新聞案内人 栗田亘 コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者
2009年05月18日
「集中豪雨的」報道になってはいないか
新型インフルエンザの国内感染は18日未明までに、神戸と大阪の高校生らを中心に96人に拡大した(検疫で見つかった4人を含む)。さらに広がる勢いだ。
17日の朝刊は関西地区での最初の8人の感染までを報じたが、朝日と読売は一面トップの扱い。民主党の新しい代表が選出されたニュースは二番手にした(日経と毎日はトップが新代表、感染は脇=いずれも東京発行最終版)。
どちらをトップに据えるか、整理の担当者は悩んだかもしれない。それはともかく、メキシコでの「豚インフルエンザ」発生が報じられてこの方、私にとって一番役に立った情報は新聞、テレビにあらず。16日の当サイト「あらたにす」が、「WEEK・END 時の人」で再録した岡部信彦・国立感染症研究所感染症情報センター長の講演内容だった。
8日、日本記者クラブでの講演で、厚生労働省の新型インフルエンザ専門会議の議長を務める岡部さんは「現状と対策」について過不足なく語ってくれた。
所用で講演を聴きに行けなかった私は、この再録画面を読み進みながら、新聞、テレビがこうした「現状と対策」をもっともっと詳細に報じてくれれば、と少々残念だった。
もちろん各紙とも、それなりに「現状と対策」を記事にしている。その努力は買う。けれども、私は十分には満たされなかった。
たぶん、私だけではあるまい。
私が社会の動きを計測する際のアンテナの一つは、選者を務めている時事川柳(「朝日川柳」)の一日平均2000句に及ぶ投句だ。
冷静に冷静にと日々煽り立て
厚労省の対応と、それ以上にメディアの対応を嘆じる句が、発生以来、かなりの数に上っている。
私が接する人たちにも、こうした声は少なからずある。
岡部さんの講演でも、新型インフルエンザは決して侮ってはならない人類の大敵であることはよくわかる。メディアも厚労省も、その観点から注意を喚起し、情報を提供していることも理解できる。 しかしそれでも「冷静に冷静にと日々煽り立て」と受けとめる人びとがいるのである。
どこそこで感染者が見つかった、成田での検疫体制はこうだ、帰国者の反応はこれこれである、メキシコ料理店の客が減った、マスクの売れ行きがものすごい、といったオモテのニュースは、確かにあふれんばかりに報じられてきた。
カナダから帰国した横浜の男子高校生に国内で初めて感染の疑いが生じたとき(5月1日)は、各紙とも一面から社会面まで目をむくような扱いだった。
締め切り時間ぎりぎりのニュースだったし、幾分かは仕方ないかとも思うが、一方で、岡部さんの講演のような行き届いた記事は、あったとしても、あまり目立たなかった。
たとえば岡部さんは、「年配者は免疫をもっているのか」との質問に「可能性はありうるが、データはない。いまの時点でそうだと言うのは危険だ」と答えている。
老齢者は比較的かかりにくい、という記事は私も読んだ記憶があり、その年齢層に属する一人として「安心材料」になっていた。うーん、そうか、むやみに安心してはいけないのだな。と、講演のたとえばそんな部分も、私にとって役に立つ。
岡部さんは講演の終わりに、寺田寅彦の文章を紹介した。
ものをこわがらな過ぎたり
こわがり過ぎたりするのはやさしいが
正当にこわがることは
なかなかむつかしい
そして「我々は今、正しくこわがることができるであろうか、という課題に直面している」と結んだ。
講演の聴衆はジャーナリストなのである。穏やかな語り口ではあるが、私はこれを痛烈なメディア批判だ、と(勝手に)受けとった。
新型インフルエンザの報道は「集中豪雨的」だと、(あえて)私は言いたい。「正当にこわがっている」という印象は、残念ながら希薄である。こわがり過ぎてはいないだろうか。あるいは、読者をこわがらせ過ぎてはいないだろうか。
そうした気分が、たぶん、投句にも反映している。
私が「集中豪雨的」な報道、とあえて記すのは、前段があるからだ。
一つは、人気タレントの泥酔ハダカ事件である。
一般紙にいたるまで、一面から社会面から、あれも連日、集中豪雨的な取材・報道だった。並の凶悪犯(というのもヘンな表現ながら)なんかはるかに及ばない扱いであった。
彼を全面的に擁護はしにくい。くだんの公園近くに住む人には深夜、迷惑な振る舞いだったに違いない。
しかしながら、大人の男の、かなりの数の読者はわかっているのである。
大きな声では言えないが、大したことじゃないよね、と。男の記者たちなら取材の合間にちっとは自分を顧みた方がいいんじゃないか、と。
タレントは、今月末には仕事に復帰するそうだ。それを批判する声は聞こえてこない。その程度のできごとだったのだろう。
前段のもう一つは、北朝鮮の「人工衛星」事件である。
あの国が発射した物体が、いまにも空から落ちてくる。そんな印象を与える紙面作りが、どこかにあったのではないか。
専門家の意見を冷静に聞けば、そうした恐れは限りなく、限りなく小さかったはずである。しかし、メディアの空気は政府の発表にいささか傾いていた。危険を懸念する気持ちは理解するものの、あの期間、メディアは集中豪雨的に関連報道に熱を入れた、と私は思っている。
機会をあらためて書こうと思うが、新型インフルエンザをふくめた最近の報道の集中豪雨的現象は、私にはどうも気になる。
正当にこわがることは
なかなかむつかしい
2009年05月18日
「集中豪雨的」報道になってはいないか
新型インフルエンザの国内感染は18日未明までに、神戸と大阪の高校生らを中心に96人に拡大した(検疫で見つかった4人を含む)。さらに広がる勢いだ。
17日の朝刊は関西地区での最初の8人の感染までを報じたが、朝日と読売は一面トップの扱い。民主党の新しい代表が選出されたニュースは二番手にした(日経と毎日はトップが新代表、感染は脇=いずれも東京発行最終版)。
どちらをトップに据えるか、整理の担当者は悩んだかもしれない。それはともかく、メキシコでの「豚インフルエンザ」発生が報じられてこの方、私にとって一番役に立った情報は新聞、テレビにあらず。16日の当サイト「あらたにす」が、「WEEK・END 時の人」で再録した岡部信彦・国立感染症研究所感染症情報センター長の講演内容だった。
8日、日本記者クラブでの講演で、厚生労働省の新型インフルエンザ専門会議の議長を務める岡部さんは「現状と対策」について過不足なく語ってくれた。
所用で講演を聴きに行けなかった私は、この再録画面を読み進みながら、新聞、テレビがこうした「現状と対策」をもっともっと詳細に報じてくれれば、と少々残念だった。
もちろん各紙とも、それなりに「現状と対策」を記事にしている。その努力は買う。けれども、私は十分には満たされなかった。
たぶん、私だけではあるまい。
私が社会の動きを計測する際のアンテナの一つは、選者を務めている時事川柳(「朝日川柳」)の一日平均2000句に及ぶ投句だ。
冷静に冷静にと日々煽り立て
厚労省の対応と、それ以上にメディアの対応を嘆じる句が、発生以来、かなりの数に上っている。
私が接する人たちにも、こうした声は少なからずある。
岡部さんの講演でも、新型インフルエンザは決して侮ってはならない人類の大敵であることはよくわかる。メディアも厚労省も、その観点から注意を喚起し、情報を提供していることも理解できる。 しかしそれでも「冷静に冷静にと日々煽り立て」と受けとめる人びとがいるのである。
どこそこで感染者が見つかった、成田での検疫体制はこうだ、帰国者の反応はこれこれである、メキシコ料理店の客が減った、マスクの売れ行きがものすごい、といったオモテのニュースは、確かにあふれんばかりに報じられてきた。
カナダから帰国した横浜の男子高校生に国内で初めて感染の疑いが生じたとき(5月1日)は、各紙とも一面から社会面まで目をむくような扱いだった。
締め切り時間ぎりぎりのニュースだったし、幾分かは仕方ないかとも思うが、一方で、岡部さんの講演のような行き届いた記事は、あったとしても、あまり目立たなかった。
たとえば岡部さんは、「年配者は免疫をもっているのか」との質問に「可能性はありうるが、データはない。いまの時点でそうだと言うのは危険だ」と答えている。
老齢者は比較的かかりにくい、という記事は私も読んだ記憶があり、その年齢層に属する一人として「安心材料」になっていた。うーん、そうか、むやみに安心してはいけないのだな。と、講演のたとえばそんな部分も、私にとって役に立つ。
岡部さんは講演の終わりに、寺田寅彦の文章を紹介した。
ものをこわがらな過ぎたり
こわがり過ぎたりするのはやさしいが
正当にこわがることは
なかなかむつかしい
そして「我々は今、正しくこわがることができるであろうか、という課題に直面している」と結んだ。
講演の聴衆はジャーナリストなのである。穏やかな語り口ではあるが、私はこれを痛烈なメディア批判だ、と(勝手に)受けとった。
新型インフルエンザの報道は「集中豪雨的」だと、(あえて)私は言いたい。「正当にこわがっている」という印象は、残念ながら希薄である。こわがり過ぎてはいないだろうか。あるいは、読者をこわがらせ過ぎてはいないだろうか。
そうした気分が、たぶん、投句にも反映している。
私が「集中豪雨的」な報道、とあえて記すのは、前段があるからだ。
一つは、人気タレントの泥酔ハダカ事件である。
一般紙にいたるまで、一面から社会面から、あれも連日、集中豪雨的な取材・報道だった。並の凶悪犯(というのもヘンな表現ながら)なんかはるかに及ばない扱いであった。
彼を全面的に擁護はしにくい。くだんの公園近くに住む人には深夜、迷惑な振る舞いだったに違いない。
しかしながら、大人の男の、かなりの数の読者はわかっているのである。
大きな声では言えないが、大したことじゃないよね、と。男の記者たちなら取材の合間にちっとは自分を顧みた方がいいんじゃないか、と。
タレントは、今月末には仕事に復帰するそうだ。それを批判する声は聞こえてこない。その程度のできごとだったのだろう。
前段のもう一つは、北朝鮮の「人工衛星」事件である。
あの国が発射した物体が、いまにも空から落ちてくる。そんな印象を与える紙面作りが、どこかにあったのではないか。
専門家の意見を冷静に聞けば、そうした恐れは限りなく、限りなく小さかったはずである。しかし、メディアの空気は政府の発表にいささか傾いていた。危険を懸念する気持ちは理解するものの、あの期間、メディアは集中豪雨的に関連報道に熱を入れた、と私は思っている。
機会をあらためて書こうと思うが、新型インフルエンザをふくめた最近の報道の集中豪雨的現象は、私にはどうも気になる。
正当にこわがることは
なかなかむつかしい