名張毒ぶどう酒事件で、最高裁が高裁に審理を差し戻し
産経ニュース2010.4.6 13:19
三重県名張市で昭和36年、農薬入りぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡、12人が中毒症状となった「名張毒ぶどう酒事件」で、殺人罪などで死刑が確定した奥西勝死刑囚(84)が無罪を訴え、再審を求めていた裁判の特別抗告審で、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は、名古屋高裁の再審開始決定を取り消した同高裁の決定をさらに取り消し、審理を同高裁に差し戻した。高裁で改めて、再審開始の是非が審理される。決定は5日付。
奥西死刑囚の再審請求は7回目。再審開始の要件は、有罪判決を受けた者の利益となる新たな証拠が発見されたときとされる。弁護側は今回の再審請求にあたり、5点の証拠を“新証拠”として提示していた。
これを受けて、同小法廷は、5点のうち4点を「新証拠にはあたらない」と判断。しかし、奥西死刑囚が所持していたとされ、“凶器”として自白した毒物「ニッカリンT」について、実際に使用された薬物かどうか、審理が不十分だと判断した。
その上で、「試験を実施するなどの鑑定が必要」として、差し戻し審で毒物が何だったのか、新たに実験で明らかにするように求めた。また、同小法廷5人の裁判官のうち、田原睦夫裁判官も、「改めて証拠調べがなされるべきで、必要に応じて、証人尋問も行うべきだ」とする補足意見をつけた。
事件をめぐって、名古屋高裁は平成17年4月、奥西死刑囚の再審開始を決定。しかし、検察側の異議を受けて同高裁は18年12月、異議審で再審開始決定を取り消したため、弁護団が19年1月に最高裁に特別抗告した。
.......................................................
弁護団長「再審へ光」 名張毒ぶどう酒事件、差し戻し決定
2010.4.6 14:52
名張毒ぶどう酒事件の再審請求で、最高裁が名古屋高裁に審理を差し戻す決定をしたことを受け、奥西勝元被告の弁護団長、鈴木泉弁護士が6日午後、名古屋市で記者会見し「再審開始に向けて、光が差し込んだ決定」と評価した。
ただ、鈴木弁護士は「(現時点で)再審開始が決定されても良かったのではないか」と語った。
.......................................................
「私は無実」訴え続け84歳…奥西死刑囚、時間とも戦う
asahi.com2010年4月6日17時4分
発生から49年が過ぎた名張毒ブドウ酒事件。35歳で逮捕された奥西勝死刑囚は、今年1月で84歳になった。無罪から一転死刑となった後も「無実」を訴え続け、2005年の第7次再審請求審で初めて再審開始の知らせを受けてから約5年。最高裁の結論は「審理差し戻し」だった。残された時間は、長くない。
奥西死刑囚の死刑が確定したのは38年前。全国にいる100人余の死刑囚がかかわった事件のうち、最も古いのが名張毒ブドウ酒事件だ。
「死刑囚になって、地獄の中で生きてきた。無実を晴らしていただき、父母の墓前で何とか良い報告をして、成仏させてあげたい」。奥西死刑囚は第7次再審請求で裁判所に提出した意見書に、そう心境をつづっていた。
事件で犠牲になった女性5人の中には、当時34歳だった妻も含まれていた。県警の事情聴取を受け、犯行を「自白」して逮捕されたのは1961年4月3日。翌日は小学生になる長女の入学式だった。親として「やらねばならないことが、たくさんあった」(意見書から)。
同年6月の初公判。罪状認否で「ブドウ酒にニッカリンを入れたのは私ではありません」と述べると、被害者遺族に傍聴席から「あれこそが犯人だ」と指を差された。しかし、3年半をかけて審理した一審・津地裁は「自白には多くの疑問点が存在する」として無罪を宣告。38歳で釈放された。三重県内で旋盤工やガソリンスタンド店員として働き、子どもらと寝起きをともにした。
生活が大きく変わったのは5年後だ。二審・名古屋高裁判決が言い渡される日の朝、母親が炊いた赤飯を半分だけ食べた。「戻ったら、また食べるから」と言い残し、裁判所へ向かった。
「判決主文を言い渡すからね」。法廷でこう切り出した高裁の裁判長は、一呼吸置いて「被告人を死刑」と続けた。閉廷後、両手に手錠をかけられ、拘置所に移送された。72年、最高裁で死刑が確定。「やっていない事はやっていないと、言わないかん」と励まし続けた母親は、88年に84歳で亡くなった。
死刑の執行を恐れながらの拘置所での生活。これまで処刑や獄死で見送った死刑囚は二ケタを数える。70歳を目前に控えた93年には、死亡した時に私物を届ける先や献体を希望する先などを聞かれ、いよいよと覚悟したという。
2002年末には胃の3分の2を切除する手術を受けた。体の衰えを自覚しながら、「私は無罪ではない。無実だ」と裁判のやり直しを求めてきた。
拘置所暮らしの支えは、年数回の妹との面会での他愛もない会話と、全国に広がった支援者から毎日数通ずつ届く絵手紙を眺めることだ。
特別面会人の稲生昌三さん(71)=愛知県半田市=によると、第7次再審請求で、再審開始決定が取り消された直後は、「最高裁での戦いだ」と意気込む一方で、「また、だめかな」とも漏らした。足利事件や布川事件などの再審開始の報に触れ、「次こそ自分の番だ」と期待を募らせていたという。
足利事件の菅家利和さん(63)や布川事件の桜井昌司さん(63)、杉山卓男さん(63)は、奥西死刑囚の支援のために名古屋や名張を訪れ、「冤罪を晴らそう」と呼びかけている。84歳を迎えたとき、奥西死刑囚は「私1人ではどうすることもできない。みなさん、本当にお願いします」と支援者らにメッセージを寄せていた。(志村英司)
◆名張毒ぶどう酒事件の人々〈1〉晴れぬ疑心、残る傷~〈6〉恨むよりも生きる
◆中日新聞【名張毒ぶどう酒事件の人々】
◆名張毒ぶどう酒事件異議審決定 唯一目をひいた記事