矯正不妊 2件目 賠償命令 東京高裁 2022.03.11

2022-03-12 | Life 死と隣合わせ

強制不妊、東京高裁で2件目賠償命令 判決要旨
 中日新聞 2022年3月12日
 旧優生保護法(一九四八〜九六年)下で不妊手術を強制されたのは憲法違反として、東京都の北三郎さん(78)=仮名=が国に三千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は十一日、請求を退けた一審判決を変更、旧法を違憲と判断して千五百万円の賠償を命じた(判決要旨)。二月の大阪高裁判決に続き、国への賠償命令は二件目。各地の訴訟や被害救済の議論に大きく影響しそうだ。
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 不法行為から二十年がたつと損害賠償の請求権が消滅すると定める民法の「除斥期間」適用の是非が争点だった。平田豊裁判長は、旧法の立法目的を「差別的思想に基づくもので極めて非人道的だ」と指摘。起算点は「手術時」と判断し「期間の経過だけで請求権を消滅させるのは、被害の重大性に照らし著しく正義・公平の理念に反する」と述べ、適用を制限すべきだとした。
 その上で、国が被害者救済を定めた「一時金支給法」の施行日の二〇一九年四月二十四日から、五年間が経過するまでは「猶予期間を与え、除斥期間の効果は生じないとするのが相当」と判断した。
 北さんは宮城県の児童福祉施設に入所していた十四歳のころ、説明がないまま病院で手術を受け、約60年後の18年5月に東京地裁に提訴した。平田裁判長は法廷で北さんに「人としての価値が低くなったものでも、幸福になる権利を失ったわけでもありません」と語り掛け、「差別のない社会をつくるのは、国はもちろん、社会全体の責任であると考えます」と述べた。

「感無量」78歳の涙、抱えた罪悪感 強制不妊控訴審、賠償勝ち取り
 中日新聞 2022年3月12日
 なぜ自分はこんな体にされたのか−。旧優生保護法を巡る訴訟の原告北三郎さん(78)=仮名=は十一日、東京高裁判決で国の賠償責任が認められると、法廷で涙を浮かべ、傍聴席に向かって何度も頭を下げた。十四歳のころ、不妊手術を強いられてから六十数年。既に他界した妻には長年手術のことを打ち明けられず、罪悪感を抱えて生きてきた。判決後の記者会見では「夢にも思っていなかった。感無量だ。一生ない喜びです」と感極まった。

 「ちょっと病院に行こう」。1957年春、施設職員に連れ出された。「どこも悪くないのに」といぶかった。全身麻酔でうとうとしていると、医者が下腹部に何かをしているのが見えた。「子どもが生まれなくなる手術だ」。訳が分からなかったが「大人になってお金を出せば治る」と信じ込んだ。

 中学卒業後、東京で運送関係の仕事に就いた。20代後半に年下の妻と結婚。温泉巡りが共通の趣味で、週末には福島や新潟、長野へ足を運んだ。
 ただ、30代にもなると親戚には「まだ子どもができないのか」と言われた。妻が他の子をいとおしそうにあやしている姿に、涙したことも。何度も手術のことを話そうと思ったが「離婚されたら…」とためらった。
 2013年5月、妻が骨髄性白血病と判明。既に手遅れだった。死の直前の病室で、初めて手術のことを打ち明けると、妻は「ご飯だけはちゃんと食べるのよ」と言い残し、この世を去った。

 約4年前、旧法を巡る訴訟の新聞記事を読み、初めて自分の被害を知った。当時の手術記憶はなかったが、医者に手術痕を見せて意見をもらい、提訴に踏み切った。

 11日、妻が好んだ「梅」の造花を携えて法廷に臨んだ北さん。「国を相手に一人では何もできなかった」。周りには支援者らの輪ができていた。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載引用、及び書き写し(=来栖)
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