遠い共存  パレスチナ占領 半世紀 ②入植地の源流 抑圧 暴力の連鎖招く 2017/9/20

2017-09-25 | 国際

2017/9/20 Wed  中日新聞
  遠い共存  パレスチナ占領 半世紀 ②入植地の源流
 抑圧 暴力の連鎖招く
 「待ち望んだ故郷に戻れたんだ。興奮したよ」。ヨハナン・ベンヤコブさん(72)は半世紀前、歓喜に震えたのを昨日のことのように覚えている。エルサレムから南に20㌔、ヨルダン川西岸にあるクファ・エツィオン地区は、イスラエルで最も古いと言われるユダヤ人入植地の1つだ。
 1967年6月の第3次中東戦争は、わずか6日間でイスラエル軍が圧勝。ヨルダン領だった西岸と東エルサレムなどを武力制圧した。予備役だったベンヤコブさんはラジオで戦況を追った。「エツィオンが解放された」との知らせを受け、ヒッチハイクを繰り返してたどり着いた19年ぶりの「故郷」だった。
 39年にユダヤ人国家の県セルを目指したポーランド出身の父親が英委任統治領パレスチナ(当時)に移住し、この地に社会主義的な自給自足の集団農業体「キブツ」を築いた。土地を奪われたパレスチナ人との衝突は激しさを増し、48年5月のイスラエル建国宣言の前日、キブツを守るために残った父を含む男たち約240人が殺害されたとされる。
 それから半世紀。67年にわずか20人だった村は現在、人口約2万の都市になった。青少年育成活動の指導者を長年務め、「水もない不毛の地だった村が50年で発展した。孫がここで育ったように、私にとっては故郷」と胸を張る。
 ベンヤコブさんは入植者と呼ばれるのを嫌うが、現実には入植地は領土拡大政策の橋頭堡の役割を果たした。西岸では、右派政党リクードが政権を取った77年当時の24カ所から十倍以上に増え、計約38万人が暮らす。占領地への自国民の移住は国際法違反だが、入植地を囲むようにコンクリートの「分離壁」建設も着々と進む。
 占領の抑圧が暴力の連鎖を招く構図は、エツィオンでも例外ではない。2014年6月に近くでユダヤ人少年3人の拉致・殺害事件が起き、イスラム主義組織ハマスの犯行と断定したイスラエルがパレスチナ自治区ガザに侵攻。2千百人が死亡する過去最悪の被害を生んだ。
 50年間の占領は「パレスチナ人を人質に取っているようで道徳に反する」と考えるベンヤコブさん。しかし、二国家共存案に従ってイスラエル軍が西岸からの撤退を迫られれば、パレスチナ全体の治安が悪化し「さらに悪い事態」を招くという。
 パレスチナ政策調査センターが8月に公表した世論調査では、二国家共存を支持するイスラエルのユダヤ人は47%だが、入植者による支持は19%。和平の理想は、現実から遊離しているように見える。(エルサレムで、奥田哲平)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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遠い共存 パレスチナ占領 半世紀 ①トランプ氏の影 イスラエル 入植に拍車 2017/9/19


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