〈手記『絶歌』〉亀と浦島太郎の像で 「少年A」更生を信じた「関東医療少年院」元院長

2018-06-26 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

〈手記『絶歌』〉亀と浦島太郎の像で「少年A」更生を信じた「関東医療少年院」元院長
週刊新潮 2015年7月16日号掲載
 元少年A(33)が敬慕してやまぬ三島由紀夫の小説に、こんな一節がある。〈その苦悩に虚栄心の白粉(おしろい)でもって化粧をほどこし、それを何か中途半端な、あいまいな、一種グロテスクなものに仕立ててしまう〉(『禁色』)。Aがものした手記『絶歌』の性格を的確に言い当てているが、そもそも彼は完全に治ったのか。2003年3月、仮退院を申請した関東医療少年院の元院長は、その更生を亀と浦島太郎の像で信じたというのだ。
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 去る2日放送のNHK『クローズアップ現代』は、「“元少年A”手記出版の波紋」と題し、その当否を問う内容だった。当番組に登場したのが、杉本研士氏(76)。他ならぬ関東医療少年院の元院長で精神科医である。
〈6年に及ぶ教育で杉本さんは少年の心の変化を確かに感じていたと言います〉
 というナレーションに続いて、杉本元院長は大要こう述べたのだ。
〈入ってきたときは、ものすごい怪獣がのたうちまわったみたいなものを作っていた。これね、退院間際に作った土鍋なんですよ。誰が見てもかわいらしく、おとなしい作品。少年の内面にある凄まじい葛藤がかなり収まっているな、と〉
 この土鍋こそが、冒頭に記した亀と浦島太郎の像なのだ。
「院の活動には陶芸の時間があって、粘土細工に色をつけて焼くまで行ないます。彼の作品は当初と比べ、だんだん変化していきました」
 と、杉本氏ご当人が次のように打ち明ける。
「ところでこれは、ただの土鍋ではありません。蓋が亀を表し、その甲羅の上に釣竿を持った人が乗っている。それが浦島太郎であり、要するに“長きに亘って横道へそれてしまったが、軌道修正して行く”というイメージなのです。いわば、彼の攻撃性が薄れたことの象徴と解釈できるでしょう」
■「他人事の発言」
 杉本氏が続ける。
「彼が患っていた性的サディズムは、治らないというのが定説。だが、我々は出来るだけ頑張った。いけるんじゃないか、戻し時ではないか。そう判断したから、仮退院の申請を出したのです」
 本当に更生したのか。その点について、『「少年A」14歳の肖像』(新潮文庫)の著者で作家の高山文彦氏は、
「手記は、必ず書かれなければならない『精神鑑定』と『医療少年院での日々』に触れていません。彼は真実と向き合えておらず、したがって更生できていないと感じます」
 と評し、こう断じる。
「彼は自分の内面を評価されることを怖れていましたが、その心の葛藤こそ記述すべきだった。さらに、少年院での6年間の変遷を語ることで、更生の足取りを示すことができたのに、それもない。手記は、真実へ立ち向かっていくにはあまりに弱々しく、しかもずる賢いやり方だと思います」
 ひるがえって、元院長を論難するのが、番組を見た「全国犯罪被害者の会」代表幹事代行の林良平氏である。
「粘土細工に変化が見られるから大丈夫と言いますが、果たしてそうでしょうか。今回は手記で済んだものの、私は再犯を心配しています。これから誰かを傷つけるようなことがあったとして、誰がどう責任を取るのか。何かが起きても、少年院に科されるものが皆無だから、杉本さんのように他人事の発言になってしまうのです」
 改めて、杉本氏にAの更生について聞くと、
「まだ完全に治っていなくて途中なんでしょう。不完全だけど、何とか社会でやっていけるのではないかとなれば、いつまでも拘束しておくわけにはいかない。私は神様じゃないんですよ」
 と一蹴し、Aの手記出版を悔しがるばかり。元院長ご本人が下した仮退院申請の甘さも、後ろめたさをもって生きるべきである。
「ワイド特集 天地の狭間のドタバタ劇」より
 
 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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NHK『クローズアップ現代』 No.36792015年7月2日(木)放送
“元少年A” 手記出版の波紋
18年前、神戸市で起きた児童連続殺傷事件。当時、小学6年の土師淳君ら2人の児童が殺害されました。遺体の一部を中学校の校門に置くという犯行の残忍さや、犯人が当時14歳の少年だったことが社会を震撼させました。あれから18年。その元少年によって書かれた今回の手記。みずからの生い立ちや生々しい犯行時の様子、そのときの心境などが記されています。
■“元少年A”手記出版 憤る遺族
 殺害された淳君の父親、土師守さんです。土師さんのもとには5月の命日に合わせて、毎年、元少年から謝罪の手紙が届けられてきました。今年(2015年)届いた手紙から、土師さんは少年の変化を感じていました。初めて、事件に至った経緯などが詳しく書かれていて、分量もこれまでの10倍ほどに及んでいたといいます。
 「非常に長い手紙でしたし、彼なりに分析をして事件のことについて書いていたように思いましたので、これでひとつの区切りにしようかと、そのときは思いました。」
 しかし、それから僅か1か月後。事前の連絡も全くない中で、土師さんは手記が出版されることを新聞の報道で知ったのです。
 「殺人の状況を世間一般の興味本位で読む人に読ませるわけですから、そういうことを考えるだけでも私にはつらいことになります。事件のときに子どもを殺されて、命を奪われて、また今回も精神的に彼に殺されたのかなと思っている。」
■“元少年A”手記出版 更生みつめた医師は
 手記の出版は、元少年の更生にも深刻な影響を及ぼすと見ている人もいます。関東医療少年院の院長として元少年の更生に関わった、精神科医の杉本研士さんです。

   
    元少年の更生に関わった精神科医 杉本研士さん
「特別処遇チームというのがここにあって。」男女2人の精神科医が親のように関わりながら取り組んだ更生教育。その中で最も重点を置いたのは、事件について話し合い、被害者と遺族へのしょく罪の意識を高めていくことでした。」
 6年に及ぶ教育で、杉本さんは少年の心の変化を確かに感じていたといいます。
 「(元少年が)入ってきた初めのうちは、怪獣がのたうち回ったみたいな物を作っていた。これは少年が退院間際に作った土鍋なんですよ。誰が見てもかわいらしい作品ですけど。この子の内面のすごさ、すさまじい葛藤というのは治まっているなと。」

  
 元少年が遺族に伝えることなく手記の出版に踏み切ったことで、これまで積み重ねてきたものが崩れてしまったと感じています。
「乱暴なことをしたなというのがまず第一。ご遺族の方が彼を信用しようと手を伸ばしたところを振り払われたのだから。 結果としてこれは失敗と言わざるを得ない。」
 今回、杉本さんは手記を通して社会に出たあとの元少年の暮らしぶりを初めて知りました。
 2005年、元少年は保護観察期間を終え、1人で社会生活を始めました。仕事や住まいを転々とする生活を繰り返した元少年。手記には、周囲にみずからの過去を明かすことのできない苦しみを記しています。
 “ふとした拍子に、自分は何者で何をしてきた人間なのかを思い出すと、いきなり崖から突き落とされたような気持ちになる。こんな思いをするくらいなら少年院から出なければよかったと本気で思った。”
 杉本さんは、元少年が思いを誰にも打ち明けられない中で手記の出版へと駆り立てられていったのではないかと見ています。
「これを書くことによって癒されようとした。書いているうちに陶酔してきて、すごい作品だと思い込んだんだろう。これだけ一生懸命書いたからには許されるんじゃないかみたいな一方的な甘え、要するに判断が混乱している。そういうふうにしか理解できない。」 手記の出版を社会はどう受け止めたのか。
 都内の大学では犯罪心理学の授業でも手記が取り上げられていました。
 手記の出版に対する学生たちの意見は大きく分かれました。
 実際に本を購入して読んだという学生は15人中5人。
学生「今までこういった事件も雑誌、本、ニュースだったりで聞いているのですけど、本当に当事者が何を思ったのかというのは、またとない機会ではないのかな。」
 しかし、学生の大半は内容に興味があるものの、出版への抵抗感を抱いていました。
 学生「出版する意図についても、社会人としても理解ができない。」
 学生「遺族の方はどうなるのかなと。ただの自己満足で出版をしたのでは。」
 学生「印税を加害者が全部もらっているようなら、すごいおかしいというか。」
 さらにインターネットの中では、不買運動や出版の差し止めなどを求める厳しい批判も広がっています。こうした中、手記を閲覧する機会を制限しようという動きも出てきています。
 被害者、土師淳君のお墓がある兵庫県・明石市です。
 発売から1週間後、市では市立図書館で手記を購入しないことを決めました。市民の閲覧する権利を制限してでも遺族感情に配慮すべきだと考えたのです。
 その根拠としたのが、市が去年(2014年)改正し、その後初めて適用した犯罪被害者や遺族を支援する条例です。
 遺族などが中傷や報道などで精神的苦痛を受けないよう、必要な支援を行うとしています。
 今回、市は、手記が遺族に苦痛を与えていると判断し対策を取ることにしたのです。
 さらに市は、市内の書店にも協力を要請しました。
 市立図書館などでは手記の購入をしないことを伝えたうえで、書店にも十分な配慮を求めました。
 明石市 泉房穂市長「今回の行為は表現の自由の名をかりた暴力的な行為であって、そこはそれを容認したり、中立の名のもとに我関せずではなく、そういった暴力的な行為についてはそれはいけないことだと前提とした対応をしていくほうが、被害者、ご遺族の気持ちに近い対応だと思います。」
 一方で、手記の出版への批判が強まる風潮に違和感を感じている人もいます。
 ドキュメンタリー映画の監督として、加害者の視点から事件を描いた経験を持つ森達也さんです。森さんは、遺族の理解を得る努力を最大限するべきだったとしながらもいかなる言論も規制されてはならないと強く主張しています。
 「知ることを拒絶することは一番の犯罪だと思います。それを社会全体がやってしまってはだめです。どんな声にも耳を傾けたいし、事件が重大であればあるほどあらゆる観点から知りたいし、どんな理由であれ、それを封殺すべきではないと思います。歯を食いしばって加害者の声も聞くべきだと僕は思いますけど。」
 さらに森さんは、これまでも重大事件の受刑者や被告が手記を出版することはあったにもかかわらず、元少年の手記にことさら批判が集中していることにも注目しています。その背景には、元少年が少年法の下で社会的制裁を免れているのではないかという根強い不満があると見ています。
 「この10年間の中でも2回少年法が変わってますから、まだまだ要するに足りないと。だから本音としては、少年だからって悪いことしたんだから名前と顔出せっていう意識がとても強くなっていますから、この“少年A”っていうのはまさしく少年法で守られている存在であると。そういった存在がこういった本を出しているということで、余計それが逆なでしているという可能性はある。」
──違和感が渦巻いている状況、どう見る?
ゲスト柳田邦男さん(ノンフィクション作家)
 これはね、出版よしとしても悪いとしてもですね、簡単に白黒でどちらかによしあしをつける問題ではなくて、いろんな要素が絡んでいて、それを整然と区分けしながら、どうあるべきかっていうこれからの社会の在り方や表現の問題というものを考えていく、そういうきっかけにしなければ、なんの収穫にもならないと思うんですよね。
──被害者遺族の声、どう聞く?
土師守さんから寄せられたメール
 「最も重要なことは、加害者が、被害者・被害者遺族をさらに苦しめる権利があるのか、さらにはそれを社会、国家として認めるのか、ということです。被害者は、加害者からのさらなる被害を甘んじて受けなければならないのか、被害者の人権は守られる必要がないのか、ということが大きな問題点です。」
 私はね、被害者学っていうのが必要じゃないかと思うぐらい、この十数年ですね、犯罪にしろ、災害にしろ、事故にしろ、あるいは戦争にしろ、被害者の視点からものを考えるっていうことを社会の中できちっと位置づけないといけないと。
 ただ社会の片隅で苦しんでいるだけでは、本当に社会が教訓を読み取れないと。
 この犯罪の被害者は、とりわけ少年事件で幼い子を殺された親というのは、生きるだけで精いっぱいなぐらいつらい思いをしているわけです。
 中には家族が崩壊するような事態さえ起こりかねないような、大変な人生を歩んでいるわけです。
 それに対する加害者側のしょく罪っていうのが明確に示されないと、被害者は生きるのもいつまでたってもメドが立ってこないみたいなところがあるんですね。
 では一体、加害者側のしょく罪っていうのは、どういうものなのか。
 これは「ごめんなさい」というような型どおりのことばで済むものではなくて、その生き方や、あるいは何か表現するならば、その表現自体から、全体から伝わってくる、本当に加害者が自分が人間としてどう生きることがしょく罪になるのかというのが伝わってくるようでなければですね、被害者も納得感を持てないと思うんですよね。
──今回は、ことば・文章によって犯罪の詳細なども書かれている それに深く傷ついているということへの想像力は十分あった?
 いやこれはね、少年Aがこの、ものを書くという必然性は理解できるんです。
 これはどういうことかというと、人間は、ある意味で限界状況、例えば死が迫ってくるとか、あるいは戦争の危機とか、あるいは病気で死期が近いとかそういうときに、手記や体験記や闘病記や、そういうのを書くわけですね。
 なぜ書くかというと、やっぱり自分の存在証明みたいなものをつかまないかぎり生きられない、あるいは死を迎えられないという、そういう思いがあるわけですね。
 恐らくこの少年は、少年院出てから、なんとか初めのうちはパートで働きながらも自分で生きていかなきゃっていうことで、そしてまた罪を滅ぼさなきゃという思いはあったと思うんですよね。
 でも、やはり過去に罪を犯し、しかも異常な事件だった。
 社会の目が厳しい、匿名で生きなきゃいけない、さまざまな中で、疎外感と孤立感の中で、だんだんだんだんこの自分の世界に閉じこもっていってしまう。
 その閉じこもっていたときに、最初に精神鑑定を、家庭裁判所で提出した精神鑑定書、この中でも最後に、この少年がやがて矯正を経て通常の人間の感性や思考力を持つようになったら、非常に難しい問題に直面する。
 それは、生きるだけの支えってものが、自分でどう見つけていかなきゃいけないとか、そのためにはさまざまな問題があるわけですが、場合によると自殺念慮という形で、もう自分を否定するような方向にいかなきゃ、あるいは自暴自棄になる可能性がある。
 あるいはもう1つの道として、必死に生きるために自分を他者に分かってほしいとかですね、つまり、表現活動をするという、これは過去の死刑囚なんかでしばしばあった。
 永山則夫事件なんていうのも本当に文学賞の候補になったぐらいのものを書いたりした例もあるわけですけれど、この少年もですね、本を読んでいますとものすごく追い詰められた孤立感と疎外感を持っている。
(住まいも職も転々としていた様子がうかがえるが?)
 そうですね、始めのうちは食べて生きていくことに懸命ですから、パートであれなんであれやってるんですが、それが続くうちに、何かその保護観察的な視線が絶えず自分の身の周りにある、実際にケアワーカーみたいな形で、法律の専門家がケアチームというような形で関わっているわけですね。
 それさえうるさく感じて1人で生きたいというところにいくわけですが、今度は1人でいくと、ものすごい孤立感というものを避けられないわけですね。
 それが先ほどの年表なんかの経過の中で、10年以上続くともう耐えられないものになってきたんだろうと思いますね。
──出版に対する抵抗感、否定的な声が上がっているが?
太田出版のコメント(ホームページより)
 「ご遺族の心を乱すものであるとしてご批判を受けています。そのことは重く受け止めています。
 加害者の考えをさらけ出すことには深刻な少年犯罪を考える上で大きな社会的意味があると考え、最終的に出版に踏み切りました。」
 この社会的意味ということが1つの重要なポイントだと思うんですけれども、この本を読みますとね、社会的な意味を提起する最も重要な部分が欠けている。
 それは、あれだけ異常な犯罪を犯した少年がですね、更生の道を歩むまでの医療少年院での6年間、どのように更生が可能だったのかということを本人が書くということが、一番社会的に意味があるんですね。そこがすぽんと抜けているんですね。
 そして、自分の犯行の詳細なところとそれから出所後の苦労話と、これが書いてあるわけですね。
 時々、ものすごくしょく罪的なことばがあるけれども、それが被害者にとってそくそくと伝わってくるようなことばじゃない。通り一遍で終わっている。しかも時々文学的な表現というか、誰が書いているんだろうと、まるで第三者的なところもあるわけです。
 ですから土師さんは、2度殺されたっていう意識は、もう思い出したくもないようなむごたらしいことを詳細に書いているところなんていうのは、本当にしょく罪意識があったら表現するわけはないんですよね。
(本来は、どうやって表現の自由の部分と、遺族との感情の対立を?)
 これはね、表現の自由っていうのを守らなければいけないんですが、これは政治とかイデオロギーだとか絶対的に守らなければいけないんですが、こういう殺人事件なんかの場合は非常に人間関係が身近ですし、そういうときに出版という、社会化する過程で出版の編集業務っていうのは、ものすごく重要な意味を持つ。
 編集者が、これでは遺族を傷つけるからここはどうするか、こうするとか、そうしてなおかつ被害者側、遺族の側等のすり合わせっていうのに対して十分な配慮をすること、それは自己規制ではなくて、むしろ表現の自由を守るための編集者の基本的な努力だと思うんですよね。

 ◎上記事は【『NHK クローズアップ現代』】からの転載・引用です
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『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 太田出版 (神戸連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗) 

   

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【元少年Aを闇に戻したのは誰か 7年2カ月の更生期間が水の泡】杉本研士・関東医療少年院元院長 2015/9/16

    

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