堀文子の言葉 ひとりで生きる

2017-01-14 | 本/演劇…など

集まれ!ほっとエイジ 2012/11/30
群れるな・慣れるな・頼るな 好奇心を生涯保つ術 日本画家 堀文子氏

 ほり・ふみこ 1918年(大正7年)7月2日、東京・麹町に生まれる。日本画家。女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部卒業。大磯にアトリエを構え自然のなかに身をおいて制作する。70歳でイタリア・トスカーナに移住。帰国後も未知なる世界を求め、77歳アマゾン、80歳ペルー、81歳ヒマラヤ山麓へと取材旅行を続ける。2001年、83歳のとき大病に倒れるが奇跡的に回復。最近は日本の伝統的な意匠に関心を深め、新たな作品を創作している。

 日本画家の堀文子さんは94歳になっても凛々(りり)しさを失わない。体は次第に不自由になっているが、大好きな自然の動植物や日本の文化に対する好奇心は失わず、絵を描き続けている。いつまでも現役で活躍しつづける元気の秘密は何か。

■身近なことに驚く毎日…いつの間にか94歳に
――堀さんは今年7月に、94歳になられました。
堀 私は、年を意識して生きてきたことがないんです。毎日、つんのめるようにして生きているうちに、いつの間にか94歳になりました。
 地球が太陽の周りを1回、回ると1つ年をとるわけですが、そんなことよりも、地球が1年で太陽の周りを回ることをなんて速いんだろうと思います。飛行機どころの速さじゃないですね。たいへんな騒ぎで地球は回っているのに、私たちはこんなところに、振り落とされないでいるんですね。そんなことにばかり、驚いているうちに、こんなになってしまいました。
――2001年、83歳のときに大きな病気を経験されたそうですね。
堀 解離性動脈瘤と後で聞きました。そのときは、一晩、悶絶(もんぜつ)する痛みの中にいました。でも、自然に治癒したんです。自然にゼリー状のものが傷口をふさいだとお医者様から言われました。
 それから少し、自分の身体に対して自信を失いまして、一人で山歩きなどはできなくなりました。運動不足になって腰が痛くなり、90歳くらいのときに、その手術をしました。歩くのが苦痛になってきました。
■過去の自分の作品は追わない
――いまも新しい作品はつくられているんですか。
堀 ものはつくっておりますが、みなさまが思われるような新しいものではありません。私流の、いまのこの身体でできることはしております。このごろはアフリカの仮面だとか、そういう原始の人たちの、まだ絵画とか芸術とか言わなかったころの人間の根源の時代の作品に心を打たれることが多いので、そういうものをまねしています。
――堀さんは自分には画風がない、とおっしゃられていますね。
堀 そのときに、逆上するほど興奮したものしか描きません。いくらほめられても、過ぎ去った自分の作品を追わないようにしています。
 自分のコピーはだめです。コピーすればするほど、人は喜びますが、自分にとってはよくないと思っています。
 私は、さまざまな絵を描くので、まるで別の人が描いていると思われるかもしれませんが、私にしてみれば、それぞれが、そのときの記録なんです。同じ自分はいないんだということです。
――堀さんは絵を描くためにすごく観察をなさるそうですね。
堀 この世の中の不思議なもの、美しいものに感動しやすいので、そういうものに対する驚きを記録したいというのが、どうも、私が絵を描いている原因じゃないかと思うんです。ですから、観察します。植物でも、どこから枝が出ているのかなどを、しっかり見極めます。
――堀さんが顕微鏡を覗(のぞ)いている写真をみたことがあるのですが。
堀 大変な病気をして、へき地などに遠出することができなくなりましたので、動かないでも驚く世界を見つけようと思って、子供のとき以来中断していた微生物を見ることを再開しました。それから、原始的な生物のすごさに、のめりこむようになりました。ミジンコだとか、クラゲだとかに熱中し始めています。
■自分なりの縦軸と横軸をつくる
――絵描きになろうと決めたのはなぜなのですか。
堀 東京府立第五高女の2年のときに、私は自立したかったので、何かの仕事で生きていこうと思いました。男女差別のひどい時代でしたから、なりたかった科学者を目指そうとしても、大学に入れなかった時代です。どんなに専門的なことをしようと思っても「女子」と名のつくところじゃないと入れなかったんです。そんな時代に育ちましたが、美に関する分野のものはだれにも害を与えないで生きていけると思いました。それで美の周辺で生きようと考えました。
 私は重大なことは親に相談したりしません。人のいいなりになると、その後で、人のせいにしてしまうからです。自分で分析し、私流に縦軸と横軸をつくって、小学校のときから学校でどういうことが好きだったか、そして、努力をしたかどうかという軸をつくったんです。その結果、いく通りの分析をしても、絵が残りました。私には努力したら、絵を描く能力があるかもしれないと気がついたのは、そうやって自分を分析したからなんです。
――そういうお話をうかがうと堀さんは画家になるべくしてなったという気がしますね。
堀 人間がどうして絵を描くのだろうと、90を過ぎて考えますと、画家とか芸術家というのは、このごろのことであって、人間がこの世の不思議の原理を追究しようとしたときには、ルネサンスのころでもギリシャ時代でも、科学者と絵描き、建築家、哲学者、宗教家は同じだったんです。
 絵は結果です。排せつ物みたいなものです。なぜこの絵かといわれても、本人だって分からないんです。文字も言葉も生まれないときから人は何かを刻んだり記録していたりしたのではないでしょうか。踊ったり、走ったり、食べたりすることと同じじゃないでしょうか。
■慣れるとものが見えなくなる
――堀さんは1960年にご主人を亡くしてから、古代から世界の歴史をたどる海外旅行に出かけるなど、1カ所にとどまらない暮らしが始まりますね。
堀 それは私の生き方の一番大事なところです。ものに慣れてくると、ものを見なくなってくるんです。知ったかぶりになります。なるべく驚いている状態、不安な状態でいるのが私にとっては薬なんです。
 1カ所で同じものをみつめていると感性が鈍ります。しかし、小さいときに初めてものを見たときの驚きは90歳になっても残っています。その感動に近づくためには、なるべくものに慣れないようにするのが大事で、同じところに住まないと決めたわけです。慣れっこになりますと、同じものを見て驚かなくなるんです。例えば軽井沢(長野県軽井沢町)に行って、朝、浅間山を見たときの驚きはすごかったけれど、毎日見ていると当たり前になってしまう。
――69歳のときにはイタリアのトスカーナにアトリエを構えたそうですね。
堀 アトリエを構えるところまではいっていなくて、人の家に間借りをしていました。西洋の人々がどう暮らしているのかを克明にみることができました。
■自分だけの時間でき、5年間スケッチに没頭
――日本のバブルに嫌気がさして、イタリアに行かれたと聞いていますが。
堀 亡命しようと思ったんです。でも、現地の言葉も話せなければ、よその国で食べてはいけないじゃないですか。日本からお金をいただかなくては動けない。亡命はできなかったので、3カ月ごとに日本に帰ってきて、5年くらい向こうの家庭で暮らしました。
 70歳近くになって、私だけの時間ができました。イタリアの農村を歩き回って、田園の中に一日座り込んで、5年間スケッチをしました。
 ふだん日本では見慣れない生活ですから、何もかも描きたくなりました。中世そのままの風景で、向こうからレオナルド・ダビンチが馬に乗ってやってきてもちっともおかしくないような田園がそのままあるんです。イタリアの人たちは、苦難のなかでも自分たちの国土をめちゃくちゃにはしなかったんですね。
■自分の能力以上のことをしてしまう恐れ
――堀さんのモットーは「群れない」「慣れない」「頼らない」。「慣れない」についてはうかがいましたが、「群れない」、「頼らない」ことは、なぜ大事なのですか。
堀 群れると人と一緒のことをし始めます。自分流に生きることができなくなります。群に迷惑をかけますから、できるだけ一人でいるようにしています。
 頼ると、その人にくっついて、肩車に乗り、自分の能力以上のことをしてしまいます。そうすると自分を失います。私は小さいときからあまり人を頼らない子でしたから、あまりかわいがられませんでした。親だって、やはり頼る子、世話の焼ける子のほうが好きですよ。「自分でする」なんて言うと、「嫌な子だねえ」となるわけです。
――堀さんはどんな家庭で育ったのですか。
堀 母が私に一番影響を与えたかもしれません。母は、真田の藩の学者の家系だったようです。信州の非常に理屈っぽい女でした。父は歴史家でした。「要するに」とか「すなわち」とかいった言葉を使うような家に育ちました。
――「群れない」「慣れない」「頼らない」というのは、若いころはいいのですが、高齢になると、不安ではないですか。
堀 私は一人が好きだからそうしているのであって、それは仕方がないです。
 絵を描くということは自分のなかにあるものを表現しているんですから、他人にあれこれ言われるとだめなんです。だから師匠にもつかないし、弟子も持ちません。
■自分を失わないよう、人を頼りすぎない
――人と交流することはお嫌いではないようですね。
堀 人は大好きで、尊敬しているし、すばらしいと思うのですけれど、その方にべったりしてしまうと自分を失います。だから自分の巣穴にいるのが好きです。
 一人孤独で死んでいく私の姿を考えると、ずいぶん、はた迷惑で、困ったものだと思います。けれど、現在のように身体の自由があまりきかなくなってきたこの状態になっても、一人でやっています。
 ただ、昼間はいろいろな方に助けていただいています。昼のご飯をこしらえるとか、買い物にいくとか、お洗濯とか……。そういうことは全部やろうと思ってもできませんから、それはやっていただいてます。でも、夜ぐらいは自分の姿でいたいと思います。
――90代の残り、そして100歳を超えて、どんなことをしたいと思っていますか。
堀 そんな恐ろしいこと、言わないでください。長生きは大変なことです。自分の能力が刻々と落ちて、物を忘れる。自分がいま、考えていることさえ忘れるんです。それほど衰えるんです。これはこの歳になってみないと分かりません。
 私は50代くらいは死の恐怖が観念的にありました。寝るのが怖いというのが2年くらい続きました。今は死が私の中に8割入っているから、同居しているようなものです。死と連れ合っている感じがちょっとあります。
――堀さんは「人として1ミリでも上昇して死にたいと思っています」とおっしゃっています。
堀 いまは1ミリも伸びられない自分が分かってきました。
■90代、知りたいことが日に日に増えていく
――90歳まで生きて、分かることなどはありますか。
堀 自分がいかにものを知らなかったかということが日に日に増えてくる。ものを知りたいという気持ちが刻々と増えてきます。本当のことをよく考えたことがあっただろうかと思い、知りたいことが増えてきます。ふだん普通に生活をしていると、いろいろな欲望や周囲のことなど雑念が多いから、あまりものを究極に考える暇がないのですね。
――いまは大磯(神奈川県大磯町)に住まわれているんですね。
堀 私は原始的な人間ですから、森とか自然の中にいないと落ち着けないんです。自然から離れるととても不安ですので、こういうコンクリートだらけの東京には住まないのです。
 母屋ではなくて別棟を建てて、いまは一間のところで、暮らしています。別棟のアトリエに通って仕事をして、寝部屋に帰って、食べて、寝て――という暮らしをしています。
 お酒は好きです。一日の憂鬱を晴らすのにお酒が一番いい友達です。少しだけいただいています。 
 (ラジオNIKKEIプロデューサー 相川浩之)
 [ラジオNIKKEI「集まれ!ほっとエイジ」9月13日、9月30日放送の番組を基に再構成]

 ◎上記事は[NIKKEI STYLE]からの転載・引用です
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ブック・アサヒ・コム 堀文子の言葉 ひとりで生きる [著]堀文子
[文]永江朗  [掲載]2011年11月11日

   
  著者:堀文子  出版社:求龍堂 価格:¥ 1,296
■見習いたい孤高の画家による箴言
 3・11以降、「絆」とか「みんなで」とか、「つながり」といった言葉を頻繁に聞くようになった。「連帯を求めて孤立を恐れず」ならぬ、「孤立を求めて連帯を拒否する」をモットーにしてきた私には、なんだか居心地が悪い。
 そんななか『堀文子の言葉 ひとりで生きる』が売れているというではないか。テレビ番組で紹介されたのがきっかけだとか。
 堀は孤高の日本画家だ。若いころから常に自由を求め、自分の絵を描き続けてきた。巻末にたった一見開きの略歴があるが、それを読んだだけでも圧倒される。世間の風潮に流されることなく、やりたいこと、やるべきだと信じることを貫いてきた。
 2010年の2月末、つまり東日本大震災の1年あまり前に出たこの本は、「生きる言葉」シリーズの一冊。堀の語り下ろしと、これまでの著作やインタビューから集めた箴言集である。
 素晴らしい言葉がたくさんある。
 たとえば帯にも引かれている「群れない、慣れない、頼らない。/これが私のモットーです」。1918年(大正7年)生まれの堀は、この言葉の通りに生きてきた。この言葉の通りに、戦中も、戦後も、そして今も。
 私も見習いたいけど、できるかな。とくに「慣れない」というのが難しそうだ。
 その通り!と思ったのは、「美徳を吹聴してはなりません。美徳自慢は無粋の限りです。/ばか正直。ばか丁寧。くそ真面目。美徳にそんな言葉をつけて『過ぎる』ことをいましめていた昔の人の粋な感覚に圧倒されます」という言葉だ。
 世の中の不幸のほとんどは、くそ真面目な人によってもたらされる。「これが正義だ」「これが人類の幸福のため」と、ばか正直に真実一路な人が、下らない戦争を起こしたりする。正直も丁寧も真面目も、ほどほどがいい。
 老いに関する本、高齢者が書いた本が注目され、書店に並んでいる。だがこの本は、著者が高齢者だからすごいのではない。

 ◎上記事は[BOOKasahi.com]からの転載・引用です
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「みんなひとりが寂しいといいますが、人はそもそも孤独なんです」堀文子さん
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