「中国の人権」無視した米国務長官
2009/3/17 Bloomberg
最近、クリントン米国務長官が北京を訪れて、中国政府に経済危機を乗り切るためにアメリカ国債を買い続けるよう頼んだが、実は北京に向かう道中、クリントン長官は「世界経済危機、環境危機、安全保障上の危機があまりに深刻である以上、もはや人権問題のために米中間の協力関係を損なうわけにはいきません」と、とんでもない発言をしていた。
アメリカが従来、中国の人権問題に関してとっていた態度を思うと、原理原則を売り飛ばしたと批判されてもしようがない動きである。
1976年に毛沢東が没して以来、西側諸国は中国政府に、中国人民の基本的人権を認めるよう、さまざまな圧力をかけてきた。特にアメリカには、ジャクソン=ヴァニク法という強力な武器があった。75年に定められたこの法律は、自国民が海外へ移民する権利を制限する国に対して貿易の最恵国待遇を認めない、というものである。
当時のソ連を念頭に置いて制定されたせいもあって、同法の中国に対する適用は、常に見送られてきた。だが、ジャクソン=ヴァニク法のおかげで、議会は毎年ロシアと中国に対して人権状況の審査を行い続けることとなった。毛沢東の後継者たちも、アメリカが監視していることを気にしないわけにいかなかったのだ。
◆賭けに負けた西側
その成果は、いかばかりのものであっただろうか?
「天安門事件を例外とすれば、中国の人権状況は文化大革命の終了した76年から、着実に改善されていました」
そう言うのは、NPOヒューマンライツ・ウオッチの広報部長、ミンキー・ウォーデン氏である。北京オリンピックの政治学とでも言うべき内容の『China’s Great Leap』という編著書もあるウォーデン氏は、さらにこうも述べた。
「経済改革とともに、中国政府が人権を重視する方向に改革を行って、法治主義を確立するだろうと、チャイナ・ウォッチャーは期待するようになりました」
つまり西側諸国は、中国の近代化が中国の民主化をもたらすという可能性に賭けたのだ。だが、北京オリンピックの開催された2008年に、西側諸国はその賭けに負けたことを、思い知らされることとなった。
まずオリンピックに合わせるようにして、チベットでも新疆ウイグル自治区でも、大弾圧が行われ、私服警官が取材に訪れた記者に暴行を働いた。国民の健康、生命に重大な影響をもたらしかねなかった「毒入り」ミルク事件の報道が、検閲の対象となった。
さらに、主だった人権活動家は投獄された。AIDSを患う中国人の権利擁護を呼びかける運動家の胡佳氏は、共産党政権を転覆しようとしたという罪状で、懲役3年半の刑に処せられ、現在服役中である。北京オリンピックがいよいよ開催間近となったころに、胡佳氏は何十人という活動家たちとともに、人権状況の改善を中国政府に訴える公開書簡を発表した。
中国政府が、もう一人、標的に選んだのが、中国における改革派文人の集まりであるPENの前会長でもある、文芸評論家の劉暁波氏だった。08年12月に逮捕された劉氏はいまだに拘留中だが、彼がどのような罪状で逮捕されたのかも、どこに収容されているのかも、不明のままである。
◆金融機関が人質
中国が西側諸国の重大な関心事項である人権問題を、平気で踏みにじっているのには、理由がある。現在の米中関係は1970~80年代の逆となっているのだ。70、80年代にはアメリカが経済的な優位に立って、中国から譲歩を引き出していた。
だが、資金面で優越的な立場にあるのは、今や中国であり、アメリカは次々と、ぶざまに譲歩せざるを得なくなっている。特に現在の経済危機のせいで、アメリカは中国に頭が上がらなくなってしまった。中国に国債を買い続けてもらわないと、さらなる危機に突入してしまうのである。
これもすべて、アメリカの大手金融機関が、とんでもなくでたらめな行動をとっていたためだと考えると、悲しくなってしまう。人権という普遍的な問題で中国政府を批判しようにも、アメリカ政府は金融機関を人質にとられているのだ。旧ソ連時代に東ヨーロッパ解放の反体制運動が命脈を保つことができたのは、自信にあふれ、豊かでもあった西側諸国が共産主義反対を徹底して表明していたおかげだった。
中国の人権活動家たちは、西側経済の弱体ぶりのおかげで、以前に比べてはるかに厳しい運命に直面せざるを得ないだろう。
クリントン発言に何かしら良いところがあったとすれば、北京で人権活動家が獄舎に入れられっぱなしだという事実と、クレジットカードの利率の間に、密接な関係があるのだと学ぶ機会を、平均的なアメリカ人に与えたことくらいだろうか。(コラムニスト Amity Shlaes)
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Amity Shlaesはブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です。