「凶悪犯罪とは何か」1、三人の元少年に死刑判決が出た 木曽川・長良川事件高裁判決

2007-10-18 | 光市母子殺害事件

http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kyouaku2.htm

【2】

村上 木曽川・長良川事件は、今、先生がおっしゃったことが実態であり、本質だと僕は思うんです。事件というのは実際にはそういう形で、ああいうような悲惨な結果になった。しかし、今回の死刑判決は今加藤先生がご指摘された点に全然目を向けていません。実態は、未成熟な少年たちがバラバラの状態で集団を作り行動していたのに、判決では、組織化された大人の、暴力団組織の仲間たちが、ちゃんと統制された形でやったという形で判決は出ているんですね。それで、なぜこういうふうになるかというと、これは思ったより世の中の人たちが求めている兇悪犯人像に合わせているような気がしてしょうがないんですね。ですから事件が起きたときは、凶悪犯だ何だかんだと言って、そのあと、裁判で深く追求していくとその実態がわかってきて、僕なんかは自分の被告人、KAと会っていますと、自分も同じような立場に立ったら、僕もそんなに変わらないと思いますもの。でも、1審はある程度その悩みの中で判決を出していると思いましたが、控訴審になったときには、まったくそれが配慮されていない。むしろ世の中の人がある程度考えているような凶悪犯人像に合わせた形で判決を書いている。木曽川・長良川事件の本質というのはそこにあると思います。

平川 「凶悪」という判決になるのには、裁判所と、マスメディアと、それから世論というか一般の人たちの感覚と、この3つがあるように思います。そして、中心にいるのは、マスメディアだと思います。
 事件の本質は、いま加藤先生がおっしゃったようなところにある。ところが、そういうことがメディアには全然出てこない。私は、マスメディアは事実は伝えているけれども真実は伝えていないということを、よく言います。マスメディアは、断片的な事実は伝えているけれども、事柄の本質、本当の意味での真実は伝えていない。それは、事件報道だけではなくて、ありとあらゆるところにそれがある。イラク報道でもそうだと思います。
 事件報道で言えば、初期報道は、初動捜査の段階で警察から洩れてくる断片的な事実をつなぎあわせてわかりやすいストーリーを作って、それを流していくという構造になっている。そして警察から流れてくる断片的な事実をつなげて出来上がってくるストーリーと言うものは、実は、警察が作っているストーリーであるわけです。だから、警察が作っているストーリーに乗っかってそれを流しているというのが、今のマスメディアの事件報道、犯罪報道だと思うのです。
 そのようなストーリーは、非常に単純化されたものになります。また、世間の人たちは、加害者と自己を同一化するのではなくて、被害者と自分を同一化する傾向があります。そうすると、被害者寄りにストーリーを構成していくほうが、読者・視聴者の理解を得やすく、メディアに対する共感も得やすい。それで、結局、そういう形で報道がどんどん流れていってしまう。それが一種の世論形成作用を持ち、裁判所にも1つの世論のプレッシャーという感じで受け止められる。それが今おっしゃったような形で裁判に影響していくということが、今起こっていることではないかと思います。
 日本で犯罪被害者問題がクローズアップされたとき、日本の被害者対応は欧米から20年遅れていると言われ、2000年にいわゆる犯罪被害者保護関連2法が作られました。(工事中)


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。