「検察審査会は新しい権力機関」 元特捜検事の高井康行氏 関西プレスクラブで講演
産経ニュース2010.11.8 20:00
関西プレスクラブの定例会が8日、大阪市北区のヒルトン大阪で開かれ、元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行氏(63)が「新しい権力機関・検察審査会」と題して講演した。
高井氏は、法改正で指定弁護士による強制起訴が可能になった検察審査会について「検察官なら起訴しない事件をより低い基準で起訴することが許される。新しい権力機関といえる」と指摘。ただ、強制起訴後の裁判で無罪になるケースもありうるとし、「取り返しがつくのか。(強制起訴の)悪影響も考えなければならない」と述べ、責任の所在を議論する必要性を訴えた。
さらに、審査内容が公開されないことについて「議決書に審査内容を書き込むようにすれば、どういうことが議論されたのか見えてくる。その程度の透明性を確保できなければ、民主主義社会の権力機関のあり方としては不適切だ」と情報公開の向上を求めた。
また、大阪地検特捜部の元主任検事が押収資料を改(かい)竄(ざん)した事件にも触れ、「検察側に不利な証拠でもきちんと評価できるかどうか。起訴してはいけないとなったときに引き返すことのできる検事を育てることが重要」と述べた。
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異例の実刑判決をどう評価するか--堀江判決 高井弁護人に聞く
【ライブドア・ニュース 2007年03月20日】
東京地裁は16日、ライブドア(LD)元社長の堀江貴文被告に、懲役2年6月を言い渡した。これまで証券取引法違反では執行猶予が付くことが多く、実刑判決は極めて異例なため、ネット上はもちろん、各メディアでは様々な評価が飛び交っている。この判決を当事者はどう受け止めたのか。東京地検特捜部時代はリクルート事件などを担当し、現在は堀江被告の主任弁護人を務める高井康行弁護士に聞いた。
── 今回の判決をどう評価していますか。
基本的にこの裁判の核心部分は、主に宮内証言の信用性をどう評価するかにかかっていたのですが、今回の判決が宮内証言の信用性の判断を誤っていると言わざるを得ない。判決においても、検察官の捜査が厳正公平さを欠いていることは認められています。我々の解釈としては、事実上の司法取引が宮内さんたちと検察の間で行われたことを判決は断定はしていないけれども、暗黙の内にしていると認めざるを得ない。そこまで認めておきながら、結果的に宮内証言の信用性を認める。しかも、それによって実刑にする。そういうことは、極めて遺憾である。
裁判所も、事実上の司法取引が宮内さんたちの証言に影響を与えている可能性は否定しきれないと考えていると思うけれども、宮内証言の信用性をいう時に、必ず「信用性のある熊谷証言と一致している」「信用性のある丸山証言と一致している」、あるいは「メールの記載と一致している」と、いちいち宮内証言以外の証言、物証をひいて、宮内証言の信用性を論じている。そうすると結局は、熊谷証言とか丸山証言と一致する範囲で宮内証言は信用性があると言っていると思うのだけれど、どの範囲で一致しているのかは判決文を見ていないので、正確なことは分からない。(取材時点では、裁判所から弁護側に判決文が渡されていない)
問題は、何を根拠に熊谷証言とか丸山証言に信用性があると裁判所が判断したのかになるのだけれども、その点はまだ判決文を見ていないので、詳しいことは分からない。今後、詳しい判決文が出るだろうから、それを見て、今言った問題点を検討する。控訴審では主張すべきところは主張し、さらに立証を尽くすところは尽くしていく。
実刑の理由として、LD株を売って140億円の資金が被告人の手元に入ったことを挙げているが、それは極めて不当だ。裁判所も、140億円を得るために本件犯行をしたと認定していないですね。検察官はそういうふうに主張したけれども、「その検察官の主張は認められない」とわざわざ否定しているわけですから。しかし、140億円が入っていることは確かなので、量刑の事情としては考慮すると言っているのだけれど、裁判所が認定しているようにたまたま入っているわけだから、それを理由にして実刑にするというのは、極めて失当だと思います。
── 判決において「無罪を主張しており、反省の情がない」と指摘していましたね。
反省の情がないから実刑だというなら、法廷で誰も「事実が違う」と言えなくなってしまいます。たとえば痴漢で間違って起訴された場合、無実だと言って、通れば無実だになるけれども、通らなければ実刑になってしまうと思えば、リスクが大きすぎて、本来無実の人が無実の主張ができなくなってしまいますよね。そしたら、もう裁判でなくなりますよね、そんなの。そこが一番の問題と思いますよ。
── もし逮捕されたら、やっていなくても罪を認めてしまったほうがいいというメッセージと受け取る人もいそうですね。
そうですよね。そういうように受け止める人がいても、まったく不思議じゃないですよ。とにかく起訴されたら、(起訴事実が)真実かどうかは関係なく、認めなさいよというメッセージと受け止める人がいても、おかしくないですよね。
(判決後の)記者会見の時、私は日本の刑事司法のためにも残念だと言ったんですけれど、それはそういう意味ですよ。判決を聞いて、“これは、実はやっていなくてもやったと認めたほうがいいんだな”と思う人がたぶん出てくるでしょう。それは日本の刑事司法が否定されることでしょう。
── これまで、証券取引法違反の罪だけで起訴された場合は、実刑にはならず執行猶予が付く場合がほとんどです。その中で、今回実刑になった背景は何か考えられますか。バランスを欠いているように見えます。
そうですが、裁判というのは「裁判体」の個性が反映するんですよ。たとえば三重県の名張(毒)ぶどう酒事件でも、「裁判体」は違いますが、同じ高裁でも、かたや再審決定し、かたや再審開始決定を否定しているわけですから。
判決の内容がバランスを欠いているのは確かですが、なぜそうなったかについては分かりません。裁判官の考え方によるとしか言いようがないんじゃないですか。
── 金融自由化で、「護送船団方式」から「事後チェック型」へと金融統制システムが変わる中、国家の意思表示といいますか、時代が変わったことの象徴として、実刑にしたと見ることはできますか。
基本的には、一つの起訴とか一つの裁判に大きな意味を認めることには慎重であるべきだ、というのが僕の立場です。本来裁判所は、自分の裁判によって“時代を変えてやろう”とか、“時代が変わったことを国民に知らしめてやろう”と思って裁判するというのは間違っていると思うんですよね。そういうふうに見るのも、間違っていると思うし、裁判所はそういうつもりでやっていないと思うんですよ。
個々の裁判官が何を考えているか、それは分からないですよ。しかし、本来の裁判は、世の中を変えてやろうとか考えてやるべきものではないですよね。坦々と法律と証拠に基づいて粛々と判断していく。その結果が社会に受け入れられるものになろうが、社会から批判されるものになろうが、その他社会にどのような影響を与えるものになろうが、それは裁判官の判断とは関係ない、というものであるべきだし、そうあるはずなんですよ。裁判というものは。
今回の裁判でも、裁判所は裁判所なりにそうやって判断したと思うんだけれども、その判断の中身が、証拠の採否がおかしいと僕は思っているわけですね。量刑理由の採用の仕方もおかしい。
── 公判の中で、検察の捜査の行き過ぎた点やずさんさなどを指摘しておられましたが。
僕は検察が暴走していると思いますよ。検察が暴走した場合にストップをかけるのは、今の日本の制度では裁判所しかない。今回もその役割を裁判所に期待していたわけだけれども、期待に応えてくれなかった。裁判所がもし、検察の暴走にストップをかける能力がないとすると、日本の社会は非常に困ったことになりますね。その意味でも、僕は(会見で)今回の裁判は日本の刑事司法にとって残念だと言ったわけですね。真実を明らかにして処罰しなければいけない人を処罰するのも日本の刑事司法の機能だけれども、検察が暴走した時にストップをかけることも刑事司法の機能ですね。これは車の両輪ですから、どちらに偏ってもいけないと僕は思うんですね。
── ライブドアに強制捜査が入ってから、検察からマスコミに情報がリークされ、その中には事実と違うものも含まれていたようです。
従来のやり方では、検察サイドからリークした情報でマスコミがいろいろな記事を、憶測記事も含めて事実と違う記事を書いてしまって、裁判が始まる頃には社会的な風潮、雰囲気ができてしまっていることはよくあるわけですね。そういうことが是正されないと、裁判員制度がちゃんと機能するのか、一番心配になります。今のような状況は変えていかなければいけないと、痛切に思います。
今回、私のほうからいろいろと取材に応じたのは、一つは公判前整理手続きが公開法廷で行われていないので、何が行われていて、争点がどのように詰められているのか国民の方々に知ってもらう必要があり、裁判の透明性のためにも必要だと考えたからです。もう一つはやはり、検察側リークだけの情報ではなくて、被告人サイドからも情報を発信して、検察寄りに傾いている社会的な風潮を少しでも中立的なものに戻そうと考えていたんだけれども、結局はあまり戻らなかったかな、と思いますね。
本来、裁判というのは冷静な雰囲気の中で行われなければならないわけですね。公判が始まる前から、巨悪だという雰囲気が作り上げられている状態の中では、正しい裁判が行われないのではないかと強く心配しています。
── このような弊害への対策はありますか。
ないですね。こちらが教えてもらいたいですよ。どうすればいいんですか、と。今のままでは、とてもじゃないけどまともな裁判員裁判になりませんよ。【了】
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◆日本は人質司法。罪を認めなければ保釈されない」後藤昌弘〈弁護士〉2010-02-23 | 後藤昌弘 弁護士
6日朝刊の特報欄に「乱発!?再逮捕」の見出しで、特集記事が掲載されていた。鳥取や埼玉の連続不審死事件、千葉の女子大生殺害放火事件で、関与が疑われる女や男に対し、別の容疑での逮捕が繰り返されていることの問題点を指摘する記事である。
記事中にも書かれているが、長期間の身柄拘束が被疑者に与える影響は極めて大きい。注目を集める事件なら、新聞やテレビなどで実名入りで取り上げられ、その上に22日間も警察署や拘置所に身柄を拘束されるのである。
被疑者が否認すれば、多くは接見禁止の決定も下されるため、家族や同僚との面会や仕事の打ち合わせもできない。中小企業なら倒産の危機にひんすることになる。
実は、問題はそれだけではない。いったん逮捕され起訴された場合には、裁判で認めない限りは、保釈も認められないというのが最近の実情なのである。私は昔扱った贈収賄事件で、被疑者とこんな会話をしたことがある。
被疑者「このまま否認を続けたらどうなります?」
私「当分、保釈は認められません。裁判中、おそらく1年程度は、拘置所にいなければなりません」
被疑者「裁判で認めたら、どうなりますか?」
私「すぐ保釈で外に出られます。この事件なら執行猶予が認められると思います」
被疑者「無罪になっても、1年程度は拘置所にいなければならない。認めたらすぐに外に出られ、有罪になっても刑務所にはいかなくてよい。それなら、事実と違っていても、認めざるを得ないじゃないですか!」
再逮捕が繰り返される問題や、否認すると保釈が認められない問題は、裁判所が本来行うべきチェック機能を果たしていないことが大きな要因であるが、こうした実態が市民によく知られていないことも原因のひとつである。こうした背景を指摘する報道を引き続き期待したい。2010/2/14Sun.
・検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)
普通の人は、連日、検事から責められて辛い思いをすると、事実とは違っていても認めてしまう。しかし、裁判で事実を明らかにすれば覆ると思っているので、裁判に望みを託す。
日本の場合は人質司法で、罪を認めなければ保釈されないので、なおさらこの罠にはまりやすい。何日も自由を拘束されて、厳しい取調べで肉体的にも精神的にも苦痛を受け続けると、一刻も早く家に帰りたいと思うようになる。
事実であろうが、なかろうが、罪を認めれば、帰れる可能性が出てくる。そして、その場から逃れたい一心で、検事の言うがままになる。だが、これは、非常に甘い考えです。
と言うのも、一度、調書がつくられて、それにサインしてしまえば、それが事実ではなくても、裁判でも通ってしまうからです。客観的なアリバイなど、よほど明白な証拠でもない限り、弁護士でも検事調書の内容をひっくり返すのはむずかしい。
産経ニュース2010.11.8 20:00
関西プレスクラブの定例会が8日、大阪市北区のヒルトン大阪で開かれ、元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行氏(63)が「新しい権力機関・検察審査会」と題して講演した。
高井氏は、法改正で指定弁護士による強制起訴が可能になった検察審査会について「検察官なら起訴しない事件をより低い基準で起訴することが許される。新しい権力機関といえる」と指摘。ただ、強制起訴後の裁判で無罪になるケースもありうるとし、「取り返しがつくのか。(強制起訴の)悪影響も考えなければならない」と述べ、責任の所在を議論する必要性を訴えた。
さらに、審査内容が公開されないことについて「議決書に審査内容を書き込むようにすれば、どういうことが議論されたのか見えてくる。その程度の透明性を確保できなければ、民主主義社会の権力機関のあり方としては不適切だ」と情報公開の向上を求めた。
また、大阪地検特捜部の元主任検事が押収資料を改(かい)竄(ざん)した事件にも触れ、「検察側に不利な証拠でもきちんと評価できるかどうか。起訴してはいけないとなったときに引き返すことのできる検事を育てることが重要」と述べた。
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異例の実刑判決をどう評価するか--堀江判決 高井弁護人に聞く
【ライブドア・ニュース 2007年03月20日】
東京地裁は16日、ライブドア(LD)元社長の堀江貴文被告に、懲役2年6月を言い渡した。これまで証券取引法違反では執行猶予が付くことが多く、実刑判決は極めて異例なため、ネット上はもちろん、各メディアでは様々な評価が飛び交っている。この判決を当事者はどう受け止めたのか。東京地検特捜部時代はリクルート事件などを担当し、現在は堀江被告の主任弁護人を務める高井康行弁護士に聞いた。
── 今回の判決をどう評価していますか。
基本的にこの裁判の核心部分は、主に宮内証言の信用性をどう評価するかにかかっていたのですが、今回の判決が宮内証言の信用性の判断を誤っていると言わざるを得ない。判決においても、検察官の捜査が厳正公平さを欠いていることは認められています。我々の解釈としては、事実上の司法取引が宮内さんたちと検察の間で行われたことを判決は断定はしていないけれども、暗黙の内にしていると認めざるを得ない。そこまで認めておきながら、結果的に宮内証言の信用性を認める。しかも、それによって実刑にする。そういうことは、極めて遺憾である。
裁判所も、事実上の司法取引が宮内さんたちの証言に影響を与えている可能性は否定しきれないと考えていると思うけれども、宮内証言の信用性をいう時に、必ず「信用性のある熊谷証言と一致している」「信用性のある丸山証言と一致している」、あるいは「メールの記載と一致している」と、いちいち宮内証言以外の証言、物証をひいて、宮内証言の信用性を論じている。そうすると結局は、熊谷証言とか丸山証言と一致する範囲で宮内証言は信用性があると言っていると思うのだけれど、どの範囲で一致しているのかは判決文を見ていないので、正確なことは分からない。(取材時点では、裁判所から弁護側に判決文が渡されていない)
問題は、何を根拠に熊谷証言とか丸山証言に信用性があると裁判所が判断したのかになるのだけれども、その点はまだ判決文を見ていないので、詳しいことは分からない。今後、詳しい判決文が出るだろうから、それを見て、今言った問題点を検討する。控訴審では主張すべきところは主張し、さらに立証を尽くすところは尽くしていく。
実刑の理由として、LD株を売って140億円の資金が被告人の手元に入ったことを挙げているが、それは極めて不当だ。裁判所も、140億円を得るために本件犯行をしたと認定していないですね。検察官はそういうふうに主張したけれども、「その検察官の主張は認められない」とわざわざ否定しているわけですから。しかし、140億円が入っていることは確かなので、量刑の事情としては考慮すると言っているのだけれど、裁判所が認定しているようにたまたま入っているわけだから、それを理由にして実刑にするというのは、極めて失当だと思います。
── 判決において「無罪を主張しており、反省の情がない」と指摘していましたね。
反省の情がないから実刑だというなら、法廷で誰も「事実が違う」と言えなくなってしまいます。たとえば痴漢で間違って起訴された場合、無実だと言って、通れば無実だになるけれども、通らなければ実刑になってしまうと思えば、リスクが大きすぎて、本来無実の人が無実の主張ができなくなってしまいますよね。そしたら、もう裁判でなくなりますよね、そんなの。そこが一番の問題と思いますよ。
── もし逮捕されたら、やっていなくても罪を認めてしまったほうがいいというメッセージと受け取る人もいそうですね。
そうですよね。そういうように受け止める人がいても、まったく不思議じゃないですよ。とにかく起訴されたら、(起訴事実が)真実かどうかは関係なく、認めなさいよというメッセージと受け止める人がいても、おかしくないですよね。
(判決後の)記者会見の時、私は日本の刑事司法のためにも残念だと言ったんですけれど、それはそういう意味ですよ。判決を聞いて、“これは、実はやっていなくてもやったと認めたほうがいいんだな”と思う人がたぶん出てくるでしょう。それは日本の刑事司法が否定されることでしょう。
── これまで、証券取引法違反の罪だけで起訴された場合は、実刑にはならず執行猶予が付く場合がほとんどです。その中で、今回実刑になった背景は何か考えられますか。バランスを欠いているように見えます。
そうですが、裁判というのは「裁判体」の個性が反映するんですよ。たとえば三重県の名張(毒)ぶどう酒事件でも、「裁判体」は違いますが、同じ高裁でも、かたや再審決定し、かたや再審開始決定を否定しているわけですから。
判決の内容がバランスを欠いているのは確かですが、なぜそうなったかについては分かりません。裁判官の考え方によるとしか言いようがないんじゃないですか。
── 金融自由化で、「護送船団方式」から「事後チェック型」へと金融統制システムが変わる中、国家の意思表示といいますか、時代が変わったことの象徴として、実刑にしたと見ることはできますか。
基本的には、一つの起訴とか一つの裁判に大きな意味を認めることには慎重であるべきだ、というのが僕の立場です。本来裁判所は、自分の裁判によって“時代を変えてやろう”とか、“時代が変わったことを国民に知らしめてやろう”と思って裁判するというのは間違っていると思うんですよね。そういうふうに見るのも、間違っていると思うし、裁判所はそういうつもりでやっていないと思うんですよ。
個々の裁判官が何を考えているか、それは分からないですよ。しかし、本来の裁判は、世の中を変えてやろうとか考えてやるべきものではないですよね。坦々と法律と証拠に基づいて粛々と判断していく。その結果が社会に受け入れられるものになろうが、社会から批判されるものになろうが、その他社会にどのような影響を与えるものになろうが、それは裁判官の判断とは関係ない、というものであるべきだし、そうあるはずなんですよ。裁判というものは。
今回の裁判でも、裁判所は裁判所なりにそうやって判断したと思うんだけれども、その判断の中身が、証拠の採否がおかしいと僕は思っているわけですね。量刑理由の採用の仕方もおかしい。
── 公判の中で、検察の捜査の行き過ぎた点やずさんさなどを指摘しておられましたが。
僕は検察が暴走していると思いますよ。検察が暴走した場合にストップをかけるのは、今の日本の制度では裁判所しかない。今回もその役割を裁判所に期待していたわけだけれども、期待に応えてくれなかった。裁判所がもし、検察の暴走にストップをかける能力がないとすると、日本の社会は非常に困ったことになりますね。その意味でも、僕は(会見で)今回の裁判は日本の刑事司法にとって残念だと言ったわけですね。真実を明らかにして処罰しなければいけない人を処罰するのも日本の刑事司法の機能だけれども、検察が暴走した時にストップをかけることも刑事司法の機能ですね。これは車の両輪ですから、どちらに偏ってもいけないと僕は思うんですね。
── ライブドアに強制捜査が入ってから、検察からマスコミに情報がリークされ、その中には事実と違うものも含まれていたようです。
従来のやり方では、検察サイドからリークした情報でマスコミがいろいろな記事を、憶測記事も含めて事実と違う記事を書いてしまって、裁判が始まる頃には社会的な風潮、雰囲気ができてしまっていることはよくあるわけですね。そういうことが是正されないと、裁判員制度がちゃんと機能するのか、一番心配になります。今のような状況は変えていかなければいけないと、痛切に思います。
今回、私のほうからいろいろと取材に応じたのは、一つは公判前整理手続きが公開法廷で行われていないので、何が行われていて、争点がどのように詰められているのか国民の方々に知ってもらう必要があり、裁判の透明性のためにも必要だと考えたからです。もう一つはやはり、検察側リークだけの情報ではなくて、被告人サイドからも情報を発信して、検察寄りに傾いている社会的な風潮を少しでも中立的なものに戻そうと考えていたんだけれども、結局はあまり戻らなかったかな、と思いますね。
本来、裁判というのは冷静な雰囲気の中で行われなければならないわけですね。公判が始まる前から、巨悪だという雰囲気が作り上げられている状態の中では、正しい裁判が行われないのではないかと強く心配しています。
── このような弊害への対策はありますか。
ないですね。こちらが教えてもらいたいですよ。どうすればいいんですか、と。今のままでは、とてもじゃないけどまともな裁判員裁判になりませんよ。【了】
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◆日本は人質司法。罪を認めなければ保釈されない」後藤昌弘〈弁護士〉2010-02-23 | 後藤昌弘 弁護士
6日朝刊の特報欄に「乱発!?再逮捕」の見出しで、特集記事が掲載されていた。鳥取や埼玉の連続不審死事件、千葉の女子大生殺害放火事件で、関与が疑われる女や男に対し、別の容疑での逮捕が繰り返されていることの問題点を指摘する記事である。
記事中にも書かれているが、長期間の身柄拘束が被疑者に与える影響は極めて大きい。注目を集める事件なら、新聞やテレビなどで実名入りで取り上げられ、その上に22日間も警察署や拘置所に身柄を拘束されるのである。
被疑者が否認すれば、多くは接見禁止の決定も下されるため、家族や同僚との面会や仕事の打ち合わせもできない。中小企業なら倒産の危機にひんすることになる。
実は、問題はそれだけではない。いったん逮捕され起訴された場合には、裁判で認めない限りは、保釈も認められないというのが最近の実情なのである。私は昔扱った贈収賄事件で、被疑者とこんな会話をしたことがある。
被疑者「このまま否認を続けたらどうなります?」
私「当分、保釈は認められません。裁判中、おそらく1年程度は、拘置所にいなければなりません」
被疑者「裁判で認めたら、どうなりますか?」
私「すぐ保釈で外に出られます。この事件なら執行猶予が認められると思います」
被疑者「無罪になっても、1年程度は拘置所にいなければならない。認めたらすぐに外に出られ、有罪になっても刑務所にはいかなくてよい。それなら、事実と違っていても、認めざるを得ないじゃないですか!」
再逮捕が繰り返される問題や、否認すると保釈が認められない問題は、裁判所が本来行うべきチェック機能を果たしていないことが大きな要因であるが、こうした実態が市民によく知られていないことも原因のひとつである。こうした背景を指摘する報道を引き続き期待したい。2010/2/14Sun.
・検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)
普通の人は、連日、検事から責められて辛い思いをすると、事実とは違っていても認めてしまう。しかし、裁判で事実を明らかにすれば覆ると思っているので、裁判に望みを託す。
日本の場合は人質司法で、罪を認めなければ保釈されないので、なおさらこの罠にはまりやすい。何日も自由を拘束されて、厳しい取調べで肉体的にも精神的にも苦痛を受け続けると、一刻も早く家に帰りたいと思うようになる。
事実であろうが、なかろうが、罪を認めれば、帰れる可能性が出てくる。そして、その場から逃れたい一心で、検事の言うがままになる。だが、これは、非常に甘い考えです。
と言うのも、一度、調書がつくられて、それにサインしてしまえば、それが事実ではなくても、裁判でも通ってしまうからです。客観的なアリバイなど、よほど明白な証拠でもない限り、弁護士でも検事調書の内容をひっくり返すのはむずかしい。