<いのちの響き>ある知的障害者の更生 (上)自分を見つめ直し償い (下)自立こそ一番の恩返し

2017-04-27 | Life 死と隣合わせ

<いのちの響き>ある知的障害者の更生(上) 自分を見つめ直し償い
中日新聞 2017年4月20日 朝刊
  写真:屋台でカキを販売する男性(右)と施設の代表=岐阜県内で

  

 雨で客足が鈍い。負けじと、男性(33)の声が大きくなる。「さあっ! おいしいカキはいかがっすか」
 三月下旬、岐阜県内の神社の縁日。夜になり、出店が軒を連ねた参道の一角に、愛知県西尾張地方にある障害者就労支援施設が構える店があった。毎月の縁日のたび、利用者数人が出向き、焼きガキを販売する。
 男性も施設利用者の一人。中度の知的障害があり、漢字の読み書きやお釣りの計算が苦手だ。自分の気持ちをうまく表現できないと、一方的に話し続けてしまうこともある。
 それでも、慣れた手つきでカキをむき、気さくに客と会話する様子を、隣で手伝う男性代表(67)はしみじみと見つめた。「よう板についてきた」。施設に来た三年前は品物を客に手渡すのがやっとだっただけに、見違えるようだった。
 男性は長崎県出身という。六歳から名古屋市内の児童養護施設で育てられた。兄姉も同じ施設にいたが、ほかの家族の所在は分からず、「生みの親の記憶もない」という。
 小中学校には施設から通い、野球や剣道が好きだった。しかし、漢字や計算の授業にはついていけず、多くの時間を特別支援学級で過ごした。上級生から「なんで勉強できんの」とからかわれるたび、見返せないのがつらかった。
 特別支援学校高等部を中退後、学校の紹介で障害者を受け入れているごみ収集会社などで働いたが、長続きしなかった。やがて、夜の繁華街をうろつくようになり、そこで出会った少年らとミニバイクの窃盗や置引などの非行に走った。「警察から逃げるスリルが楽しかった」
 成人後は、キャバクラや風俗店の客引きをしたという。会社勤めしていたころから障害がない同僚との給与の差に不満があり、「昼の仕事より稼げると誘われた」のが理由だった。
 しかし、金を求める生活の代償は軽くなかった。二〇〇九年、逮捕され、昏睡(こんすい)強盗罪で懲役三年八カ月の実刑判決を言い渡された。判決では、知人女性と共謀し、テレクラで男性会社員をホテルに誘い出し、睡眠導入剤を入れたコーヒーを飲ませて眠らせ、現金四万円入りの財布を盗んだことなどが事実認定された。「働いてもまともに給料をもらえない。日銭を稼ぐためには仕方ないと思っていた」と男性は振り返る。
 しかし、逮捕後の取り調べや服役が心境に変化をもたらした。空き時間、六法全書を借り、読めない漢字を教わりながら、犯した罪について調べてみた。「自分の行いをどう思っているのか」。弁護士らに繰り返し尋ねられた質問の意味を考えるためだった。「楽して生きようとする自分の弱さが、周りの人に迷惑を掛けた」。まともに生き直すことが償いだと思った。
 出所後、県内の市役所を訪ね、就労支援施設の紹介を頼んだ。しかし、逮捕歴があることを知りながら、受け入れようという施設はなかなかなかった。ようやく見つかったのが、現在身を寄せている施設だった。
 あれから三年。「生活保護や障害年金と合わせても、収入は客引きしていたころの半分にもならない」。時折、そんな不満がこみ上げる。しかし「ほかに行き先はない」。その思いが、男性を踏ん張らせている。 (添田隆典)

<いのちの響き>ある知的障害者の更生(下) 自立こそ一番の恩返し
中日新聞 2017年4月21日 朝刊
 写真:勤務する喫茶店で洗い物をする男性=愛知県内で

  

 前科があるのを分かって、見ず知らずの自分を受け入れてくれる場所がある-。昏睡(こんすい)強盗の罪で三年八カ月の刑期を終えた知的障害がある男性(33)は、二〇一四年五月、愛知県西尾張地方の障害者就労支援施設に向かった。「罪を償って出てきたんだから、過去にはこだわらん」というのが、施設の男性代表(67)の考えだった。
 施設は、障害者総合支援法が定める「B型事業所」に区分される。企業への就職や、雇用契約を結ぶ「A型事業所」での就業訓練が難しい障害者に、内職などを提供する。代表は、男性にまず、住まいを世話し、生活保護の受給申請をして、作業所で衣類用防虫剤の袋詰めなどの内職を教えた。
 ただ、代表の目に男性の勤務態度は必ずしも真面目には映らなかった。事業所でもらう工賃は月一万円ほど。「生活保護と障害年金を足しても、自由に暮らせない」と不満をぶつけた。気持ちがうまく伝わらないと、一方的にまくしたてる傾向もある。
 しかし、地域のイベントや縁日などの出店では、表情が見違えた。内気で人と接するのが苦手な利用者が多い中、自ら進んで客に声を掛けた。「接客が向いてるのかもしれん」。そう考えた代表は一年前、新しい仕事を任せた。施設の近くでオープンさせたばかりの喫茶店の接客係だった。
 注文取りから、配膳、皿洗いと、どれをやらせてもそつがなかった。計算が苦手なため、大人数の会計では、障害がない施設のスタッフらに手伝ってもらわないといけない。それでも、自分のもてなしが店の売り上げに直結しているという実感が、男性を生き生きとさせた。
 代表は暇を見つけては飲食店やレストランに男性を連れて行き、店員の接客を見て学ばせている。「いろんな客と接していけば、誰に対しても落ち着いて話せるようになるんじゃないか」。いずれ就職面接などを受ける際、困らないようにとの気遣いだった。
 「一日でも早く自立させたい」という代表の願いは、日増しに強くなっている。昨年末、脳梗塞で倒れて二週間ほど入院した。そう遠くないうちに自分が活動を続けるのは難しくなると悟った一方、自分がいなくなって施設が立ちゆかなくなれば、男性たちが行き場を失わないかとの不安がよぎる。
 代表が倒れる少し前、男性には一般就労のチャンスが訪れていた。スーパーで生鮮食品を管理する求人を紹介され、面接に臨んだ。スーパーは前向きに採用を考えてくれた。でも、「長続きするか分からない」と自信が持てず、最終的に辞退した。
 それでも、代表は「もうちょっとだ」と励ましてくれる。施設に来たころは、嫌気が差すと夜中に行方をくらますことがあったが、接客で自信をつけた今は逃げ出さなくなった。
 次のステップに進めない焦りを覚えつつも、次のチャンスこそ、逃げずにつかみたいと思っている。言葉で代表にうまく感謝の気持ちを伝える自信はないけれど、「それが恩返し」と分かっているから。 (添田隆典)

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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<いのちの響き>知的障害者更生、帰住先が支え 広がらぬ受け入れ施設
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