女優の樹木希林さんが死去 2018/9/15

2018-09-16 | Life 死と隣合わせ

中日春秋 
2018/9/17
 顔を売る映画女優なら、自分の顔を大写しにしてもらいたいものである。大物女優二人が共演すればアップの場面の数を意地をかけて競い合う。よく聞く話である。
 その女優はアップを求めなかったそうだ。亡くなった樹木希林さんである。タッグを組んだ是枝裕和監督が書いている。呼び出されて出向くと樹木さんが脚本を広げている。「監督、分かっているとは思うけど、みんな背中で芝居できる役者が集まっているんだから、顔のアップ撮ったりしなくていいからね」-
 作品全体のバランスやトーン。自分で考え演じる。そのためならアップなんて。そういう役者だったのだろう。
 かつて向田邦子さんの遅筆に腹を立てて、筋だけ書いてよ、後はこっちでなんとかすると言って、大げんかになったと聞くが、役者としての絶対的な自信。実際、その背中や歩き方は脚本に書かれていること以上のことを語っていた。
 晩年の樹木さんに、たとえば亡くなった母親の面影を重ねるという人もいたのではないか。樹木さん演じる母親は優しいだけの母親ではない。ちょっとずるかったり、無神経だったり、それでいて寂しさをこらえていたり。ようするに普通の母親である。
 人の善もいやな部分も喜びも悲しみも、そっくり引き受けた樹木さんの芝居に現実の母親の像を結び付けやすかった。その分、お別れが寂しくてたまらない。

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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女優の樹木希林さんが死去 75歳 病気と壮絶な闘いを繰り広げ…
 2018年9月16日 16時51分 スポニチアネックス
  女優の樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子=うちだけいこ)さんが15日、午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で死去したことがわかった。75歳。東京都出身。16日に近親者のみで通夜を執り行い、告別式は30日の予定という。
 この十数年、樹木さんは病気と壮絶な闘いを繰り広げてきた。2003年に網膜剥離で左目の視力を失い、04年に乳がんが見つかり、翌年、右乳房の全摘出手術を受けた。一度は完治報告したが、その後全身に転移。03年1月には網膜剥離で左目を失明したことも告白。さらに、今年8月13日、大腿骨を骨折し同月15日に緊急手術を行った。翌16日に予定していた生放送の出演は見送り、電話出演で状況を報告していた。
 完治したと思われたが、13年3月8日の第36回日本アカデミー賞の授賞式で「全身がん」と転移していることを明かして驚かせた。ただ容体は安定しており、「万引き家族」など映画を中心に精力的に仕事を続けていた。
 今年8月30日にはイベント参加した義理の息子で俳優の本木雅弘(52)が左大腿骨骨折で入院中に一時危篤状態に陥っていたと明かす場面もあった。
 樹木さんは、1961年に文学座付属演劇研究所に入り、「悠木千帆」名義で女優活動をスタート。64年に森繁久彌さん主演のテレビドラマ「七人の孫」にレギュラー出演し、一躍人気を集めた。個性派女優として多くのドラマ、映画、舞台に出演。74年に放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」(TBS系)で小林亜星が演じた主役の貫太郎の実母を演じるなど20代から老人の役を演じ、出演するドラマ、映画などでは、その老け役が当たり役となった。
 私生活では、64年に俳優の岸田森と結婚し、4年後の68年に離婚。73年10月に内田裕也と再婚するが、1年半で別居し、その後別居生活を続けていた。本木雅弘(52)は、長女・内田也哉子(42)の夫。

 ◎上記事は[livedoor NEWS]からの転載・引用です
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『ツナグ』という映画で、ホイヴェルス神父の「最上のわざ」が、紹介されているらしい
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奥西死刑囚は3つの“村社会”を守るための生贄にされた 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』

  

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