新聞案内人 田中早苗弁護士
2009年06月22日
「自白」部分だけでは役に立たない
栃木県足利市で1990年、4歳の女児が殺害された「足利事件」。逮捕され、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんが、佐藤博史弁護士とともに6月11日、日弁連を訪ね、当時の取り調べ状況や菅谷さんの近況を報告した。
菅谷さんは当面、帰る場所がなく、佐藤弁護士の自宅に身を寄せている。賠償金が支払われる予定はあるものの、当面の生活費がないため、生活保護の受給手続きをとるかなど、喜びもつかの間、生活問題に直面しているという。
また、菅家さんがトイレに行って手を洗うにしても、ひねる蛇口が見つからず戸惑う(つまり、手をかざせば自動的に水がでる洗面所を見たことがないから)など、まるで浦島太郎と同じだという。本当に17年半の歳月は重く、過酷で、冤罪は絶対あってはならないと改めて感じた日だった。
今回、菅家さんが釈放となったのは、精度の上がった技術によりDNAの再鑑定が行われ、検察・弁護側双方とも菅家さんのDNA型と犯行現場のそれとは不一致という結果が出たからだ。
○無実の人の多くが「自白」させられている
アメリカでも、DNA鑑定の精度が高まったことから無実が明らかになった事例がある。その数は、なんと2008年までに計237人。そのうち133人が死刑判決の後に冤罪が明らかになっている。
そして、さらに驚くことは、これら無実が証明された人々の中には罪を認める自白をしている人たちが多数いるということだ。アメリカの研究者スティーヴン・A・ドリズィン氏らは、そういったケースを分析し、どうして自白をしてしまったのか研究している。研究結果は「なぜ無実の人が自白するのか――DNA鑑定は告発する」という題名で、日本評論社からも翻訳本が出版されている。
この論文では、捜査官に誘導されて虚偽自白をしてしまったことが判明している125の最近の事例を分析している。興味深いのは、それらの自白の80%以上は重大犯罪である殺人事件に関するものであったことだ。
つまり、虚偽自白がもっとも重要でかつ重い刑に処される事例に集中する傾向があるというのだ。論文は、重大事件は事件解決に向けた警察に対する圧力が大きいために、虚偽自白――虚偽自白に基づいた誤判も――が生じやすいことを裏づけるものだという。
足利事件でも、90年5月の遺体発見から、栃木県警は捜査員200人体制で臨んだが、決め手はなく、容疑者を絞り込めなかった。市民から「刑事は寝るな」という手紙が届き、過労から2人が「殉職」した。
約半年後、巡回中の巡査部長が、週末だけ借家で暮らす菅家さんに不審を抱き、以降、県警は菅家さんをマークし1年間尾行したが、不審な行動はなかったという(5日付け毎日)。
つまり、当時の警察がどれだけこの事件の解決に執念を燃やして、非常に焦っていて、その圧力が、警察の菅家さんに対する威圧的な取り調べとつながっていったことが推測できる。
○「やってない」の叫びを聞いてもらえない
実際、菅家さんは髪の毛を引っ張られたり、け飛ばされたりしたそうだ。刑事の取り調べが厳しく、「白状しろ」「早くしゃべって楽になれ」と言われ、どうしようもなくなって自分がやったと言ってしまったと説明している(5日付け朝日)。
また、上記アメリカの研究は心理的な捜査についても論及している。
「警察は、不利益な証拠が圧倒的であるためにその運命が(自白しようとしまいと)確定していること、そして自白をすればそれに伴う利益があると信じ込ませることによって、自白するという決定を引き出す。」という。
足利事件でも、体液のDNA鑑定結果などを示され、取り調べが始まって約13時間たった午後9時頃、菅家さんは「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった。刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」といい、その後、容疑を認めている(8日付け読売)。
このように警察の取り調べは、菅家さんをして、何を言っても信じてもらえない、有罪という運命は変えられないのだということを認識させ、あきらめの心境にさせている点で効果的な心理的捜査だったといえる。
○「裁判員制度」機に全面可視化急げ
今まで日本の裁判では、自白の信用性を判断するために取調官らの証人尋問などを長時間かけて行ってきた。しかし、これからの裁判員裁判では、迅速な裁判が求められるので、最近、裁判員の対象事件で、容疑者が自白した部分に限って録音・録画を実施するようになった。
しかし、自白した部分だけなので、被疑者が否認から自白に転じたとされる場面は、録画されない。つまり、菅家さんのような事件では、まったく役に立たないのだ。
菅家さんが言うように、取り調べの全過程を録音・録画し、捜査過程を全面可視化するしか、威圧的な取り調べはなくならない。また、迅速な裁判員裁判という要請に応えるためにも、全面可視化は必要だ。
2008年10月、国連自由権規約委員会は、日本の捜査機関に対して、日本の被疑者取り調べのあり方を抜本的に変えるため、取り調べの最初から最後までを録音・録画することを実現し、取調べ時間の制限を設けよ、という勧告を出している。
新聞報道も、足利事件を機に、捜査過程の全面可視化の問題について、もっと光を当ててもらいたい。
2009年06月22日
「自白」部分だけでは役に立たない
栃木県足利市で1990年、4歳の女児が殺害された「足利事件」。逮捕され、17年半ぶりに釈放された菅家利和さんが、佐藤博史弁護士とともに6月11日、日弁連を訪ね、当時の取り調べ状況や菅谷さんの近況を報告した。
菅谷さんは当面、帰る場所がなく、佐藤弁護士の自宅に身を寄せている。賠償金が支払われる予定はあるものの、当面の生活費がないため、生活保護の受給手続きをとるかなど、喜びもつかの間、生活問題に直面しているという。
また、菅家さんがトイレに行って手を洗うにしても、ひねる蛇口が見つからず戸惑う(つまり、手をかざせば自動的に水がでる洗面所を見たことがないから)など、まるで浦島太郎と同じだという。本当に17年半の歳月は重く、過酷で、冤罪は絶対あってはならないと改めて感じた日だった。
今回、菅家さんが釈放となったのは、精度の上がった技術によりDNAの再鑑定が行われ、検察・弁護側双方とも菅家さんのDNA型と犯行現場のそれとは不一致という結果が出たからだ。
○無実の人の多くが「自白」させられている
アメリカでも、DNA鑑定の精度が高まったことから無実が明らかになった事例がある。その数は、なんと2008年までに計237人。そのうち133人が死刑判決の後に冤罪が明らかになっている。
そして、さらに驚くことは、これら無実が証明された人々の中には罪を認める自白をしている人たちが多数いるということだ。アメリカの研究者スティーヴン・A・ドリズィン氏らは、そういったケースを分析し、どうして自白をしてしまったのか研究している。研究結果は「なぜ無実の人が自白するのか――DNA鑑定は告発する」という題名で、日本評論社からも翻訳本が出版されている。
この論文では、捜査官に誘導されて虚偽自白をしてしまったことが判明している125の最近の事例を分析している。興味深いのは、それらの自白の80%以上は重大犯罪である殺人事件に関するものであったことだ。
つまり、虚偽自白がもっとも重要でかつ重い刑に処される事例に集中する傾向があるというのだ。論文は、重大事件は事件解決に向けた警察に対する圧力が大きいために、虚偽自白――虚偽自白に基づいた誤判も――が生じやすいことを裏づけるものだという。
足利事件でも、90年5月の遺体発見から、栃木県警は捜査員200人体制で臨んだが、決め手はなく、容疑者を絞り込めなかった。市民から「刑事は寝るな」という手紙が届き、過労から2人が「殉職」した。
約半年後、巡回中の巡査部長が、週末だけ借家で暮らす菅家さんに不審を抱き、以降、県警は菅家さんをマークし1年間尾行したが、不審な行動はなかったという(5日付け毎日)。
つまり、当時の警察がどれだけこの事件の解決に執念を燃やして、非常に焦っていて、その圧力が、警察の菅家さんに対する威圧的な取り調べとつながっていったことが推測できる。
○「やってない」の叫びを聞いてもらえない
実際、菅家さんは髪の毛を引っ張られたり、け飛ばされたりしたそうだ。刑事の取り調べが厳しく、「白状しろ」「早くしゃべって楽になれ」と言われ、どうしようもなくなって自分がやったと言ってしまったと説明している(5日付け朝日)。
また、上記アメリカの研究は心理的な捜査についても論及している。
「警察は、不利益な証拠が圧倒的であるためにその運命が(自白しようとしまいと)確定していること、そして自白をすればそれに伴う利益があると信じ込ませることによって、自白するという決定を引き出す。」という。
足利事件でも、体液のDNA鑑定結果などを示され、取り調べが始まって約13時間たった午後9時頃、菅家さんは「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった。刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやっていないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた。やけになってしまった」といい、その後、容疑を認めている(8日付け読売)。
このように警察の取り調べは、菅家さんをして、何を言っても信じてもらえない、有罪という運命は変えられないのだということを認識させ、あきらめの心境にさせている点で効果的な心理的捜査だったといえる。
○「裁判員制度」機に全面可視化急げ
今まで日本の裁判では、自白の信用性を判断するために取調官らの証人尋問などを長時間かけて行ってきた。しかし、これからの裁判員裁判では、迅速な裁判が求められるので、最近、裁判員の対象事件で、容疑者が自白した部分に限って録音・録画を実施するようになった。
しかし、自白した部分だけなので、被疑者が否認から自白に転じたとされる場面は、録画されない。つまり、菅家さんのような事件では、まったく役に立たないのだ。
菅家さんが言うように、取り調べの全過程を録音・録画し、捜査過程を全面可視化するしか、威圧的な取り調べはなくならない。また、迅速な裁判員裁判という要請に応えるためにも、全面可視化は必要だ。
2008年10月、国連自由権規約委員会は、日本の捜査機関に対して、日本の被疑者取り調べのあり方を抜本的に変えるため、取り調べの最初から最後までを録音・録画することを実現し、取調べ時間の制限を設けよ、という勧告を出している。
新聞報道も、足利事件を機に、捜査過程の全面可視化の問題について、もっと光を当ててもらいたい。