小説「緋の河」連載を終えて 桜木紫乃

2019-02-15 | 本/演劇…など

小説「緋の河」連載を終えて 桜木紫乃
 2019/02/13 水曜日 中日新聞夕刊
 青春を走りきる、というと少々青臭いだろうか。執筆中、毎日をヒデ坊やショコちゃんと過ごし、若い心のいたみと付き合っていた。登場人物が見ているものを一緒に見て、茨の道を一緒に歩いていた気がする。
 物語に流れていた時間は秀男が6歳から22歳までだった。新たな主人公を得るたびに、書き手は自分を生き直す。己の53年にわたる日々の間違いや失敗が、ようやく活かせるひとときとなった。経験が書かせる経験なき1行に出会えたとき、小説は虚構として規則正しい呼吸を始める。物語は誰でもない、書き手をまず救ってゆくらしい。物語によって濾過された私自身が見えてくるとき、小説という表現方法を選んだ意味が浮かび上がってくる。
 モデルを得て小説を書いたのは初めてだった。カルーセル麻紀さんというパイオニアに出会えたことは、小説を続けていることの褒美だった。ラストを書き終えてしばらく呆然としたあと「自分をやり直した」という思いが押し寄せたのも、彼女が何度も自分を生き直し、生まれ変わり、そのぶん過剰に傷つきながら、けれど誰にも何にも負けなかったことの証明だった。つくづく、小説は証明問題だ、と思う。人の生き方に「正しい」も「間違い」もないことを証明するために小説はある。
 山と谷と谷川を描写するとき、小説は流れる水面(みなも)を書いて川底を想像してもらわねばならない。川底は読者の数だけある。虚構で書きますという宣言のあと、麻紀さんからいただいた言葉が「わたしをとことん汚く書いて」だった。
 「緋の河」の中で、秀男はどんどん自分の世界を広げて、広げきった自分をその目で見るために生き続けている。ヒデ坊のそばに立って青春の一部始終を見てきたはずなのに、この伴走はまだ始まったばかりのような気もしている。
 アートワークの赤津ミワコさんも、一緒にヒデ坊を見守り続けてくれるひとりだった。このたびの連載では、彼女の仕事を抜きには考えられないほど、絵が重要な櫂となった。序盤で華代の白足袋のイラストを見た瞬間、今までの表現とは何かが違うと感じ訊ねてみた。彼女は有機的なものを一切描かないことを心に決めたアーチストだったのだ。
 「新しい挑戦をしないと『緋の河』に流されてしまうんです」というひとことが返ってきた。同時に、わたしの内側でも何かが弾けた。自分を手に入れるために生き続ける主人公を真ん中に据えたのだった。緋色の河は、ヒデ坊とともに、釧路の夕日によく似た色彩を放ちながら今日も海に向かって流れている。
 1年3ヵ月、書き手としてたいへん幸福な時間を過ごした。改めて、秀男の青春を支えてくださった読者のみなさま、関係者のみなさまに、心からお礼申し上げます。(さくらぎ・しの=作家)
 ※ 桜木紫乃さん・作、赤津ミワコさん・画の小説「緋の河」は2017年11月1日から19年2月9日まで本紙に連載されました。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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「緋の河」巡り対談活発 桜木紫乃さんとカルーセル麻紀さん 釧路 2019/02/13
* 赤く、朱く、紅く、より緋く---秀男の瞼に、この世にない色が満ち始めた『緋の河』 最終回 2019.2.8
* 自分の生んだ子がどんな姿でも、誰かを幸せにしているのならそれでいいよ 『緋の河』 2019/2/8
* 性別を超えて「貴方自身が尊い」というのが、桜木紫乃さんの小説『緋の河』だろう 〈来栖の独白 2018.11.20〉
* 人間には性別の前に個人が在るんだよ。それに勝る仕切りはないはずなんだけどね 『緋の河』 2018/10/2
「緋の河」 …「生まれつき」に小賢しい是非を言わず なにがあっても死ぬようなことはいけないよ 2018/9/6 
*  叔父を同性愛者としてもってくる才筆「緋の河」  こういう、常識の狭間に苦しむ人をこそ救わねばならないのに、聖書は。
私の実質人生は終わっている。 夕刊は「緋の河」を読む。 〈来栖の独白 2018.9.5〉
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