「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末・・・京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件(2006/2/1)

2017-05-07 | Life 死と隣合わせ

「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末
 2006年2月1日、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の無職の長男(事件当時54歳)が、認知症の母親(86歳)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」をご存じだろうか。
 一家は両親と息子の3人家族だった。1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。
 母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。
 そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。
「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。  その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。
 京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。
 裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
 判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。そして「お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください」との言葉には、長男が「ありがとうございます」と応え、涙をぬぐった。
 夫婦・親子だから当然と始めた家庭での介護がやがて困難を極め、長期化する――「加害者」となってしまった家族本人の生の声を聞き、間近にいた関係者への取材を重ねて明らかになった在宅介護の壮絶な現実と限界。
 ――この事件が一地方ニュースに留まらず、ネットなども通じて「地裁が泣いた悲しい事件」として日本中に知られることになる。親子の境遇や長男に同情する声や温情判決に賛同する声などが広がった。 
 それから約10年後の2015年。毎日新聞大阪社会部の記者が、介護殺人に関するシリーズ記事の一環としてこの長男への取材を試みた。しかし弁護にあたった弁護士も行方を知らず、数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。
 事件の後の足跡について親族は口が重く、なぜ亡くなったのかも不明のまま。行き詰った末に探し当てた長男の知人という人に彼の死を告げると、絶句して、判決後に長男が落ち着いた先の住所を告げた。
 やがて判明した死因は自殺だった。
  琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。地獄を味わった彼の言葉やその後の人生が、在宅介護に限界を感じ、絶望している人への何らかの助けになるのではないか。そう考えて必死に動いた記者を待っていた、悲しすぎる結末だった。
 厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人。要介護者を抱える家族が増える一方、後を絶たない介護苦による悲しい殺人事件。なぜ悲劇は繰り返されるのか。どうすれば食い止めることができるのだろうか……。
 デイリー新潮編集部 2016年11月16日 掲載  ※この記事の内容は掲載当時のものです

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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【介護社会】 埋もれる孤独  介護殺人・心中
(抜粋)
<介護殺人・心中>4割が執行猶予判決
中日新聞2009年11月20日
  加害者となった介護者のうち、4割は執行猶予判決を受けている。行政や周囲の支援を受けられずに孤立し、親や配偶者と死を選ぼうとした姿に同情する検察官も。民間の保護司らが定期的に面談し、被告の更生を助ける保護観察付きの判決も出始めた。
 2006年2月、京都市伏見区の河川敷で息子(54)が認知症の母親(86)と無理心中を図り、承諾殺人罪に問われた事件。裁判では検察官が、被告の母への愛情を詳述する異例の展開となった。
 検察側は、息子が「最後の親孝行を」と心中を図る前に母を車いすに乗せて市内観光し、拘置所でも冥福を祈って写経を続けたことを明らかにした。介護のために仕事を辞めて生活に困窮し、死を決意した背景もくわしく説明した。弁護人が「被告に有利な事実を明らかにするのは異例」と驚くほどだった。
 判決では裁判長が「介護保険や生活保護行政の在り方も問われている」と制度の問題に言及。懲役2年6月、執行猶予3年の判決を言い渡した。
 02年5月に佐賀県鹿島市で車いすの妻(80)と無理心中を図って承諾殺人罪に問われた夫(83)の公判では、検察側が事件の背景に重すぎた介護費用の負担があったと指摘。夫は介護保険でまかないきれない介護費用を、毎月20万円以上も自己負担していた。
 今年5月に起きた介護疲れが動機の妻殺害未遂事件を審理した山口地裁の裁判員裁判では、夫(63)に懲役3年、保護観察付き執行猶予4年の判決が言い渡された。公判では、妻への思いや社会復帰後の生活について裁判員の質問が集中。保護観察付きの判決は裁判員が被告の更生を願った評議の結果で、裁判長は「保護観察には完全に従ってください。確実に従ってください」と繰り返した。
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