〈来栖の独白〉
光市裁判について、拙HPを訪問くださった方のアクセス元として〈光市母子殺害事件「公判詳報 6/26」「被告5年ぶりの法廷 謝罪の手紙の真意は 5/24」2007-06-27 | 光市母子殺害事件〉が、しばしば解析に残されている。何気なく上記エントリ〈光市最高裁判決と弁護人バッシング報道 安田好弘〉を覗いたところ、私のとんでもないチョンボを発見した。
〈光市最高裁判決と弁護人バッシング報道 安田好弘〉を書いた際、「上書き」処理を忘れて、以下が脱落したようだ。
「控訴審でも、ともかく死刑にしなければならないというので検察がやったのが、彼の例の手紙です。ひどい内容の手紙であることは確かです。しかし、それは隣の房にいた子どもが、小説家になりたいという希望を持っていて、彼からすれば、死刑を求刑されるような事件をやった被告人は関心の的であったわけです。文通の相手は被告人を偽悪的にもてはやします。そして、そのもてはやし、挑発といってもいいのですが、それに乗せられて書いたのが例の手紙であったわけです。しかし、そういう個人的なてがみのやりとりが、そっくりそのまま検察の手に渡って、検察が証拠請求してきたんです。検察官は、その手紙を盾にとり、裁判官と弁護士だけでなく被害者や被害者遺族も被告人に愚弄されている、絶対に許すわけにいかないと声高に主張を続けたのです。
私からすると、どうしてあの手紙が検察官の手に入ったかというだけはでなく、どうしてあんな手紙を発信することができたのか、ということが不思議でならないわけです。普通、手紙というのは拘置所の職員が全部検閲しますから。彼らは非常に教育者的な気概を持っているというか、そういう役割を自負していますから、変なものはチェックして、口を挟んでくるんです。ときには郵送を禁止したり、ここを削除しろ、書き直せと平気で干渉してくる。普通だったらあんな手紙を出せるはずがないんです。被告人に対して、「何を書いているんだ」と、叱るのが当たり前なわけです。ところが、それが一切ないまま手紙が通って、今度は堂々と法廷に証拠として出てきて、これほどひどい奴だという証拠になってくる。信書そのものが犯罪を構成しているわけではないのに、刑事事件の証拠として採用されてしまうんですね。通信の秘密、通信の自由はどうなっているんでしょうね。
それでも、控訴審は、1審の無期懲役を維持しました。控訴審は事実関係については1審と同じく見落としをしてしまいました。あの手紙については、とんでもない手紙だけれども、しかし挑発されて書かされた面がある、彼は更生の可能性があると判示するわけです。これも、死刑の量刑基準からすれば当然のことでした。」
コラムメニュー(赤字部分)と共に、早速上書きして転送したが、今頃になって・・・。こういう失敗ばかりの人生。
〈来栖の独白〉追記 2019.11.7
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