「週刊文春」と「週刊新潮」がともに電車の中づり広告をやめると報じられた

2021-08-19 | 文化 思索 社会

中日春秋 
 2021年8月19日
 人は無意識に他人との間に一定の距離を取ろうとするものらしい。心理学者多湖輝さんの著書に教わった。距離が取れない満員電車の中ではどうするか。他人を意識の外にやろうと視線をそらし、上に向けるのだという。その先にあるのが中づり広告である。人の心理と都市生活の産物のようだ
▼日本の通勤電車の混み具合が海の向こうにも知られた高度成長期、広告業者の国際的な大会で、東京には、立ったまま身動きできない人のために考案された広告が存在していると話題にもなったそうだ
▼時代を背景に、多くの人の視線の先で、表現や文字の配置に、職人的ともいえる磨きがかけられてきたのが、雑誌の広告であろうか。有力週刊誌の「週刊文春」と「週刊新潮」がともに電車の中づり広告をやめると報じられた
▼時代の変化だろう。電車内に立つ多くの人の視線の先は、いまやスマートフォンの画面である。電車内の広告の重みが変わったらしい。雑誌の減少もあろうが、特に首都圏以外では、雑誌の中づり広告を見る機会が少なくなっていたことにも気付かされる
▼広告が下がる満員電車を降り、すぐに売店に向かったことは何度かある。情報密度の濃い両誌の広告から硬軟の時の話題を仕入れて、だれかと語り合ったことは多数
▼両誌とも健在だが、なじんでいたものがなくなってしまうようで少々寂しい気にもなる。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
...............................
〈来栖の独白 2021.8.19 Thurs〉
 電車・バスに乗らなくなって久しいが、所謂「広告」によって、世の中の様々の動きを知ってきた。最も大きい情報源は新聞。毎日、モーニング(朝食)とともに新聞を読むが、新聞下欄の様々の広告も楽しみな情報源である。・・・そうかぁ、有力週刊誌の「週刊文春」と「週刊新潮」がともに電車の中づり広告をやめるのか。さみしいことだ。
 しかし、有力週刊誌の電車の中づり広告によって週刊誌を買うことなく記事内容を読まれたのでは、週刊誌会社としては、たまったもんではないだろう。私のごとき、朝刊で済ます人間も、週刊誌会社としては歓迎できぬ種族に違いない。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。