<少年と罪>第7部 さまよう家族 (6)遺言 永山則夫事件

2018-01-29 | 少年 社会

<少年と罪>第7部 さまよう家族 (6)遺言  永山の教訓 いまこそ
2018/1/27 朝刊

  
  永山則夫の精神鑑定書のコピーを読む石川。事件の教訓をいま、再認識するべきだと考える=東京都国立市で
 最後の面接を終えると、レンズの向こうで「連続射殺魔」は少し、はにかんで、邪気のない表情を見せた。カメラのシャッターを切ったのは、精神科医の石川義博(82)。「すべてを話してくれた」。ボタンの感触とともに、信頼関係を築き上げた手応えを感じた。
 永山則夫。19歳だった1968年、短銃で4人を撃ち殺した。最高裁が判決で「死刑適用の基準」を示したことで、後世に名を残した。対照的に、永山の心理を詳細に聞き取った182㌻の精神鑑定書の存在はあまり知られていない。
 捜査段階で動機を語らず、東京地裁の法廷で「貧乏が憎いからやったんだ」と叫んだ永山。石川は一審公判中の74年、計100時間以上の面接を重ねた。浮かんできたのは、極貧家庭の隅で虐待を受けて縮こまる姿だった。
 永山は北海道で、8人きょうだいの4男として生まれた。幼少期に母親に捨てられ、ごみをあさって生き延びた。再び一緒に暮らすようになったが、母は「ばくちにのめり込んだ夫に似ている」という理由で永山を嫌って育児を放棄。次兄からは理由もなく気絶するまで殴られた。「メシの時も俺だけ、のけ者なんだ」
 15歳の春に集団就職で上京した後も、苦しいときに家族を頼っては裏切られた。石川が注目したのは、二人を殺した後に永山が次兄を訪ねた場面だった。
 「人、殺してきた。北海道で自殺する」。止めてくれると期待した永山を、次兄は「手間をかけずに死ね」と突き放した。
 その時の心境を永山は「これまでの生活の結晶点」と石川に語った。「このまま死ぬのは悔しい。強い恨みが心の中で渦巻いた」。その後、2人を殺した。
 暗い表情で話す永山を見て、石川は「この強い恨みが、自分以外のすべてを敵視させた」と確信した。「自分を厄介者扱いして見捨てた親、兄、ひいては社会全体に対して、憎悪と恨みの塊と化していた」。鑑定書に、そう綴った。
 一審は生い立ちを重視せず、死刑を宣告。二審は「愛情面でも経済面でも極めて貧しい環境に育った。社会的、精神的な発達も未熟」無期懲役に。石川の鑑定書に依拠した判決だったが、最高裁が破棄し、最終的に死刑が確定した。
 永山は獄中から、手記「無知の涙」など著作の印税収入を遺族に送り続けた。鑑定書を死刑執行の日まで大切に所持していた。
 石川には、不信感で凝り固まった心を解いて、罪と向き合わせたという自負がある。その後、精神鑑定は一度も引き受けていない。それでも、臨床医として非行少年と向き合ってきた40年以上の間、永山の一言一言は、常に心の片隅にあった。「遺言」のように。
 貧困だから事件が起きたとは言い切れない。だが家族から受けた心の傷は、とんでもない事件を起す種になる。
 子どもの7人に1人が貧困家庭で育ち、国が把握する虐待件数が過去最高となった現代。「永山のような極貧ではなくても、格差の拡大や家族の崩壊が少年事件につながる点は当時と共通している」と石川。「第2の永山を出さないために、いまこそ事件の教訓を再認識する時だ」(敬称略)=終わり

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖) *本編、第7部は(1)~(6)までの連載でしたが、弊ブログでは(2)と(6)のみ、掲載いたしました。

<少年と罪>第7部 さまよう家族 (2)予兆 「佐世保高1同級生殺害事件」
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永山則夫事件 判決文抜粋(所謂「永山基準」) 
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正義のかたち:裁判官の告白/1 永山事件・死刑判決 2008-04-13 
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2 コメント

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あやか様 コメント、感謝です。 (ゆうこ)
2018-01-30 09:33:05
 永山さんの著作は、もう昔のことになりますが、読みました。あれを旧東京拘置所の獄窓で書いたのですね。手に余る葛藤を抱えて生きた人生。石川さんの言う、
>貧困だから事件が起きたとは言い切れない。だが家族から受けた心の傷は、とんでもない事件を起す種になる。
 は、世にある犯罪の起きる根本を明らかにしていますね。少年事件でも明らかなように、犯罪の根本原因は、「家族」です。このことを、私は勝田清孝など、実に多く事件によって知りました。
>まあ、最近の左翼ブロガーよりもずっと『名文?』だと思いますね。
 嬉しくなって、笑っちゃいました。ブロガーって言葉があるようですが、「左翼」でなくとも、ブロガーなんて、別に物書きではありませんからね。「綴り方」を心得た人なんて、ろくにいないでしょう。
 あやか様のコメント、いつも爽快です。ありがとうございます。
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無知の涙 (あやか)
2018-01-30 08:46:29
永山則夫さんの事は聞いたことはあります。
図書館で、永山さんの本『無知の涙』を読んだことがあります。
『自分の犯行は、最底辺のプロレタリアの抵抗の意志表示である』とか何か、そういう趣旨のことを、繰り返し主張してました。。。。。。かなり、身勝手な自己正当化だと思いますが。。。。。。
 永山さんは、いわゆる『団塊の世代』の人ですね。おそらく同世代の当時の左派系青年と同じ価値観の影響は受けてるんじゃないでしょうか?
 でも、文章力はあると思います。『無知の涙』を見ても、それなりに理路整然としていますし、『詩』なども才能があると思います。
まあ、最近の左翼ブロガーよりもずっと『名文?』だと思いますね。
 ただ、あの『無知の涙』には、永山さんの幼少年時代の良い思い出は、ほとんど書かれていませんね。たいていの人だったら、少年時代の思い出は印象に残っていると思いますし、特に団塊の世代のかただったら、購入したばかりのテレビにかじりついて見た‘’正義の冒険探偵ドラマ‘’とか、少年雑誌の熱血少年漫画を読んだ思い出があると思うんですが。。。。(私が知ってる団塊世代の熟年男性のかたは、そんな話ばっかりしてらっしゃいます。(笑))
 きっと、永山さんは貧しくて、そんなのを見る余裕もなかったんですね。可哀想です。
永山さんも、もう少し恵まれた条件で育ったら、幸せな人生がおくられたかも知れません。
 でも、永山則夫さんは、死刑死亡者としては立派なお葬式はしてもらえたらしいですね。(支援者はいっぱいいましたから)
 御遺骨は、獄中結婚した奥様の手で、北海道の海に散布されたらしいです。(本人の希望)
まあ、あの世で、幸せになっていただきたいです。


 
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