北方領土交渉 「56年宣言」基礎は危うい 四島返還の原則を揺るがすな 2018.11.16

2018-11-17 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【主張】北方領土交渉 「56年宣言」基礎は危うい 四島返還の原則を揺るがすな
2018.11.16 05:00|コラム|主張
 安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約締結の交渉を加速させることで合意した。
 日ソ共同宣言には、平和条約の締結後に、北方四島のうち色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島を引き渡すと記されている。このため、安倍首相が「2島返還」を軸にした交渉に舵(かじ)を切ったとの見方が出ている。
 そうだとすれば、共同宣言以降の60年余り、四島の返還を目指して日本が積み上げてきた領土交渉をないがしろにしかねない。
 合意が、四島返還につながる道筋を示していないのは極めて残念だ。ロシアが、日本は四島を取り戻すという立場を後退させたとみなす恐れがある。
 ≪日本の後退とみられる≫
 日本が忘れてはならないのは、四島はロシアに不法占拠された日本固有の領土であるという点だ。四島返還を確かなものにすることなしに平和条約を結ぶとすれば、締結の時点で約束された以外の固有の領土を、日本が事実上放棄することになりかねない。
 「日ソ両国によって批准もされた共同宣言は、他の交渉文書と重みが全く異なる」
 これは従来、プーチン政権が繰り返し使ってきた論法である。交渉の範囲を、色丹、歯舞に限定したい意図が透けて見える。
 だが、日露両国の首脳は1993年に、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹、歯舞の「四島の帰属」を「法と正義」の原則によって解決するとした東京宣言に署名している。
 プーチン氏自身が署名した2001年のイルクーツク声明は、日ソ共同宣言が交渉の出発点を記した「基本的文書」としつつ、東京宣言に基づいて四島の帰属問題を解決するとうたっている。
 今回の安倍首相とプーチン氏の合意は、共同宣言が「格上」であるというロシア側の主張に迎合したものではないのか。
 不安が募るのは、安倍首相による会談後の記者団への説明で「四島返還」への言及がなかった点である
 なぜ日本が色丹、歯舞だけでなく、国後、択捉を含む四島返還を目指してきたか。それは、四島全てがそこで生まれ暮らした日本人のふるさとであるからだ。さらに、1855年の日露和親条約で国境線が択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に定められて以降、四島が外国に帰属したことは一度もなかったからである。
 先の大戦末期に、日ソ中立条約を破って参戦したソ連が、北方四島を不法占拠した。プーチン氏のロシアが行ったクリミア併合と同じ「力による現状変更」にほかならない。
 安倍首相とプーチン氏は「戦後70年以上、平和条約が締結されていないのは異常な状態だ」との認識を示してきたが、それを招いたのは、ひとえに不法占拠を続けてきたロシア側なのである。
 ≪中韓の視線に注意せよ≫
 領土は、国民や主権と並んで国の根幹をなすものだ。先祖から受け継いだ領土を守り、子孫に引き継ぐ。不法占拠されている領土は取り戻す。それが今に生きる世代がとるべき立場である。
 色丹、歯舞は四島の面積のうちわずか7%にすぎない。これだけが日本の求めてきた領土返還でないのは自明であろう。
 法と正義を重視して交渉を続けてきた、これまでの経緯を安倍首相は軽んじるべきでない。
 共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という課題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ。
 「人質」をとられてソ連と交渉した当時の厳しい状況を踏まえなくてはならない。苦肉の策で結んだ共同宣言を基礎に「2島返還」だけを目指すとすれば、ロシアの思うつぼである。
 日本が追求すべきは、不法占拠された四島の返還であり、空疎な「平和条約」ではない。
 国内には、色丹、歯舞の引き渡しに、残る2島の自由往来や共同経済活動を組み合わせればいいという声がある。危うい考え方だと言わざるを得ない。
 日本の四島返還の対応を尖閣諸島の奪取を狙う中国や、竹島を不法占拠する韓国が注視している。ロシアとの拙速な交渉は中韓両国につけいる隙を与えるという意味でも後世に禍根を残す。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖
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四島一括か二島先行か…揺れ続けてきた日露交渉史
2018.11.15 21:05|国際|欧州・ロシア
 北方領土をめぐる日露交渉は「四島一括返還」の原則論と「2島先行返還」論の間で揺れ動いてきた。安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が昭和31(1956)年の日ソ共同宣言を基礎に今後3年以内の平和条約締結を目指すことで合意し、日露交渉は大きく動き出すことになる。
 首相とプーチン氏が今後の交渉の基礎と位置づけた日ソ共同宣言は昭和31年10月、鳩山一郎首相ら訪ソ団とブルガーニン首相らソ連首脳が署名した最重要文書といえる。
 ソ連が不法に占領した北方四島について、共同宣言第9項は「平和条約締結後、歯舞群島および色丹島を日本に引き渡す」と明記している。
 だが、岸信介首相が進めた昭和35(1960)年の日米安保条約改定にソ連は「極東の平和を阻害する」と猛反発した。フルシチョフ首相は池田勇人首相への書簡で「領土問題は解決済み」と通告し、交渉は大きく後退した。
 その後、ソ連は態度を軟化させたこともあった。米ソの冷戦が激化する中、田中角栄首相とソ連首脳は昭和48(1973)年の共同声明で、平和条約締結の前提として「第二次大戦の時からの未解決の諸問題」を解決することをうたい、北方領土問題の交渉を継続することが確認された。それでも具体的な進展はなかった。
 長い膠着状態の後、平成3(1991)年のソ連崩壊を機に領土交渉は再び動き始めた。
 平成5(1993)年に細川護煕首相とロシアのエリツィン大統領は東京宣言に署名し、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を歴史的、法的事実に立脚し、法と正義の原則を基礎として解決する」と明記した。
 さらに橋本龍太郎首相はエリツィン氏と平成9(1997)年に「2000年までの平和条約締結に全力を尽くす」とのクラスノヤルスク合意を交わす。橋本氏は平成10(1998)年に非公式の「川奈提案」で択捉、ウルップ両島の間で国境線を画定し、ロシアの施政権返還を先送りすることも持ち掛けた。
 ただ、この提案はロシア側の強硬な抵抗により、合意には至らなかった。
 その後大きな転機となったのは、森喜朗首相とプーチン大統領が平成13(2001)年3月に署名したイルクーツク声明だ。
 日ソ共同宣言を「平和条約交渉プロセスの出発点」と位置づけ、初めて文書で有効性を確認。森氏の提案で「歯舞群島と色丹島」と「国後、択捉両島」の交渉を分離する並行協議でも合意した。
 交渉は加速するかにみえたが、直後に森氏は退陣。後任の小泉純一郎首相が抜擢(ばってき)した田中真紀子外相は、父の角栄氏が交わした日ソ共同声明が領土交渉の原点だとして「四島一括返還」を掲げ、交渉は振り出しに戻ってしまった。
 平成22(2010)年の旧民主党政権時代には、メドベージェフ大統領がロシア最高指導者として初めて北方領土(国後島)を訪れ、返還の夢は潰(つい)えたかに見えた。
 事態が再び動いたのは平成24(2012)年3月だった。プーチン氏が柔道の「引き分け」を例に挙げ、日露双方が受け入れられる解決策の必要性に言及した。同年末に政権を奪還した安倍晋三首相は、森氏をパイプ役にプーチン氏との親交を深めていった。平成28(2016)年5月には「新たなアプローチ」を提案し、難局を突破する足がかりを作った。そして23回目の首脳会談で交渉は大きな転換点を迎えた。=肩書は当時(清宮真一)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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ロシア=“約束を守らぬ国”のしたたかさ / 北方領土買い戻そうとした=「ソ連が提案」小沢一郎氏
帝国主義化する世界、 欧米と一線を画す対ロ政策で北方領土・尖閣諸島を守れ~佐藤優氏 
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『知の武装 救国のインテリジェンス』手嶋龍一×佐藤優 新潮新書 2013年12月20日初版発行
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『アメリカの新・中国戦略を知らない日本人』アメリカは尖閣で戦う! 日高義樹 ハドソン研究所首席研究員 PHP研究所2013年2月27日第1版第1刷発行
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