〈来栖の独白 2020.1.29 Wed〉
先般の遠藤周作氏の『イエスの生涯』『キリストの誕生』もそうだが、昨年来、書棚から古本を引っ張り出して読み返している。「読み返す」と書いたけれど、ほとんど記憶になく、新鮮すぎる!
昨夜読んだ『浅田次郎編 見上げれば 星は天に満ちて 心に残る物語 日本文学秀作選』(文春文庫)の中、中島敦著「山月記」も、登場人物(虎=李徴)の真情の発露に感動のあまり泣いてしまった。
「山月記」から、最終部分のみ書き写す。
(p166~)
そうして、附加へて言ふことに、袁傪が嶺南からの帰途に決して此の途を通らないで欲しい。其の時には自分が酔ってゐて故人を認めずに襲ひかかるかも知れないから、又、今別れてから、前方百歩の所にある、あの丘に上ったら、此方を振りかへつて見て貰ひたい。自分は今の姿をもう一度お目に掛けよう。勇に誇らうとしてではない。我が醜悪な姿を示して、以て、再び此処を過ぎて自分に会はうとの気持を君に起こさせない為であると。
袁傪は叢に向かって、懇ろに別れの言葉を述べ、馬に乗った。叢の中からは、又、堪へ得ざるが如き悲泣の声が洩れた。袁傪も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言はれた通りに振り返つて、先程の林間の草地を眺めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍りでたのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失つた月を仰いで、二声、三声咆哮したかと思ふと、又、元の叢に躍り入つて、再び其の姿を見なかった。
あらすじはWikipediaから引用させていただきます。
唐の時代、隴西の李徴は若くして科挙試験に合格する秀才であったが、非常な自信家で、俗悪な大官の前で膝を屈する一介の官吏の身分に満足できず詩人として名声を得ようとした。しかし官職を退いたために経済的に困窮し挫折する。妻子を養う金のため再び東へ赴いた李徴は、地方の下級官吏の職に就くが、自尊心の高さゆえ屈辱的な思いをしたすえ、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。
翌年、李徴の旧友で監察御史となっていた袁傪(えんさん)は、旅の途上で人食い虎に襲われかける。虎は袁傪を見るとはっとして茂みに隠れ、人の声で「あぶないところだった」と何度も呟く。その声が友の李徴のものと気づいた袁傪が茂みの方に声をかけると、虎はすすり泣くばかりだったが、やがて低い声で自分は李徴だと答える。そして人食い虎の姿の李徴は、茂みに身を隠したまま、そうなってしまった経緯を語り始め、今では虎としての意識の方が次第に長くなっているという。李徴は袁傪に自分の詩を記録してくれるよう依頼し、袁傪は求めに応じ、一行の者らに書きとらせる。自分が虎になったのは自身の臆病な自尊心尊大な羞恥心、またそれゆえに切磋琢磨をしなかった怠惰のせいであると李徴は慟哭し、袁傪も涙を流す。
夜が白み始めると、李徴は袁傪に別れを告げる。袁傪一行が離れた丘から振り返ると、草むらから一匹の虎が現れ、月に咆哮した後に姿を消す。