三遊亭円楽さん

2009-10-31 | 社会
春秋(10/31)
 「小股(こまた)の切れ上がった女」と聞く。それだけで、それぞれが自分好みの女性を想像する。丸顔好きなら丸顔、やせ好みならその体形を。昭和の後半は、落語家と観客の間でそんな「想像力の対話」が成り立たなくなっていく時代だった。
▼おととい76歳で死去した三遊亭円楽さんは、昭和57年に落語の難しさをそう書いた。だから「ダイレクトに演(や)る以外やりかたはない」。「星の王子様」と称してキザで売り、テレビ「笑点」の司会を23年。今なお、落語とは大喜利のことと思っている人がいるというから、その影響力たるやすさまじいものがある。
▼しかし、「笑いがないのに最後まで噺(はなし)を聞かせるのが最高の芸人だ」という師・三遊亭円生の教えを、実は大切にしていたに違いない。数多い持ちネタの中で聞く者をとりわけ揺さぶったのは、笑いの少ない人情噺だった。「泣きの円楽」。そう呼ばれていたころ、脂がのった高座が楽しみだったことを思い出す。
▼教わったことがある。「○○とかけて××ととく」の謎かけは、本来2つの言葉がかかっていなければならない。「ウグイスとかけて弔い行列ととく。そのこころは、ナクナクウメニイク」という具合に。こんな蘊蓄(うんちく)話もなつかしい。ブームと呼ばれるなか、落語界は大切な噺家の弔いを出さねばならなくなった。
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〈来栖のつぶやき〉
 学生の頃、新宿末広亭で円楽さんの噺を聴いた。意外だった半面いたく感動させられたのは、氏の凄みすら感じさせるような芸だった。じっと聴かせた。真剣で、軽薄な面白おかしさは無かった。この人は職人、名人なんだ、と品定めした。

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