『差別と日本人』善良で被害者の自分たちと他者とを峻別。その生贄としての部落民・朝鮮人

2009-09-06 | 本/演劇…など

『日本人と差別』野中広務・辛淑玉(角川oneテーマ21)
p125~
●民にとって、「天皇」とは
 1917(大正6)年、「神武天皇稜」を上から見下ろす位置にあった洞の200戸余りの人々は、強制移住を強いられた。
 神武天皇稜は1863年、幕府が造営し、1890年、橿原神宮がつくられた。
 1913年、『皇陵史稿』には、「・・・・神武天皇陵に面したところに、の墓がある。土葬なので、その醜骸が、この神聖な地に埋められている」。このままだと「霊山と御陵の間は、穖多の家で充填され、醜骸は霊山の全部を侵食する」と述べている。
 は、土地を宮内庁に献上するという形を取り、1920年、移転を終えた。しかし、移転先に田畑などはなく、移転費用も僅かで、古家も買えず貧しさは加速された。移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめており、とうもろこしのような毛のような遺髪をの人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
 天皇制により、の人々はより貶められていった。
 他方、被差別者には、天皇に対する独特の親近感もまた存在する。
 歴史的には、南朝を代表する後醍醐天皇が、農本主義者である武士=足利政権に対抗するため、非農耕民(流通業者、職人、芸能民、被差別民)を軸足にした政権維持を試みた。もちろんこれは失敗して、南朝勢力は衰亡した。しかし、このとき天皇が被差別者を厚遇したことが、それ以後の被差別階級にとって、天皇家との関係を自分たちの正統性の根拠とする慣習を生んでいった。
 もうひとつは、貴種流離譚との関係。やんごとない人々が政治的迫害や病などの理由で、被差別階級に落ちぶれ、全国各地を流浪するという民話がある。王子と乞食などもこの話の系譜である。
 つまり、被差別者の失われたアイデンティティを補償する存在として、天皇家との関係をシンボリックに強調する傾向(家系図で先祖に天皇家をいれたがる)がある。
 だから、任侠も、右翼も、被差別者も天皇が好きなのだ。
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p113~
●オウム真理教事件と破防法
 両親が犯罪を犯したからと、子どもも犯罪者のように扱われ、小学校にも行けないというのは異常でした。住むことも、食べることも、働くことも、公衆浴場に行くことも、電気ガス水道の使用も拒否されるなんていうのは、すさまじい大衆の暴力です。
 朝鮮人が叩かれてる時もそうだけど、政治家は、それはいけないことだと言ってほしい。アメリカのあのブッシュでさえ、「9、11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合は、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日がボコボコやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられていても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
野中 困った民族だ。
p114~
 オウム真理教関係者によるさまざまな犯罪が明るみに出ると同時に、インターネットでは、教祖である麻原彰晃は「民だ」「朝鮮人だ」という言説がまことしやかに流れた。これは、何もオウム関連の事件に限ったことではない。凶悪犯罪が起きる度に、都市伝説のように流される。これは、マスコミが「犯人は外国人風」と報道するのと同じである。外国人とは一体何をさすのか。国籍なのか、肌の色なのか、言語なのか。私は“外国人風”に見えるだろうか。つまり、「日本人」以外の者がやったと言いたいのだ。日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。
 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての民であり、朝鮮人なのだ。
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〈来栖の独白〉
 『差別と日本人』に書かれてあることは、踵で踏みつけられたことのないフツーの人の口からは決して出てこないことばかりである。
移転の際には、人だけではなく、墓も「遺骸」も根こそぎ掘り起こされ運ばれた。埋葬後10年たっても遺骸はまだ原形をとどめており、とうもろこしのような毛のような遺髪をの人々は自らの手でまとめた。埋葬して2,3年しか経っていないものは腐敗臭もあり、それを担ぎ、排斥運動のあった一般の村を避けて遠回りをして移動させられていった。
 ---この語りの声を、私は、ただただ涙のうちに聴いた。非情極まる「日本人」・・・、発する言葉も、ない。
つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。
日本人はいつも善良で、被害者だと思いたいのだ。そして、彼らが言う「日本人」には、民も、日本国籍を取得した人も、アイヌも、ウチナンチュも、ハンディのある人も、セクシャル・マイノリティも入っていない。 どこまでも徹底して自分たちと他者とを分け、そして、あらゆる問題について、自分たちの社会の問題だということから逃げようとする。そのいけにえとしての民であり、朝鮮人なのだ。

 ---安田好弘さんの著書『死刑弁護人』の「まえがき」の一節が思い起こされた。次のように言っている。
 “ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、1個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。”
 私が長い間、いわゆる「北朝鮮によって拉致された被害者とご家族」の問題にどうしても消極的にしかなれなかったのは、この辺りに所以する。

 『親鸞』世間で蔑まれている人たち=彼らこそ私の師であり、兄であり、友であった。彼らとともに生きてゆく


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