新幹線殺傷事件(2018/6/9) 両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで

2018-06-21 | 死刑/重刑/生命犯

《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで
週刊女性2018年7月3日号
2018/6/20
 画像;中学入学時の小島一朗容疑者
「お前、将来どうしたいんだ、やりたいことはないのか、と聞くと“俺は死ぬんだ”“生きる価値はない”と言うんです」
 そう語るのは、新幹線のぞみ通り魔殺傷事件を起こした無職・小島一朗容疑者(22)と同居していた伯父(容疑者の母親の兄=57)だ。一朗容疑者は、養子縁組した祖母(82)の家(愛知県岡崎市)で、伯父夫婦も含め4人で暮らしていた。
「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」(伯父)
 まさに嫌なことから逃げるための言い訳ばかり。
■「ホームレスになりたい」
 言い訳番長ともいえる自分に甘い逃げの発言だが、祖母は、「死にたい、絶望だとかよく言っとった」と証言。母親も事件後に出した声明文に、《自殺をほのめかしていました》と記している。生きることに投げやりで絶望した容疑者を、周囲は誰も救えなかったのか。
 事件は、6月9日午後9時45分ごろ、東海道新幹線東京発新大阪行き「のぞみ265号」の12号車で起きた。
 13号車で事件に遭遇した落語家、桂ぽんぽ娘(38)は、先週開催した落語会『第2回ちよりん・ぽんぽ娘二人会』の冒頭で、「突然、12号車からキャーという悲鳴」「逃げてきた人が連結部分でドミノ倒し」「通路が血まみれ」などと生々しい様子を明かした。
 小島容疑者は突如、ナタと果物ナイフで、隣に座っていた女性2人に襲いかかった。騒ぎに気づいた梅田耕太郎さん(38)が助けに入ったが、切りつけられ命を落とした。
「誰でもいいから殺そうと思った」と供述しているという小島容疑者が、職場や自宅から姿を消したのは昨年12月21日のことだった。
 昨年11月から、岡崎市内の就労支援施設で働いていたのだが……。
「12月20日に、仕事を辞めたい、ホームレスになりたいと言い出しました。(辞める)意志は固いようで、じゃあ明日話そうと。それきり来なくなりました」(同施設職員)
 祖母には「仕事を続けられない自分が恥ずかしい。旅に出ます」と告げ、“4度目となる最後の家出”を決行する。
 警察の取り調べでは、事件直前まで長野県でホームレス生活を送っていたという。そして身内の前から姿を消した半年後に、凶行に及んだ。
■言い訳グセがついた中学時代
 事件について実父(52)は、
「許されない、取り返しのつかないことをしてしまい本当に申し訳なく思っています」
 そう謝罪を口にする。親子関係は、非常に悪かった。
「言うことを聞かず、子どものころは手をあげることもありました。中学になり、成績の悪い教科について、もっと頑張らないといけない、と話すと“〇〇君のほうが悪い”と返す。何度話しても平行線で、最終的には“僕はドベじゃないんだ”と泣き出す。
 中学では剣道部で、2年のときに1級に昇級したんですが、検定の後に“やめていい?”と言うんです。3年までやるのが部活だと言いましたが、遅刻するようになり、部活の先生から電話がかかってきていましたが、最終的には“練習の日を誰も教えてくれない”と行かなくなった。
 中3になると“授業がわからない、友達がいない”と学校に行かなくなった」(実父)
 自身の非を認めない言い訳癖はこのころからだった。親子関係、友人関係も希薄になる中、卒業式も欠席した。
「妻が自立支援施設で働いていましたから、中2ごろから連れて行っていた。卒業後は家を出て、自立支援施設に住むことになりました」(実父)
 定時制高校に進学し、卒業後は職業訓練校に進んだ。
 同施設の代表は、
「高校と訓練学校の計4年間住んでいました。トラブルは一切なく、お母さんも働いていますから、一生懸命フォローしていましたよ。高校の成績はオール5で、4年のところを3年で卒業しました」
 事件後、母親は憔悴し、
「“私は生きていてもいいのでしょうか”と。お姉ちゃんは、“一朗はここにいたときがいちばん幸せだった”と言っていました」(同代表)
■祖母との生活を希望
 2015年4月から小島容疑者は、機械のメンテナンスを行う会社に就職。同年8月に愛媛県へと配属された。
「仕事はできるほう。同期の人にも教えていましたから」
 と同社社長。同年9月の法事では、充実の表情を見せていたという。実父が振り返る。
「給料で服を買いました、時計を買いましたとうれしそうに話をしていました。帰り際に、駅でお小遣いに5000円を渡しました。ありがとうと素直にもらってくれてうれしかったのを覚えています」
 だが会社は11か月で退社。地元である愛知県一宮市へと戻ってきた。アパートを借りひとり暮らしを始めたが、貯金は半年で尽き、
「最後はガスも電気も止められていた」(実父)
 そのころ、小島容疑者は父親に「僕は寝る場所があり、ご飯を食べられればいい」と漏らしていたという。とはいえ、それ以外のコミュニケーションを図ることはできず、
「当初は岡崎の祖母宅の近くのアパートを借りる予定でしたが、一朗はそれに納得できず1回目の家出をしてしまったのです。交渉窓口は祖母のみで、祖母と一緒に住むことが、一朗の希望でした」(実父)
 祖母の家での同居生活は、'16年10月ごろから。伯父は、
「ひきこもりがちになってね。家出中、祖母に6000円の掛け時計を送ってきたことがあるんです。家出に使った自転車のチェーンが切れていたのに修理せず、 “おばあちゃんにプレゼントすると約束していたから”と。時計を買ったお金は祖母からもらったお金なのに、ですよ」
■無関心で愛情がない両親
 容疑者本人の考えはとにかく自分勝手で、アスペルガー症候群と診断されたためか、伯父にはこう打ち明けていた。
「“俺は障がい者なんだ。障がい者手帳を取得して就職するんだ”と言うんです。“俺には権利がある、障がい者枠で働くんだ”と。そんなこと、できるかどうかわからないのに。権利を主張するのに、義務を果たさない。5歳の子どもと同じです」
 だが一家を知る関係者は、
「伯父も“出て行け”など乱暴な言葉を使っていたと聞いている。感受性の強い子だったようで、うまくいかないたび家出を繰り返していました」
 昨年9月頭、精神科に入院中の小島容疑者から親元に手紙が届いたことがある。
「助けてください、といった内容です。だから私たちは養子縁組に踏み切った。一朗が逃げずに堂々と生活できるようにするにはそれしかなかった。一朗も喜んでいた」(実父)
 だが、話し合いの輪からはずされた伯父は激怒した。
「私が知らない間に、母(一朗の祖母)と養子縁組をされていました。母が死んだら、一朗はどうする。俺は絶対に面倒はみないと言ったんです。妹(容疑者の母)も父親も無関心で、愛情がないんです」
 と伯父は小島容疑者の両親の育て方に疑問を投げかける。
 母親は、週刊女性の取材にメールで「私がどんなに一朗を思って行動していたか私は恥ずかしくないです」「真相はいつかわかるので今は耐えるしかないです」などと返信。反論を控えた。
 身勝手な犯行に、身内の言動はどう影響したのか。小島容疑者はどのような言い訳をするのか。公判を待ちたい。

 ◎上記事は[週刊女性PRIME]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
 多くの犯罪は、それが加害者の養育環境に根ざしていることを物語っているが、この事件も違わない。
 * 【宮崎勤死刑囚~家族の悲劇 被害者の陰、地獄の日々 父親自殺 改姓 離散】 2006,1,18 坂本丁次 
 * 土浦8人殺傷事件公判 金川真大被告の父親に対する証人尋問 1
 * 土浦8人殺傷事件公判 金川真大被告の父親に対する証人尋問 2
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新幹線3人殺傷から10日 「長野滞在中に犯行決意」「人殺す願望あった」 神奈川
新幹線殺傷事件、容疑者の留置所での様子 「修学旅行のよう」
2018年6月20日 7時10分 産経新聞
 JR東海道新幹線で男女3人が刃物で殺傷された事件で、殺人容疑で送検された愛知県岡崎市の無職、小島一朗容疑者(22)が「自殺するつもりで家出したが、長野滞在中に犯行を思いついて決意した」との趣旨の供述をしていることが19日、捜査関係者への取材で分かった。
 事件は発生から10日が経過。数十カ所にわたって男性に切りつけるなど強い殺意がみられる一方、留置場での様子を知る関係者は「中学生が旅館に泊まっているような雰囲気」と証言。動機には不可解な点も多い。(宇都木渉、河野光汰)
*突然の怒声
 土曜夜の惨劇は、車内に響き渡った「この野郎!」という怒声から始まった。
 9日午後9時45分ごろ、東海道新幹線新横浜-小田原間を走行中の東京発新大阪行きのぞみ265号の12号車内で乗客の男女3人が刃物で襲われ、会社員の梅田耕太郎さん(38)=兵庫県尼崎市=が死亡。隣席の女性(26)と通路を挟んで座っていた女性(27)も頭部や左肩を切りつけられた。
 車内の防犯カメラの映像を分析している県警などによると、新横浜駅からの発車数分後、小島容疑者は突然怒声を上げて立ち上がり、鉈(なた)で右隣席の女性を襲撃。後方席に座っていた梅田さんが小島容疑者の腕をつかんで止めようとしたが転倒。その間に通路を挟んで左隣の女性を襲ったという。
 起き上がった梅田さんが再び止めようとしたが、小島容疑者は鉈を一振り。首を切られた梅田さんに、馬乗りになって鉈を振り下ろし続けた。緊急停止した小田原駅で警察官が殺人未遂容疑で小島容疑者を現行犯逮捕。逮捕直前、小島容疑者は梅田さんをまたぐような状態で固まっていたという。
*計画性明らか
 梅田さんは胸の周辺数十カ所を切りつけられていた。傷同士が重なり合い、正確な数を算出するのが困難な状態だったといい、ある捜査関係者は「ここまでひどく切られた遺体は見たことがない」と絶句した。
 県警の調べに対して小島容疑者は「誰でもよかった」「事件を起こそうと新幹線に乗った」などと無差別殺人をほのめかす供述を繰り返している一方、事件の計画性は明らかだ。
 小島容疑者は犯行に使った鉈と果物ナイフについて「事件を起こそうと3月ごろに購入した」と説明。小島容疑者は事件の約半年前に家出した後、長野県内に滞在。捜査関係者によると、長野に滞在していた理由について「修学旅行で行ったこともあり、好きだった」と話しており、滞在中は公園を拠点に自転車で同県内を放浪していたという。
 9日午前ごろ、小島容疑者は同県から電車で東京駅まで移動。午後8時ごろに指定席券を購入し、「事件を起こそうと思った」と、バッグに刃物を忍ばせて新幹線に乗車した。*反省の弁なし
 小島容疑者は犯行理由を「社会に不満があり、人を殺す願望が昔からあった」と供述している一方、新幹線で犯行に及んだ理由について「特にない」としているほか、反省の弁なども述べていないとされる。
 また、小田原署の留置場内での小島容疑者の様子を知るという関係者が産経新聞の取材に応じ、小島容疑者について証言した。
 関係者によると、小島容疑者は独居房に収容された。留置場では番号で呼ばれるが、小島容疑者は「116」だったという。
 関係者は「中学生が修学旅行で旅館に泊まりにきているような雰囲気だった。警察官にも笑みを浮かべ、反省しているようには見えなかった」と証言。また、「10日夜に出された夕食のカレーを『いただきまーす』と声に出して平らげ、3食とも5~10分で食べ終えていたそうだ」とも話した。小島容疑者は警察官に対して「畳の上で寝るの、久しぶりなんですよ」などとも述べていたといい、午後7時ごろには床についていたという。
 小島容疑者は親族にたびたび自殺願望を口にしていたというが、関係者は「矛盾を感じる。留置場のなかでは生きる喜びを感じているようだった」と話した。
 県警は今後、小島容疑者の責任能力の有無を含め、女性2人に対する殺人未遂容疑での立件も視野に、動機の解明に努める方針。
【用語解説】新幹線車内の防犯カメラ
 平成27年に県内を走行中のJR東海道新幹線の車内で男が焼身自殺し、女性客を巻き込んで死亡させる事件が発生したのを契機に、JR各社は新幹線車内への防犯カメラの設置を進めてきた。今回の3人殺傷事件では、犠牲になった梅田耕太郎さんが小島一朗容疑者ともみ合いになり、殺害されるまでの詳細な状況が、カメラの映像から明らかになっている。

 ◎上記事は[livedoor NEWS]からの転載・引用です
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新幹線内3人殺傷「死刑になりたいからやった」
TBS NEWS 2018/6/21
 走行中の東海道新幹線の車内で乗客がナタで襲われ、3人が死傷した事件で、逮捕された男が犯行の動機について「死刑になりたいからやった」と供述していることが新たに分かりました。
 この事件は今月9日、東京発新大阪行きの新幹線の車内で、乗客3人がナタで切りつけられ、会社員の梅田耕太郎さん(38)が死亡、2人がけがをしたもので、愛知県岡崎市の無職、小島一朗容疑者(22)が逮捕されたものです。
 小島容疑者は、これまで犯行の動機について「むしゃくしゃしてやった」「社会に不満があった」と供述していましたが、その後の警察への取材で、「死刑になりたいからやった」と供述していることが新たに分かりました。
 先週、小島容疑者に会うために、両親と祖母が神奈川県の小田原警察署を訪れていました。面会室のドアを開けた小島容疑者は、3人を見ると無言でドアを閉め、面会を拒否し、下着などの差し入れも受け取らなかったということです。
 「一朗に、どうしてこういうことを起こしたのか、どんな寂しさがあったのか、『なんで帰って来られなかったの』と聞きたかった。(小島容疑者が)拒否したから会わないって」(小島容疑者の祖母)
 警察は、犯行に至った経緯について慎重に調べを進めています。

 ◎上記事は[TBS NEWS]からの転載・引用です
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