拙HP http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/ column に、「死刑存廃を問う前に 終身刑導入を考える」をUPした。
この新聞記事には、心休められる箇所が何点かあった。一つは、現行無期刑について、終身刑に等しい、と認識している点である。
“無期懲役は現在、仮釈放がなかなか認められず、「事実上、終身刑化している」ともいわれる。”
いま一つ、絶対的終身刑に対する目配りである。
“絶対的終身刑には「生涯、自由をはく奪するのは残酷だ」といった批判もあるが”
上記2点に加えて、以下の記述が私を安堵させた。
“「加害者も被害者も、人間は変わっていく。初めは加害者の極刑を望む被害者の中にも、時を経て心の痛みを癒す過程で、事件を振り返りたいと望む人がいる」と高橋教授。そのために当事者の一人である加害者に話を聞きたいと思うこともあるが「死刑で加害者がこの世を去っていては、被害者は心を癒す過程をたどれない。終身刑ならそれが可能になる」と説明する。”
>前向きの意味は何もありません。
本当に、そう思います。
>問題の多い死刑制度を廃止し、人間として真摯に罪を償わせる方法を選ぶべきだと思います。
これから議連を始めとして、多くの場で存廃が議論されるでしょうが、narchanのこの結論が、議論の到達点になるべきだと確信します。
最近ミサに心惹かれますが、それは、社会(国家)が近頃あまりにも命を奪う方向に向いているからではないかと感じています。私自身、疲弊しているのです。ミサの中では、命を希う祈りに福音が十分応答している、息吹を感じます。