マル暴刑事が見た「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザの冷酷 2022/1/30『デイリー新潮』

2022-02-01 | 死刑/重刑/生命犯

6人殺害、1人行方不明…マル暴刑事が見た「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザの冷酷
 1/29(土) 6:01配信 デイリー新潮
「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザがいた。前橋スナック銃乱射事件の指示役として死刑を宣告されたのち、獄中から2件の殺人を告白した矢野治・元死刑囚(享年71)である。最後は、東京拘置所で自ら命を断った。彼が関与した殺しは判明しているだけでも4件6人。警視庁で40年間、ヤクザを追いかけ続けてきた“マル暴刑事”が矢野・元死刑囚と対峙した日々を振り返る。(文中、一部敬称略)

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始まりは斎場だった
「最初は親分のため、組のためという任侠心を持った男だと思っていました。でも、その後、彼の周りで起きた数々の事件を調べていくうちに見方が一変した。保身ありきで、自分に不都合な人間は誰であろうと次々と消していく恐ろしい人間なのだと」
 こう振り返るのは、2018年に警視庁組織犯罪対策部の管理官(警視)を退官した櫻井裕一氏である。櫻井氏は40年間に及ぶ在職中のほとんどを、暴力団事件担当、通称“マル暴”一筋で歩んできた。昨年、「マル暴 警視庁暴力団担当刑事」(小学館新書)を上梓。著書の中でボリュームを割いて振り返っているのが、矢野抜きには語れない「稲川会vs.住吉会の抗争事件」である。
 一連の事件は、01年8月、東京都葛飾区の四ツ木斎場で起きた発砲事件から始まった。住吉会住吉一家向後睦会の幹部の通夜に潜り込んでいた稲川会系組員の二人が、参列していた向後睦会会長の熊川邦男、住吉会滝野川一家総長の遠藤甲司らに向かって拳銃で発砲したのだ。熊川と遠藤は死亡。住吉会によって確保された実行犯二人は、その日のうちに警察の説得により引き渡され、逮捕された。
「すぐさま両組織のトップ会談が開かれ、稲川会側は実行犯が所属していた大前田一家総長の小田建夫の絶縁、大前田一家の取り潰しを提示して、手打ちになりました。ただ、警察が実行犯二人のみを起訴して、その上まで捜査が伸びなかったため、住吉会側に大きな不満が残る結果となってしまったのです。しかも、絶縁処分を受けた大前田一家も、地元で活動を続けていた」

病院の窓を割って発砲
 その不満を一手に引き受け、大前田一家への“返し”を企てた人物こそ、住吉会幸平一家矢野睦会組長の矢野治であった。矢野は翌年2月に大前田一家の縄張りのある群馬県前橋市に配下の組員を派遣。組長宅に向けて拳銃を発砲、爆弾をしかけるなどの報復を企てた。だが、いずれも失敗に終わった。
「矢野は配下の者たちに『次はバズーカ砲を使う』と語っていたくらい狂気じみていた。この返しの失敗が、内ゲバのような殺しへと発展するのです」
 02年2月下旬、日本医科大学付属病院(東京・文京区)で、入院中の暴力団幹部が二人組の男たちに拳銃で襲撃され、死亡する事件が発生した。被害者は、住吉会幸平一家石塚組組長の石塚隆。二人組は、ICUのある部屋の窓を外からハンマーで割り、窓から半身を乗り出すようにしてベッドに寝ていた石塚めがけて4、5発発砲して殺害した。石塚は前日、豊島区要町の路上で数人の男に囲まれ、拳銃で撃たれ重傷を負ったため病院に担ぎ込まれていた。二度も石塚を襲わせ、息の根を止める指令を出した人物こそが矢野だった。
 石塚は大前田一家への報復作戦の行動隊長だった。襲撃に失敗した石塚はこのままでは矢野に殺されると考え、警察に出頭する準備を進めていたのである。それを察知した矢野が配下の人間に石塚を始末するよう命じたのだった。
「口封じのためです。最初はさらった後に埼玉県の山中に埋める計画で、事前にその穴まで掘らせていた。だが、スタンガンを打ったものの石塚が暴れたため、仕方なく弾いてしまったのです。病院に駆けつけたのも、石塚が何か喋っていないか不安で仕方がなかったのでしょう」

「これはゲームだ」
 この時、櫻井氏は駒込署の暴力犯捜査係の警部補だった。
「私が現場に臨場したのは、石塚が病院に担ぎ込まれた直後のことです。暴力団員が拳銃で撃たれて、組関係者が病院につめかけて大変なことになっているというので、現場の整理のために向かいました。その人だかりの中で、初めて矢野に会った。毛皮のコートを着ていたような記憶があります。この時点では、石塚を殺すよう指示した人間だとは知りません。むしろ矢野は、身内の人間として現場に駆けつけていました」
 矢野の様子はおかしかったという。
「病室の様子を見てきた私に対し、『あいつ何か喋っていますか』と聞いてきたので、『何も喋っていない』と答えた。すると、ホッとしたような表情を見せたのです。後でわかったことですが、矢野は私と会った後、見舞いを装って病院関係者から石塚が治療を受けているベッドの位置を聞き出し、実行犯らに襲撃するよう指示を出していました」
 すぐに、身内の口封じで事件が起きたという情報が集まり、警視庁は実行犯を割り出した。だが、一人を別件で逮捕するなどはしたものの、本件は詰めきれないままだった。そんな中、抗争は激化。とうとう関係のない一般市民が巻き添えになる、おぞましい事件が起きてしまったのだった。
 03年1月に発生した前橋スナック銃撃殺傷事件である。午後11時過ぎ、前橋市内スナックに二人組の男が乱入。店内には大前田一家系の組長がいたが、男らは他の客も含めて無差別に発砲し、市民3人が死亡した。組長は左腕に銃弾を受けたものの命に別状はなかった。
「石塚を使って失敗続きだった返しを完遂しようと、矢野が再び、別の配下の人間を使ってやらせたのです。犯行直前、実行犯は矢野に電話をかけ『スナックに他の客がいますがどうしますか』と相談していました。それに対し、矢野は『中にいる奴は全部、相手の仲間だ。これはゲームだから、深く考えず、やっちまえ』と指示していた」

「トカゲの尻尾切りではダメですよ」
 今回はただのヤクザの抗争事件では済まされない。未解決だった日医大病院事件とともに、群馬県警と警視庁は総力を挙げて捜査に乗り出した。最初に解決したのが日医大病院事件だった。前橋の事件が起きた3カ月後の02年4月、警視庁組織犯罪対策部4課は、実行犯である幸平一家系組員Aを職安法違反の容疑で逮捕した。この時、駒込署から本部組対4課に異動していた櫻井氏は、Aの逮捕、取り調べを担当した。
「Aが池袋界隈で、違法に人夫出しをしていたことを固めたうえでの別件での逮捕でした。もちろん、本丸は日医大です。矢野は弁護士を通してAに戦国武将・荒木村重の伝記を差し入れてきました。荒木が織田信長に謀反を起こした際、荒木の妻子や荒木側についた重臣の家族が皆殺しにされています。『裏切れば身内を含めて皆殺しにするぞ』とも取れる脅迫のメッセージでした」
 Aは最初「俺は言いませんよ」と口をつぐんだ。だが、櫻井氏が根気よく向き合い続けると、最後は「私がやりました」と涙を流して告白した。
「Aは根っからのヤクザ者でしたが、次第に自分の犯した罪の重さに気づき、最後に真人間に戻ることができたんです。彼は『トカゲの尻尾切りだけではダメですよ』と私に言いました。実行犯だけでなく、ちゃんと上の指示役まで捕まえてくれと。そもそも一連の事件は、四ツ木斎場での銃撃事件で警察が実行犯のみを逮捕したことにあります。捜査本部は指示した上の者も罪に問おうと懸命に努力したのですが、証拠が固めきれなかった。しかし、矢野ら住吉会側からすれば、俺たちはやられっ放しで、向こうは野放しじゃないかと不満に思ったのです。勇気を持って罪を告白したAのためにも、私たちは事件の全面解決を誓って捜査を続けました」

獄中からの告白
 Aの供述通り、犯行に使われた銃器も出てきて証拠は固まった。警視庁はAら実行犯と指示役の矢野を日医大事件の殺人容疑で逮捕した。さらにAの供述から前橋事件の実行犯がフィリピンに逃亡していたことも判明。矢野は前橋事件でも、実行犯とともに群馬県警に再逮捕されたのだった。こうして一連の抗争事件は解決した。だが、これで終わりとはならなかった。
 矢野に死刑判決が下った後の16年5月、週刊新潮で〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白〉という記事が掲載される。それは、これまで世に出ることはなかった、20年以上前に矢野が犯した「殺人の告白」であった。
 矢野は誌上で、96年に行方不明になっていた不動産業の津川静夫さんと、98年に詐欺事件「オレンジ共済組合事件」に関与し行方不明になっていた不動産ブローカー・斎藤衛さんの二人を、「自分が殺して埋めた」と自ら打ち明けたのだ。週刊新潮取材班は、遺体を埋めた元暴力団関係者にも接触し、遺棄現場を特定。その後、警視庁が捜査に乗り出し、二人の白骨化した遺体が発見された。組対4課の管理官になっていた櫻井氏は、この事件も担当することになった。
「矢野が突然、告白を始めたのは、罪を悔いたからだとは思っていません。その証拠に、彼は公判では一転、無罪を主張し出すなど矛盾した行動を取っていました。彼は前橋事件、日医大病院事件ですでに死刑判決を受けており、新たな裁判を起こして公判を長引かせて、その間、執行を免れたかったのでしょう」

指が2本しか残っていなかった手
 だが、矢野の目算は外れる。19年1月、東京地裁は矢野の告白や公判での否認は「死刑執行の引き伸ばしが目的」と指摘したうえで、証拠が乏しく犯行を認定できないと無罪判決を出す。検察も控訴せず、裁判はすぐに終了してしまった。翌20年1月、矢野は東京拘置所で鋭利な刃物で首を何度も切りつけ、出血多量で自死した。
「シノギのためならカタギも殺める。保身のためには身内も口封じする。思い通りにならなかったら自殺です。どこまでも自分本位な人間でした。矢野は人差し指と親指しか指が残っていなかった。こんなヤクザに今まで会ったことはありません」
「平成の殺人鬼」と呼ばれた矢野が殺害した人は、判明しているだけで6人を数える。だが、櫻井氏はまだ被害者は眠っているはずだと語る。
「矢野の金庫番のようなことをしていた当時40歳くらいだった男が、行方不明になったままです。彼も口封じされたのではないかと考えています」

櫻井裕一(さくらい・ゆういち)
元警視庁警視。東京都出身。1977年に警視庁入庁後、各階級において一貫して組織犯罪対策に従事。反社会的勢力集団、外国人犯罪集団、違法薬物犯罪集団等、組織的に行われる数々の凶悪事件、詐欺事件、薬物事件、企業恐喝事件等の現場に対峙し、解決への対応指揮を行う。日本屈指の繁華街を管轄する新宿署、渋谷署で組織犯罪対策課の課長も経験。2018年、警視庁警視にて組織犯罪対策部組織犯罪対策第4課で退官。2020年に同じ志を持つ仲間とSTeam Research & Consulting株式会社を設立、現職。

   デイリー新潮編集部

最終更新:デイリー新潮

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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◇ 永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(10)警視庁が捜索を始めた死体遺棄場所『週刊新潮』2016/3/17号
◇ 永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(9)カタギ「津川静夫」さん殺害の背景 『週刊新潮』2016/3/10号 
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◇ 永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(8)10億円利権でカタギを手に掛けた 『週刊新潮』2016/3/10号

     
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◇ 永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(7) 遺族証言と一致 実行犯・秘密の暴露『週刊新潮』2016/3/3号
◇ 永田町の黒幕を埋めた矢野治死刑囚の告白(6)「斎藤衛」とは別の、もう一つの殺人『週刊新潮』2016/3/3号
◇ 永田町の黒幕「リュー一世(斉藤衛)」を埋めた矢野治死刑囚の告白(5)『週刊新潮』2016/3/3号
◇ 矢野治死刑囚の告白 (3)(4)結城実氏「リュー一世(斉藤衛)を遺棄した経緯」週刊新潮2016/2/25号
◇ 永田町の黒幕「リュー一世(斉藤衛)」を埋めた矢野治死刑囚の告白(1)(2) 週刊新潮2016/2/25号
◇ 「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の矢野治死刑囚が警視庁に文書提出 平成26/9/7付
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