裁判員制度 法廷の劇場化 評議で見えない誘導 守秘義務 初めての無罪主張

2009-12-21 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

【裁く時・第5部】(1)法廷の劇場化 説得力で変わる量刑
産経ニュース2009.12.17
 「映画のワンシーンの中に立たされ、役割を演じさせられているようでした」
 大阪拘置所の面会室で、仕切り板の向こうにいる被告の男性(44)は自らの公判の印象を振り返った上で悔悟の言葉を語った。「自分が罪を犯さなければ裁判を受けることはなかったのですが…」。
 被告が問われた罪は強盗致傷罪。帰宅途中の女性をけるなどしてバッグを奪ったとして起訴され、11月中旬、大阪地裁では8例目となる裁判員裁判で裁きを受けた。被告にとって裁判自体が初体験だったが、3日間の公判で受けた衝撃は大きかった。
 小さな事件なのに裁判員裁判というだけで傍聴席はほぼ満席。何より、「自分がしたこと以上に極悪人のように責める検察官の姿勢に驚いた」という。
 パフォーマンスも激しかった。スーツ姿の男性検察官が突然寝転がり、「私を被害者に見立て、私の腕をけってください!」と声を張り上げた。弁護人が閉廷後、「演技のしすぎだ」と指摘するほどだった。
 被告は改めて公判を振り返り、「自分が裁判員ならもっと重い刑にしたと思う」と漏らした。
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 「法廷は劇場」。陪審制度の歴史が長い米国のNITA(全米法廷弁護技術研究所)の指導者はこう位置づけ、視覚資料の活用や陪審員の感情を被告に移入させることを奨励している。日弁連も数年前から、裁判員制度の開始に向けて全国でNITA方式の研修を繰り返してきた。
 弁護側にとってこの方式が成功したといえるのが大阪地裁初の裁判員裁判だ。弁護人は、覚醒(かくせい)剤密輸事件の男性被告(57)を、スナックのマスターとして普通の暮らしを送ってきた「普通のおじさん」と表現し、84歳の母親を出廷させた。母親が涙ながらに「犯した罪は償って、私が元気なうちに元気な姿を見せてほしい」と話すと、被告は涙を流し「ごめんね…」と謝った。
 結局、被告には懲役10年の求刑に対して半分の懲役5年が言い渡された。裁判員の1人は会見で「お母さんにすごい衝撃を受けた」と振り返り、別の裁判員も被告への共感を口にした。
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 検察の衝撃は大きかった。大阪地検は控訴を検討したが、上級庁の意向もあり断念した。検察幹部は苦々しく振り返る。「『お涙ちょうだい』がこれほど裁判員に影響を与えるとは思わなかった」。 この判決は、特に覚醒剤密輸事件の立証方法に大きな影響を与えた。被告の情状を強調して訴える弁護側に対抗するには、覚醒剤の社会への影響を訴えるしかない。検察官は弁護人の「異議」を半ば無視する形で別の事件を持ち出すなど、覚醒剤がもたらす悪害を熱弁している。こうした結果、その後の同地裁での覚醒剤密輸事件の判決は求刑の7割以上を維持している。
 しかし、裁判員の反応は必ずしも好意的ではない。ある裁判員は「検察官が感情的になっていると少なからず感じた。国家権力を行使する側の人間が感情をあらわにするのはいかがなものか」と不快感をあらわに。「検察官に言われるまでもなく、重大な罪であることは分かっている」と指摘した裁判員もいた。
 冒頭の被告が受けた判決は懲役6年の求刑に対し懲役4年。個人的な事情で控訴したが、量刑には納得したという。ただ、「検察官も弁護人も説得力次第で量刑がものすごく変わるのではないかと感じた」と法廷の劇場化に否定的な思いを抱き続けている。
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 5月の制度開始から半年あまり。裁判員裁判は全国で100件以上実施され、約1千人が裁判員と補充裁判員の務めを果たした。浮き彫りになってきた課題を追う。

【裁く時・第5部】(2)評議で見えない誘導 「私たちの解釈」と壁
2009.12.18
 台風18号が日本列島に接近した10月7日。徳島と大阪の両地裁で裁判員裁判が開かれていたが、いずれも翌日の公判が延期された。裁判員が出廷できない可能性を考えれば当然の措置だったが、その後の日程調整で対応が分かれた。徳島は判決を1日延ばし、大阪は当初の予定通り判決を言い渡すことにした。
 両地裁ともこの日まで順調に審理が進んでおり、問題は判決を先送りにして評議の時間を十分確保するか否かだった。拘束時間が長引けば当然、裁判員の負担は増える。大阪地裁の判断の方が裁判員に受け入れられると思われた。
 しかし、徳島の裁判員経験者からは「余裕をもって考えられた」と好意的な感想が寄せられたのに対し、大阪では「こんなに早く決めていいか不安だった」「被告の人生を決めるのには短すぎた。少し怒りを覚える」と不満が相次いだ。
 10月末までに行われた47被告に対する裁判員裁判の評議の平均時間は6時間12分。日常生活の物事を話し合いで決めるには十分過ぎる時間かもしれないが、裁判員が納得して判決を出すには不十分なときもある。まさにその難しさを示した裁判員の反応だった。
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 裁判員が納得できるかは、単に時間の問題に限らない。評議の内容も大きく関係してくる。それが改めて浮き彫りになったのが、10月末に静岡地裁浜松支部で殺人事件の裁判員を務めた20代の男性の意見だった。「裁判員の気持ちが反映されないと強く感じた。見えない線路が引かれているようで、脱線できない感じがした」。
 非公開で行われる評議については、制度の導入前から、裁判官による裁判員の誘導の恐れや、裁判員が自由な意見を言えないのではないかという危惧があった。男性の発言はこうした懸念が現実になったことをうかがわせた。
 元裁判官の岡文夫弁護士は「裁判官は争点や量刑に対して個々が必ず意見を持って臨む」と裁判官だけの「合議」ならあり得ない問題だとした上でこう話す。「もし裁判員が意見らしい意見を持っていなければ、結論を出すために誘導する可能性はありうる」。
 一方、裁判員が意見を言いすぎることの弊害を指摘する意見もある。元松山家裁所長の安原浩弁護士は「議論が争点からずれてくれば裁判官として修正は避けられない。評議は自由とはいえ、ジレンマはある」という。
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 1例目と6例目で覚醒(かくせい)剤の“運び屋”を裁いた大阪地裁の裁判員裁判。法の常識では、共犯者が運んだ覚醒剤も密輸量に加えられ、どちらの事件でも犯罪事実としては認定された。しかし、1例目は被告の所持量だけをもとに刑を決め、6例目は従来通り共犯の分を合わせて量刑が判断された。
 6例目で裁判員を務めた女性は、評議で裁判官から「法解釈では2人分の量に対して刑を決める」と言われ、戸惑った。その後は何か意見を伝えるたびに「法解釈と違うのかな」と絶えず気になったという。
 女性は、誘導しないよう気をつかう裁判官たちの苦労は感じ、裁判員を尊重し話しやすい雰囲気が作られているとも思った。それでもこう考えている。
 「裁判官との間には見えない壁があった。法解釈ではなく『私たちの解釈』がスタンダードになるまでには時間がかかるだろう」

【裁く時・第5部】(3)賛否渦巻く守秘義務 あいまい基準に戸惑い
2009.12.19
  1日目の公判が終わると、緊張と疲れで肩がずしりと重かった。大阪地裁で11月に裁判員を務めた30代の男性は自宅に帰ると、妻にその日の体験を包み隠さず話した。評議室での他の裁判員の意見や、自分が思ったこと、話したこともすべて。「ふうん、そうなん。しんどいなあ」と妻は気遣ってくれた。
 守秘義務が気にならなかったわけではない。法廷で見聞きしたことは話してもいいが、評議の中身はたとえ家族であっても話せない。ただ、「この部分は言えない」と線引きして話すことはどうしてもできなかった。
 「厳密に考えるとあまりにもしんどいです。自分の中ではセーフと思ってしゃべっているんですが」
 判決後の記者会見も「どこまで言っていいのか」と手探りの気持ちで臨んだ。「どういう議論だったのかを伝えないと、感想だけ述べても意味があるのか」という疑問もよぎったが、結局、当たり障りのない感想だけを口にした。
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 これまでに全国の地裁で開かれた裁判員裁判は100件超。そのほとんどで裁判員の記者会見が行われている。会見には出席の意思を示した裁判員と補充裁判員に加え、地裁職員が必ず同席し、裁判員の発言をチェックしている。
 その理由が守秘義務だ。裁判員法は「評議の経過、裁判官および裁判員の意見、その多少の数を漏らしてはならない」と定めている。会見では実際に、職員が裁判員の回答や記者の質問を制止したり、会見後に「発言に問題がある」として報道自粛を求めたりするケースが少なくない。
 だが、どこまで話すと違反なのかという基準はあいまいだ。最高裁も明確な基準を示しておらず、地裁職員ですらきっちりと認識できていないことをうかがわせる場面もあった。
 12月に行われた神戸地裁の会見。「被告に聞きたいことがあった」と話した裁判員に記者が内容を質問したところ、評議の内容とはほとんど関係ないにもかかわらず職員が制止した。
 国学院大法科大学院教授の四宮啓弁護士はこうした対応を疑問視し、「なぜ守秘義務があるかという理由に立ち戻って考えてほしい。さらに、制度見直しのためにきちんと検証するには、必要な範囲で守秘義務の一部解除も検討すべきだ」と訴える。
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 守秘義務は必須と考えた裁判員もいる。60代の男性は「暴力団が絡む事件や死刑にかかる事件もある。誰が仕返しに来るかも分からない」と話し、身を守るために必要だと確信したという。裁判員の審判を仰ぐ検察官や弁護士にも「裁判員が自由に意見を言えるようにするため」と肯定的にとらえる意見が多い。
 一方、元裁判官で駿河台大法科大学院教授の青木孝之弁護士は「自分の意思で守秘義務のある職業を選択した裁判官や検察官、弁護士が、市民に同じレベルで守秘義務を守れというのはどうか。裁判員経験者の声を聞いてもっと議論すべきだ」と緩和もしくは基準の明確化を求める。
 制度開始前から賛否両論が渦巻いていたにもかかわらず、オープンな議論がないままの守秘義務。日弁連も裁判員制度の検証のために解除を提言しているが、具体的な方向性が見える気配はない。

【裁く時・第5部】(4)完 初めての無罪主張 誠心誠意向き合った
2009.12.20
 「判決は私の人生を破壊しました。事実は何ひとつ書かれていません」。拘置所の検閲印が片隅に押された白い便箋(びんせん)に、ドイツ国籍の女性被告(53)は英語でそうつづり、自らの裁判に関する質問に答えた。
 大阪地裁では珍しくなくなった覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)事件で、裁判員裁判初の無罪を主張した被告だ。「覚醒(かくせい)剤とは知らなかった」「取調官の言うがままに調書が作られた」。公判ではそう主張したが、裁判員と裁判官は「罪を免れるための虚偽と考えざるをえない」と断じ、懲役9年、罰金350万円の判決を言い渡した。
 弁護人は「公判で不利な事実が出てきた。量刑も相場通り。控訴審で覆すのは難しい」と語る。ドイツに早く帰りたいなら控訴は勧めないと伝えたが、被告は聞きいれなかったという。
 被告は手紙にもこう書いた。「本当に運んだ物が何かを知らなかった。判決は不当で、不公平です」
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 ある時は更生を願う説諭に被告が涙を流し、ある時は厳しい量刑に対して被害者が「思いをくんでくれた」と安堵(あんど)する-。裁判員裁判からは、そんな美談ばかりが紡ぎだされるわけではない。有罪か無罪かの判断を正面から迫られ、事件の当事者に恨まれすらする裁判員は何を思うのだろうか。
 「判決にはわれわれ裁判員の意見がすべて盛り込まれている。無罪主張の重みを感じたからこそ、真剣に審理し、彼女の言うことは起こりえないと判断した」
 女性被告への判決宣告から20日後、裁判員を務めた男性はそう語った。「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則は、選任直後に裁判長から説明され、常に意識したという。
 法廷では検察官の怒りや傍聴人の好奇心を感じ、感情を押し殺すことに努めた。期間中、夜中に自分のうめき声で目覚めたこともあった。補充裁判員を含めた8人は多かれ少なかれそれに近い体験をしていた、と男性は告白する。
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 男性は女性被告の控訴を報道で知った。もし本当に無実で控訴審で無罪を言い渡されたら、冤罪(えんざい)を作り出した張本人として批判されるかもしれない。それでも「誠心誠意向き合った結果、あの判決になったのだから堂々としていればいい。怖さはない」と割り切っている。
 一般市民にそこまで深く事件を考えさせる裁判員裁判は何のために行われるのかという問いに、男性は明確な答えを持っているわけではない。ただ、憲法が成立して以来、三権分立で唯一、民間の発想をほとんど取り入れてこなかった司法において、政権交代よりはるかに壮大な「実験」が行われていることは間違いないと感じている。
 一方で女性被告はあっさりと話す。「一般人が加わった裁判はどこの国でもやっていること。制度自体どうとは思わない」。
 制度が始まったばかりの今、少しずつ課題が浮き彫りになってはいるが、「実験」の結果はまだはっきりしていない。裁判員に選ばれ、被告を裁く「国家権力」を行使した国民が増えたとき、この国はどう変わっているだろうか。
(この連載は小野木康雄、加納裕子が担当しました)=おわり


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