明日のミサ曲は、207から210のシリーズにする。本年は222~225のシリーズで賛美してきた。明日からは、この2シリーズ交互に賛美しよう。
№208グロリア。
「天のいとたかきところには 神にえい光 地には善意のひとに へい和あれ」
と穏やかに始まる。が、
「世のつみをのぞきたもう主よ われらをあわれみたまえ 世のつみをのぞきたもう主よ われらのねがいをききいれたまえ ちちのみぎに座したもう主よ われらをあわれみたまえ」
は、一転、神に「憐れめ」と訴える。願いを聞け、と迫る。執拗で、歌詩にピッタリの旋律。
私はここを弾くたびに、「歌は祈りであること」を痛感する。このように、主にすがり寄り頼みながら「惨めな魂を抱きしめてください」と清孝のために祈った。歌がなかったなら、どうやって乗り越えることができたろう。歌は支え・祈りである。
№145 父よ あなたこそ わたしの神
(2)父よあなたこそわたしの神 わたしのすべてをあなたに
敵はみなわたしをあざけり 回りの人はわたしをのけものにする 親しい友はわたしを恐れ 会う人は避けて背を向ける わたしは死んだ人のように忘れられ こわれた器のようになった
死刑執行の宣告から息が取り去られるまでの時間を、そうとは知らず私は教会で独りオルガンを弾いていた。主によって最上の場所が備えられたと思う。
高田三郎さんが死の前にお作りになった「主の祈り」。旋律から、私は、氏の魂・音楽性が、ただならぬ境地に達しておられることを感じた。余りにも素朴であったからだ。ことほど然様に、歌とは祈りの行為そのものである。
ところで、ラスプーチン佐藤優さんの著書はお読みになったこと有りますか? 同氏の『国家の罠』においても、国策捜査の実相が余すことなく語られています。 intelligence officerとして傑出した仕事を為し(凄い人です。 私、惚れた)、国に多大な貢献をした(が、仕事が出来すぎたため、ヘタレ外務官僚の裏切りに遭い、宗男さんとセットでパクられた)同氏もクリスチャン、神学の専門家。
“祈り”...、美しい言葉です。
rice_showerさんは、そのまま(自称右翼・権派)で、十分いい感じですよ♪ 宗教は、胡散臭いですから。
>ラスプーチン佐藤優さん 宗男さんとセット
思い出しました。そういうことも、ありましたね。著作は、存じませんが。
最近『反転』を読み返しています。私にはケッコー難しい本ですし、最初感じたほどには田中氏に好感抱けませんが。