『とめどなく囁く』に見る “人の心の卑しさ” 2018.9.16

2018-09-16 | 日録

〈来栖の独白 2018.9.16 Sun〉
 9月13日から、昼神温泉郷へ。私ども(夫婦)は、よく、長野へ旅する。私が、長野の緑と水(山河)の美しさに魅せられているから。心が休められる。いま一つ、長野は家から近すぎず遠すぎずという利便性もある。
 大好きな山河であるが、どこに行っても、居ても、私の基本的日常的な楽しみは変わらない。新聞を読むこと。
 昼神は長野県なので、中日新聞が置いてある。それと、信州であるから「信濃毎日新聞」があるぞと期待して行くと、案の定、あった。…このように書いたが、私は偏向・左翼「中日新聞」が好きではない。が、中日新聞の地元情報には満足できるし、連載小説を読み続けている都合上、他紙に乗り換えるタイミングを逸している。
 一風呂浴びた後、ホテルロビーで、まず、中日新聞 桐野夏生作『とめどなく囁く』から読む。

  

 面白くない「とめどなく囁く」、我慢して読み続けてきたが、やっと佳境というか、終幕が見えてきたところ。
 海へ出たまま帰ってこず、死亡認定された前夫・庸介から、早樹に電話がかかってくる。
 死亡認定後、克典と再婚した早樹だったが、知人の殆どから「親ほども歳の離れた」「資産家」との結婚に、「どうして?」「資産目当て」と批判される。
 人の口、心は卑しい。とりわけ、カネと色恋一緒になると、人は騒ぎ、卑しい詮索をする。先頃も、「紀州のドンファン」だったか、金持ちの老人が亡くなったとき、メディアは連日、騒いだ。「若い妻が金目当てで夫を殺害したのではないか」などと。人の心の醜悪さを恥ずかしげもなく、競うように披瀝する。メディアに象徴される、人間の心の醜悪。
 「とめどなく囁く」の早樹は言う。
“「みんな、そう訊くね」「私にも克典さんにも失礼な質問なのに、みんな平気で訊くのね」”


とめどなく囁く<397> 
2018/9/13 朝刊
 (前段略)

   内澤旬子 画

「お父さんと結婚したんだから、あなたの家でしょう」
 真矢が換気扇をつけて、ポケットから煙草を出して火を点けた。
 換気扇が回り始めると、微かにしんと冷えた冬の夜のにおいがした。回る換気扇に、真矢の吸う煙草の煙が吸い込まれていく。
「お父さんのどこがよかったの?」
 真矢が横を向いて、煙を吐いた。
「みんな、そう訊くね」早樹は静かな声で答えた。「私にも克典さんにも失礼な質問なのに、みんな平気で訊くのね」
 立っているのに疲れて、缶ビールを持ってダイニングテーブルの椅子に座る。
「お金目当て?」
 早樹は苦笑いした。
「それもよく言われる」
「いやあ、同い年の娘がいるおっさんと、よく一緒になったなと思って」
 早樹は手の中でビール缶を弄んだ。
「それはあまり気にならなかった。私が二十代だったら、30歳も上の人と結婚するなんて、まったく現実味がなかったでしょうね」

とめどなく囁く<398> 
2018/9/14 朝刊
「でも、私は四十近くになって克典さんと知り合ったし、その前の結婚が、終わったのか終わらないのかわからないような中途半端な状況だったから、何だか宙(ちゅう)ぶらりんで、どこにも行けないような気がして辛かったの。そのせいか、克典さんと話した時に、何か居場所があるような気がしたのね。ああ、この人のところに行けばいいんだって。そこに行って、何も考えないで気楽に過ごしていれば、いろんなことが忘れられるだろうって思ったの」
 居場所。自然に出てきた言葉だった。
 しかし、口を衝いて出た言葉は、何よりも雄弁に、早樹と克典の結婚を物語っているな気がした。
 肩肘張らずに、自然体で生きていけるのではないか。色恋ではなく、互いの穏やかな思い遣りだけで生きていけるのではないか。
 真矢は何も言わずに、黙って煙草を吸っている。
「あなたには、言ってもわからないかもしれないね」
「どうして? 私が結婚したことがないから?」

  

 苛立っているように聞こえた。未婚であることで、嫌な思いをしたことがあるのだろう。
「そうじゃないの。私が今、心を煩わされていることがとんでもないことだからよ」
「それ何」
 (中略)
「昨日、私の死んだ夫から、電話がかかってきたの」
 真矢の顔から血の気の引くのがわかった。恐怖を感じているのだ。
「死んだんじゃなかったの?」
 小さな声で訊く。
「遭難したふりをして、どこかに隠れていたらしいの」
「昨日、美波って人の昔付き合ってた人が死んだって言ってたよね?」
「それで動揺してかけてきたんだと思う。彼と深く関わっていたみたいだから」
 真矢の目に知的な光がある。
「それで、あなたはどうするの? お父さんと別れる?」

とめどなく囁く<399> 
2018/9/15 朝刊
「まさか。私は元夫に、もう一度死んでほしいと言ったのよ」
「えっ、もう二度とかかってこなかったら、どうするの?」
 真矢が驚いている。
「それでいいの」と言って、早樹はビール缶を手で潰した。「だって、騙したんだとしたら、本当に酷い仕打ちだもの。八年前、釣りに出て帰ってこないことがわかってからは、毎日が地獄だった。釣り仲間たちも毎日海に出て捜してくれたし、あの人の両親も私も、何日も三崎港に泊まったの。いつ何時、死体が上がるかわからないと言われてね。でも、全然上がらなかったから、あの人のお母さんは望みを繋いでいたんだと思う。ひょっとすると帰ってくるかもしれないからって、私は引っ越さないでくれと、懇願された。確かに、街で後ろ姿がそっくりな人に声をかけそうになったりしたし、夫が帰ってくる夢もよく見たわ。占い師に頼んで捜してもらったりもして、お金も労力も遣ってくたくたになったから、死亡認定された時は、やっと、とほっとしたくらいだった。それは克典さんもわかってくれてる」
(中略)

  

「その人が生きていたことを、お父さんに言うの?」
「言わない」と早樹は首を振る。
「どうして」
「もう、全然関係ないもの。だから、ここを出て行こうと思っている」
「どうして出て行くことと関係あるの?」
「克典さんと都内で暮らそうと決心しているから。私はもう海は見たくないの。夫は相模湾で遭難したことになっていたから」
「なるほどね」真矢は納得したようだった。
「でも、お父さんは承知するかしら」
「せっとくするわ」
「それでも嫌がったら?」
 真矢は、早樹の愛情を試すように言う。
「だったら、別々に暮らすしかないでしょうね」
 その時は、また違う居場所を探すのだろうか。早樹は急に希望を感じて、ブラインドの向こうに広がる、明ける空を想像した。
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◇ 日々、感謝 食事と共に新聞小説『とめどなく囁く』2018.5.1 ネットというツールに人類の倫理は・・・ 
私の実質人生は終わっている。 夕刊は「緋の河」を読む。 〈来栖の独白 2018.9.5〉
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