芹沢一也
まるで時計の針が突然、巻き戻されたような、そんな感慨を抱かされる見解が相次いだ。「アキバ通り魔事件」をめぐってである。グローバル化と新自由主義改革がもたらした雇用の流動化と労働環境の悪化。こうした経済的な激動の犠牲となった若者が、どうしようもなく追いつめられて行った犯行。こうした語りが、口々に唱えられた。犯行の背後に社会的な問題を見出そうとするこうした志向は、昨今では言論人たちのあいだでもすっかり影を潜めていたものである。
というのも、ここ10年ほどのあいだは、犯罪被害者、ことに身内を殺害された遺族の応報感情にメディアの報道はシンクロし、それとともに社会全体に厳罰感情が蔓延していくなかで、事件の社会的背景を知ろうとする関心がまったく失われたからだ。凶悪犯罪を起こした人間の境遇などどうでもよい、それどころか思いのたけの憎しみを投げつけても構わない、そうしたモンスターのような存在に犯罪者たちは仕立て上げられてきた。それが何の落ち度もない犠牲者を幾人も出したにもかかわらず、アキバ通り魔事件の容疑者にはおおっぴらに同情や共感すら寄せられているのだから、やはりここ10年ほどではみられなかった現象である。
言論のトーンをめぐる変化の中心にいるのは、いわゆるロスジェネ世代だといってよいだろう。たとえば先日、『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』というムックが緊急発売されたが、その冒頭を飾った論客は赤木智弘。その後に雨宮処凛がつづいている。このような配置自体が、事件の位置づけ(をめぐる政治)を雄弁に物語る。
かつて神戸児童連続殺傷事件や西鉄バスジャック事件を起こした世代に属する加藤智大容疑者と、赤木智弘や雨宮処凛といったロスジェネ世代の論客との組み合わせ。ここには本連載でさまざまに分析してきた犯罪不安社会、あるいはセキュリティー社会の問題性が凝縮されている。そして現在、この組み合わせにおいて、犯罪をめぐる言説に変容が現れているとするならば、それは最終回に取り上げるにふさわしいテーマだろう。なによりもこの変容には、ほかならぬ「論座」という雑誌が一役以上を買っているのだから。
「進歩」と捉えられた罪刑法定主義の不在
分析のための枠組みを設定する糸口として、2003年に出版された日垣隆の『そして殺人者は野に放たれる』を取り上げてみよう。この本のなかに、息子を通り魔事件で失ったにもかかわらず、簡易精神鑑定の結果、心神喪失で容疑者が不起訴となった母親が、「なぜ殺人という結果が裁かれないのか」と訊ねる場面がある。それに対する日垣の答えは、以下のようなものであった。
日本の刑法は罪刑法定主義ではないからです。罪刑法定主義というのは、近代法治国家の大原則なのに、明治時代につくられたままの刑法はそこまで至っていません。世界各国の刑法を調べてみると、1歳以下の赤ん坊を殺した場合はこう、13歳以下の子を監禁したうえ殺害した場合はこう、金銭めあてに殺した場合はこう、という具合に可能なかぎり具体的メニューを国民に示しています。しかしながら日本では、刑法199条に『人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する』と書いてあるだけです。故殺も謀殺も区別されていない。
責任能力の問題を置くならば、犯罪がその「行為」によって裁かれないのは、日本の刑法が罪刑法定主義ではないからだというこの主張は、さすがに本質的なポイントをついている。だが同時に日垣は、決定的に誤ってもいる。先述の文章からは、日本の刑法は明治時代につくられたままで遅れている、つまり世界各国のスタンダードにいまだ達していない、こう読めるだろう。ところが、事実はまったく異なっている。現行の刑法がつくられたとき、その眼目は犯罪類型を「包括的なもの」にするところにこそあったからだ。
殺人についていえば、じつは旧刑法では謀殺、毒殺、故殺、便宜殺、誤殺といった類型に分かれていた。それが現行刑法によって、単一の殺人罪に改正されたのだ。そして、日垣の主張とはまったく反対に、そのようなかたちでの改正は、刑法が進歩したことの証しだとされていた。一体なぜか?
当時、旧刑法を批判した刑法学者や監獄学者たちは、口をそろえてみな同じことを訴えていた。犯罪類型をこと細かく細分化し、それぞれの罪にふさわしい刑罰を杓子定規に科そうとする旧刑法は、犯罪行為にのみ目を奪われているというものだ。なぜそれがいけないかといえば、同じ殺人という罪を犯した人間であっても、人によって事情は千差万別であるはずだと考えられたからだ。ところが犯罪行為に目を奪われているかぎり、犯罪者を視界に収めることができないというわけだ。
ときの司法大臣は現行刑法の施行にさいして、犯罪者の性格を考慮に入れて量刑するところに、改正の最大の目的があると説明した。われわれが手にしている刑法は、犯罪行為から「犯罪者」へと、関心の対象が移行することで誕生したわけだ。だからこそ、日垣がそうあるべきだと訴えるかたちでの量刑を、まさに否定するために現行刑法はつくられたのだ。
殺人については、旧刑法において謀殺は死刑、故殺は無期徒刑と決められていた。それが現行刑法では単一の犯罪類型となり、裁判官は死刑または無期、もしくは5年以上の懲役(04年改正)から、情状酌量による執行猶予にいたるまで、きわめて幅の広い範囲のあいだで量刑することとなった。あるいは、旧刑法では窃盗罪は種々に区分されており、原則的には4年以下の重禁錮、累犯の場合でも5年までの重禁錮だったのが、現行刑法では10年以下の懲役となり、累犯にいたっては20年までの懲役刑を科することが可能になった。
要するに、たとえ殺人を犯しても情状によっては刑罰が免除され、それに対して窃盗というような軽微な犯罪でも、それが累犯者によるものであれば、最高で20年の懲役が科されるようになった。こうした改正をリードしたのは、当時、ヨーロッパで最新の刑法論理であった新派刑法学である。時代遅れどころか、日本の現行刑法は、世界でもっとも進んだ刑法として誕生したのだ。代表的な監獄学者であったこ小河滋次郎は、刑事司法の進むべき道をつぎのように示した。「これからの司直の神は、爛爛たる雙の巨眼を付けて、よく人を見るような姿にしなければならぬ」。新しい刑法を手にした司法は、今後は犯罪者という人間をみつめなければならない。こうしたパラダイムにあってはじめて、犯罪者の性格や境遇が関心の焦点となったのである。
興味深いことに、このような性格をもつ現行刑法が制定されたとき、旧刑法には明記されていた罪刑法定主義を謳った条文が削除された。この事実に、この間、生じた変化のポイントがはっきりと示されている。刑法は犯罪行為と刑罰との対応を示した「メニュー」としてあるべきではなく、個々の犯罪者にふさわしい刑罰を科すための道具としてあるべきだということだ。それゆえ、戦前を代表する刑法学者である牧野英一は、まさに罪刑法定主義が不在である点にこそ、新刑法の進歩的な側面があると断言した。
以上のような歴史的経緯をおさえた上であれば、日本の刑法は罪刑法定主義でないために結果によって裁かれない、このような日垣の批判は本質的な意義を有する。そして、その批判がもつ核心的な意義は、犯罪被害者遺族の立場を代弁したところにあった。刑事司法が犯罪者という人間やその性格に、つまりは動機や犯情、あるいは環境などへの関心に支配されるとき、そこでみえなくなる存在が犯罪被害者と遺族である。明治の半ば以来ごく最近にいたるまで、刑事司法の関心は犯罪者にのみ注がれ、犯罪被害者とその遺族は文字通り蚊帳の外におかれてきた。・・・・
⇒アキバ通り魔事件と被害者の相貌を獲得したロスジェネ.