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帚木蓬生著『閉鎖病棟』新潮文庫
平成 9年(1997年)5月 1日 発行
p336~
チュウさん元気ですか。
拘置所でこの手紙を書いています。部屋は違っても、実に20年ぶりの同じ拘置所です。ここに以前私がいたことは知れわたっているらしく、看守たちはいろいろ気をつかってくれます。(p337~)こうやって紙と筆と硯の許可が出たのもそのあらわれです。小学生が使うような習字道具ですが、水をたらして墨をすっていると、病院にいた頃が思い出されます。(中略)
ここは3畳ほどの独居房で、畳が2枚、格子のはまる窓際に、便所と流し台がついています。(略)
p338~
いま、死刑囚時代のような苦しみはありません。あの頃は、時間がこま切れにしか進みませんでした。生きる時間が24時間ごとに断ち切られるのです。死刑執行があるのはあるのはおおかた午前10時頃で、ふつう7時か8時にその予告がなされます。ですから時計の針が10時を回ってしまえば、翌日の10時まで命は延びるのです。間に日曜祭日でも挟まれば、48時間は確実に生きておられます。しかし命の切り刻みが来る日も来る日も繰り返されると、いかに図太い人間でも参ってしまいます。人の人生はひと続きにみえるからこそ安定しているので、これがはじめからこま切れになると、意味を失うのです。今という時間が、筋の通らない空虚なものになり、生きながら骨を抜かれたのも同然でした。
今は違った心境です。決して死んだような日々ではありません。
ひとつには私がまだ死刑囚でないからなのかもしれません。実際、私の身の上については検察も頭をかかえているようです。いわば死人が殺人を犯したわけで、法律上ありえない事態がおこったからです。しかし、たとえ死刑になっても、もう以前みたいな怯えた過ごし方にはならないと思うのです。
その理由は、死にそこなって拘置所を出て以来20年足らず、本当に楽しい人生を(p339~)送ることが出来たからです。あの思い出がある限り、私は大丈夫です。たとえこま切れの人生になったところで、思い出をその上に重ね合わせ、迎えの来る日までゆったりと生きることができます。
二十年前の私と今の私の何という違いでしょう。
拘置所を風呂敷包みひとつで叩き出されたとき、私は本当に途方に暮れていました。名前もなければ、年齢もない、まして戸籍もない、亡霊そのものでした。(略)
p348~
病棟に帰る私の車椅子を島崎さんが押してくれ、つつじ園の方に遠回りしたときのことです。島崎さんはこぼれる涙をふきもせじ、父親との関係を告白しました。きっと自分の胸の裡にしまっておくには余りにも辛い体験だったのでしょう。たいていのことには驚かない私も、背筋が凍る思いがしました。
父親は義父であり、弟は母の再婚後に生まれたこともそのとき知りました。
中学2年の夏休み、母親が弟を連れて里帰りした日、それは起こったと言います。(略)
p349~
(略)父親は黄色い歯をむき出しにして襲いかかりました。そうした残虐な行為が何回か続いたあと、島崎さんは自分の身体の変化に気がつきました。アルバイトをしてお金を貯め、誰にも言わずに病院で堕胎したのです。
p350~
(略)
父親が憎い、殺したいほど憎い、島崎さんがそう言うのを、私はじっと聞いていました。その気持は痛いほど分かります。島崎さんが何もかも私に告げる気になったのは、多分私の身の上を知ってからでしょう。母親殺しの私に自分を重ねあわせていたのだと思うのです。
p351~
(略)
あの卑劣な事件はその矢先に起きたのです。父親から受けた傷を癒やそうとしていた島崎さんにとって、それは新たな致命傷でした。その不幸な出来事をチュウさんが知らせてくれたとき、私はチュウさんにもただならぬ気配を感じました。相手を絶対許せないという決意がチュウさんの口ぶりにあらわれ、私は死ぬ気だなと思いました。
チュウさんはどう考えていたかは知りませんが、私もあの時島崎さんを救う道はただひとつしかないと、直感しました。事実、慰めなどは反故同然で、島崎さんは死を選ぶしかなかったはずです。それを切り抜ける唯一の方策は、誰かが命を賭してみるしかない、それが私の結論でした。
p352~
(略)
多分チュウさんもそう思っていたのではないですか。そこまで覚悟していたチュウさんに対して私は要らぬおせっかいをしたのかも知れません。しかしチュウさん、やはりこれは私がするべき仕事だったのです。
最期の息の下で彼は安堵したような表情を見せました。人にうとまれながらあんな具合に生き続けるのは本人も苦しいものです。自分ではもうブレーキをかけることはできず、得体の知れない魔物に乗り移られ、意志とは無関係に暴れまくるしかない状態です。そうなると誰かが外側からとめてやるしか、手立ては残されていません。肋骨の間にナイフを刺し込まれ、彼は初めて安息を得たように、自分から力を抜いていきました。噴き出す血は、それまでの苦しみがやっと出口をみつけ、ほとばしるかのようでした。
倒れた姿を見て、私は35年前に犯した殺人をまざまざと思い出していました。母親とその内縁の夫を刺し、子供2人をあやめた半日の出来事は、色あせた写真のようではあっても頭から消し去ることはできません。
p401~
わずかなオアシスとして残っていた病院までが、あの日、文字通りの地獄になってしまった。重宗に襲われたとき、島崎さんは身の毛のよだつ時間をどうやって耐えたのだろう。残忍な行為のあと、身も心も引き裂かれ坂道をのぼっていった島崎さんは、自分を葬り去る手立てで頭の中が一杯だったに違いない。
それをこちら岸に繋ぎとめたのが秀丸さんだった。秀丸さんは島崎さんを2度救ったことになる。1度めは島崎さんの誰にも言えない痛みを優しく聞いてやり、2度目はただ黙って島崎さんの復讐をした。
重宗に立ち向かっていった秀丸さんの力強い動きが思い出された。あの瞬間に秀丸さんは残っている力、いや残された人生のありったけを注(つ)ぎこんだのだ。(略)
p402~
秀丸さんは刑務官の間に小さくうずくまっていた。車椅子もなく、杖も手にせず、坊主頭をこちらに向けていた。眼が合ったとき、かすかに口許が動いた。
左側の男が立ち上がり、被告人梶木秀丸とどういう関係にあったかを訊いた。「病院での友達です」と、チュウさんは秀丸さんの方を向いて答える。秀丸さんは無表情で目をしばたたいた。
---どのくらいのつきあいですか。
「秀丸さんが病院に来たとき以来ですから、かれこれ20年になります」
---あなたはその前から病院にいたのですか。
「そうです」
---何年?
「全部で30年です」
---被告人が今回殺人を犯すに至った理由について、あなたはどう考えていますか。
40年配の色黒の検事は声を改めて訊く。むき出しの質問がまっすぐ刺さってくる感じだ。
「普段からあの男は病院のダニだったし、島崎さんのこともあって、秀丸さんは重宗を成敗したのだと思います」
---成敗? すると、重宗と会うときからもう殺す意志はあった、ということですか。
検事は畳み込んだ。微妙な質問だった。秀丸さんに不利になる答え方はしたくなかったが、そのためにどう応じていいのか、見当がつかない。
「さあ、それは分かりません。秀丸さんに聞いたらどげんですか」
チュウさんの答えに検事は苦笑する。
---それが、その点について被告人は一切しゃべらないんだよ。黙秘して却って不利になることだってあるのに。
そう言って検事は被告席を睨んだが、秀丸さんは動じる様子もなく前を向いたままだ。
弁明を拒否しているのはいかにも秀丸さんらしかった。秀丸さんはすでに死人のつもりでいるのだ。死人は口をきかない。
「本当は、ぼくが重宗を殺してやるつもりだったとです。そのために、登山ナイフを買い込んでいました」
---ほう。
p404~
検事は言い、席を離れ、前に出た。
「島崎さんが暴行されたのを知ったとき、後ろから不意打ちでもしてやるつもりでした」
---それで。
「機会をねらっとったですが、秀丸さんに先を越されました」
---島崎さんのために、どうしてあなたがそこまで深く考えたのですか。
「僕が島崎さんにしてやれるのはそれくらいだからです」
---殺すことしか?
検事はこちらの反応を引き出すようにして言った。
「他にどんなことができるとですか」
---すべてを警察に任せてもよかったのではないですか。
「警察は駄目です」
チュウさんは吐き出すように言った。法廷の中がしんとなった。チュウさんは続ける。「重宗が何で病院に来たか知っとりますか。覚醒剤を打ちまくってわけが分からんようになり、(p405~)スーパーでレジの女性を刺したとが原因です。そいで罪にならんで、覚醒剤中毒の治療が先だというこつで病院に送られてきたとです。そげな暴力団関係の人間が病院には4、5人おります。札つきの強盗殺人者が牢屋の代わりに精神病院に来るとです。ぼくらとは水と油です。兎小屋に狼がはいってきたようなもんで、みんな怯えきっていました。そいつらが病院で人を刺しても、中毒が原因だと片付けられて、警察は相手にしません。現に、寝ているところを重宗にバットで殴られ、死にかけた患者もおります。その時も、警察はちょちょっと事情聴取をしに来ただけです。警察ちいうのは、そげなものです」
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〈来栖の独白 2019.2.21 Thu〉
大半を読み終えて、深い満足感が快い。久しぶりだ。精神科医であり作家である人の著作。
本作品の冒頭、「島崎さん」の堕胎の場面があった。誰の子(胎児)か明らかにされていなかったが、終盤でそれが義父の子とわかった。義父に虐待され犯され続け、立ち直った島崎さんを今度は重宗が襲う。少女時代の不幸を打ち明けて話し、健気に立ち直った島崎さんを襲った重宗を、秀丸さんは許せない。重宗を許せなかったのはチュウさんも同様で、殺そうと決意する。チュウさんの気持を知った秀丸さんは、チュウさんを殺人犯にしないために、重宗を手に掛ける。
暴力団関係の人間がいるのが病院であるとチュウさんは言うが、チュウさん・秀丸さんのような心温かく、命を賭して隣人を守ろうとする人間もいるのが精神病院だ、と本作品は言っているようだ。
なんと手堅い作品であることだろう。理知の目、精神科医の目に、この世は、このように映る。
帚木蓬生さんの作品『安楽病棟』も、書棚にある。が、終末期医療の現状を描いているということで、読むのには少し覚悟が要るか…。
付けたりを1つ。私は九州の言葉が大嫌いだった。幕末時代、薩摩・長州の田舎者が偉そうに京・江戸を席巻。あれ以来、九州の言葉が嫌で堪らない。なのにこの小説を読むとき、不思議なことにあの言葉から誠実を感じてしまう。訥々として飾り気の無い「誠実」。私の中から嫌悪感は消え、快い共感さえ湧いている。
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* 死刑執行された しかし絶命せずに息を吹き返した 『閉鎖病棟』 …〈来栖の独白2019.2.17〉
* 帚木蓬生著『閉鎖病棟』
* 帚木蓬生氏の「閉鎖病棟」映画化で、笑福亭鶴瓶が死刑囚役に 綾野剛も出演 2019/11公開
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◇ 和歌山カレー事件が題材 帚木蓬生著『悲素』 ヒ素という秘毒を盛る「嗜癖の魔力」 毒は人に全能感を与え、その〈嗜癖〉性こそが問題