最高裁判事--選任の理由がこれまで同様、国民に示されていない

2010-04-15 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

最高裁判事―より多様に、より透明に
朝日新聞 社説2010/04/15
 最高裁判事に岡部喜代子・慶応大法科大学院教授が就任した。現職の桜井龍子氏とあわせ、15人の裁判官のうち女性が複数を占めるのは初めてだ。
 背景には、女性を起用したいという鳩山内閣の強い意向があったといわれる。遅すぎた印象は否めないが、社会の変化を感じさせる人事である。
 一方で、以前からあった疑問が今回も残った。なぜ岡部氏なのか、選任の理由がこれまで同様、国民に示されない。司法が取り組まなければならない課題をどのように想定し、岡部氏に何を期待し、どんな思いを込めたのか。
 最高裁判事をめぐっては、法律家から起用する場合は最高裁長官の推薦を内閣が受け入れ、有識者については内閣が主導しつつ最高裁側の意向を確認する。そんな慣行があるという。
 司法の独立を念頭に積み重ねられてきた知恵ではある。そのことは尊重したうえで、透明度をもっと高めるべきだと私たちは主張してきた。それが民主主義の理念にかない、裁判への信頼を高める。権力分立の観点から疑念のある人事が構想されたとき、有権者が当否を見極めることもできよう。
 近年、最高裁の判断には注目すべきものが増えている。在外邦人に選挙権を与えていない公職選挙法をただした裁判や、高金利ローンに苦しむ人に救済の道を開いた一連の判決などがその例だ。もちろん中には首をひねる結論もあるが、大きな目で見たとき、市民の共感を得られる方向に歩を進めているように見える。
 そうした判断を導き出すのは、最高裁裁判官というそれぞれ個性をもつ人格である。人生経験やものの見方、価値観の多様な人々がそろうことが議論を活性化させ、その中から時代に寄り添い、時代を開く判決が生まれる。
 気がかりなのは最高裁が扱う裁判の変わらぬ多さだ。年間約1万件にのぼる。多様な顔が並んでも、その人々が「憲法の番人」に求められる役割を十全に果たす環境が整っているといえるか。退任した多くの判事が繁忙を嘆き、「もう少し余裕があれば、もっと突っ込んだ話し合いや判断ができたのではないか」と後悔にも似た思いを吐露している事実は重い。
 法律は上告理由に一定の枠をはめているが、趣旨通りに機能しているとは言い難い。行政や立法に対するチェックがますます期待される一方、弁護士人口の増加などを受けて上告件数はなお増えると予想される。将来を見据え制度、運用、さらには法曹界全体の意識がこのままでいいのか、幅広な議論を始める必要があるように思う。
 少数派の異議を受け止め、人権を保障する最後のとりでが最高裁だ。判決の中身はもちろん、判事の人選や取り巻く状況、執務のありようにも、もっと目を注いでいきたい。

『司法官僚』新藤宗幸著--裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である


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