庁だった。 〈西尾幹二=評論家〉『小沢氏の権力集中は独裁の序章』
◆マスコミは「カネ儲けするためなら、なんでもやっていいという風潮を正すために、ホリエモンを生贄にした」なんていう論調でしたが、検察がそんな迂遠な動機で、立件するとは考えられません。
 ニッポン放送の乗っ取り、ひいてはフジテレビへの影響力を行使しようとした。あれが検察にやる気を出させたのです。放送局は体制の一翼を担っている。ホリエモンのようなうろんな輩に天下の放送局を渡すわけにはいかないと、検察の上層部は判断したのでしょう。
 結局、表には出てこなかったけれど、ホリエモンや村上が裏社会とのつながりがあったことも否定できない。
 村上が動かしていたカネは、バブル時代の仕手筋よりはるかに巨大です。バブル時代の仕手グループの資金総額は、せいぜい300億~500億円と言われている。村上ファンドが動かしたのは、その約10倍にあたる4000億円を超える巨額とされている。
 まとまったカネを用立てられるのは、アングラマネーしかありません。政治家や裏社会のアングラマネーが、村上ファンドに流れこんでいたのは間違いない。
 氷山の一角として日銀の福井俊彦総裁の小遣い稼ぎが露呈したけれど、あんなものじゃない。アングラマネーを使って、比べものにならないくらい大もうけしている連中がいるわけです。でも、検察はそこまでは斬り込んでいない。
 引っ張って濡れ衣を着せるのも悪いけれど、肝心なやつは見逃す。検察の国策捜査の一番の問題点はやっぱりここにあると思います。〈田中森一=元特捜検事・弁護士〉
◆暴走をし始めた検察
 僕はそこが一番の問題じゃないかと思う。検察内部の独善で国策捜査のあり方が決まっていきかねないところが----。
 政治家が検察をコントロールする手段としては、指揮権がある。法務大臣を通じて検察庁のトップ、検事総長のみを指揮できる。しかし、現実には指揮権なんてあってなきがごとしで、発動できるものじゃない。下手にそんなものを振り回すと世間から袋叩きに遭う。
 現に、1954年に吉田内閣で、犬養健(たける)法務大臣が、造船疑獄に際して時の自由党幹事長佐藤栄作の逮捕をしないよう指揮して以降、発動されたことは一度もありませんからね。
 言い換えれば、事実上、検察を誰もコントロールできない。最近とみに検察ファッショだという非難が高まっていますね。これは、国策捜査と称して、検察が自分たちの独善を通したのでは、と思える冤罪事件が増えてきたからですよ。
 僕はいまやすっかり時の人となった佐藤優にインタビューしたことがある。外交官だった佐藤は、2002年5月、検察に背任で逮捕された。彼は、取り調べのはじめの段階で、担当の西村尚芳検事から、「君は勝てっこない。なぜならばこれは『国策捜査』なのだから」と宣告されたそうです。
 彼らの言う国策とは鈴木宗男の政治生命を潰すことだった。疑惑のデパート、鈴木を悪の権化に仕立て上げて。
「鈴木は外務省の表と裏をあまりにも知りすぎた男なので狙われたのだ」と佐藤はきっぱり言っていましたよ。その道連れにされたのが自分だと。
 外務省きっての論客だった佐藤は、連日、西村検事に論戦をしかけた。そのときに西村が何度も言ったのが、「時代のけじめをつけるため」という言葉だった。
 僕は、この言葉が、今の検察の驕りを象徴しているように感じる。今の検察は、「俺たちが時代をつくるんだ」と言い放つほど思いあがっている。
 選挙で国民の信を受けた政治家でもない検察が、与えられた強大な権力を背景に時代をリードしようとする---この検察の暴走を誰も止められないのが恐ろしいと思います。〈田原総一朗〉 『検察を支配する「悪魔」』

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