確定死刑囚〈矢野治〉の告白 事件を闇に葬ろうとした「警視庁」ジレンマ八百余日 『週刊新潮』2017/4/20号

2017-04-27 | 死刑/重刑/生命犯

「週刊新潮」報道、戦後初の死刑囚逮捕へ 事件を闇に葬ろうとした警視庁の怠慢
■「死刑囚」の告白 事件を闇に葬ろうとした「警視庁」ジレンマ八百余日(上)
 死刑囚が手紙で「永田町の黒幕」の殺害を告白してから八百余日。警視庁はようやく、確定死刑囚としては戦後初となる逮捕に踏み切った。事件を闇に葬ろうとした警視庁の怠慢、告白の目的、迫真性を帯びた共犯者の証言。怨念が複雑に絡み合う事件の全貌――。
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 警察が把握していない2件の殺人――それは地中深くに埋もれた、錆びて朽ち果てかけた時計のようなものだった。その男が口を噤んだまま絞首場に臨んでいたら、永遠に闇に埋もれたままだったろう。しかし男は犯行を告白する手紙を警察に出すだけではなく、弁護士を通じて本誌(「週刊新潮」)にも送付してきた。そのことにより、約20年を経て闇から引きずり出された殺人事件。今回、男が逮捕されるに至り、それは再びゆっくりと時を刻み始めた。
 男の名前は矢野治(68)。指定暴力団・住吉会の幸平一家矢野睦会の前会長である。矢野は2003年に発生した「前橋スナック銃乱射事件」で殺人の共謀共同正犯に問われ、14年に死刑判決が確定。その身柄は東京拘置所にある。
 今回の矢野の逮捕容疑は不動産ブローカー、斎藤衛に対する殺人だ。「龍一成」という稼業名を持ち、あの「オレンジ共済事件」にも登場する彼がいかにして殺されたのかについては後で詳述するとして、まずは矢野が逮捕されるに至る経緯に触れておきたい。
■「たくさん、人を殺めています」
 矢野は斎藤だけではなく、神奈川県伊勢原市で不動産業を営んでいた津川静夫さん(60)の殺害に関与したことも告白していたが、
「津川さんの事件は矢野が自ら手を下さず、人に依頼して殺させている。そのため矢野が事実関係を把握できていない部分があるが、一方、斎藤の事件については、動機の面も含めて自らが直接関与している。そういった理由から斎藤の事件を立件し、津川さんの事件の立件は見送る方針となった」(捜査関係者)
 死刑判決を受けた人間が未発覚の殺人を告白し、逮捕される。同様の例として思い出されるのは、後藤良次死刑囚のケースだ。彼は未発覚の殺人事件3件への関与に触れた上申書を茨城県警に送付し、後に殺人容疑で逮捕された。『凶悪』(小社刊)を読んだ方は一連の経緯をご存じだろうが、彼が未発覚の殺人事件への関与を告白したのは死刑判決を受けて上告中だった時である。今回の矢野は先に触れた通り、
「すでに判決が確定している。確定死刑囚の逮捕は戦後初の出来事です」(同)
 無論、矢野の目的はそうした形で「戦後事件史」に名前を刻むことなどではない。かつて彼は弁護士との面会時にこう語っていた。
「私は、発覚している事件以外にもたくさん、人を殺めています。全てを明るみに出し、垢を落としてから、刑に臨みたい」
 しかし、それとて自らの胸中を全て曝け出した言葉ではないはずだ。彼は今回逮捕されるにあたり、しっかりと確認したに違いない。闇に埋もれていた事件がゆっくりと動き出すのと同時に、別の時計がピタリと動きを止めたことを。言うまでもなくそれは、死刑執行までのカウントダウンを冷たく刻み、彼を怯えさせていた時計である。
■遺族の切実な思い
 今回、斎藤の事件が立件される運びとなったことで、少なくとも、この新たな事件の公判が終結するまでは彼の死刑は執行されない。そもそも彼の告白の目的が死刑執行の先送りにあったことは疑いようがなく、「厭戦ムード」が漂う警視庁は、あろうことか、この件をしばらく放置した。
 矢野が犯行を告白する手紙を受け取っていたのは、警視庁目白署と渋谷署。手紙を受け、目白署は14年末に東京拘置所で形ばかりの事情聴取を行ったのみ。渋谷署に至っては確認にすら動かず、無視したのである。
 さらにその間、両事件で死体遺棄役を務めた元矢野睦会組員、結城実氏(仮名)にはコンタクトを取ろうとした形跡すらない。結城氏が本誌の説得に応じて事件の全容を明かし、〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白〉というタイトルの記事が掲載されたのは昨年2月。すると、警視庁は慌てて結城氏に接触、事情聴取を始めたのだ。
 そして4月10日、矢野はようやく殺人容疑で逮捕され、「延命」の目的をまんまと達成した。死刑囚の歪んだ目的が果たされてしまうくらいなら、事件は闇から闇へと葬られたほうが良かったのではないか。もしかしたらそうお考えになる方も中にはいるかもしれないが、そんな方には殺された2人の遺族の声に耳を傾けていただきたい。
 伊勢原市の津川さんは宅配便を受けとろうとサンダル履きで自宅を出たところを襲われた。予兆は一切なく、津川さんの妻は、「いつか“ただいま”と言って帰ってくる」と僅かな希望を持ち続けていたという。
「もし埋められているのが事実なら、掘り出してあげたい。何より主人が望んでいる筈です。亡くなったというのなら、骨だけでもいいから私の元に帰ってきてほしい」
 と声を絞り出したのは津川さんの妻。もう1人の被害者、斎藤の姉の言葉にも切実な思いがこもる。
「弟の死が事実なら、警察の力を借りて、せめて骨だけでも拾い上げたい」
 本誌報道によって警察がようやく捜査を始めたことにより、2人の被害者の遺骨は暗い地中から発見され、遺族の願いは叶えられた。また、遺族が真相を知りたいと望んでいることは言うまでもない。いずれの側面から見ても、事件を闇に葬ろうとした警視庁の怠慢は断罪されるべきである。

■「死刑囚」の告白 事件を闇に葬ろうとした「警視庁」ジレンマ八百余日(下)
 死刑囚・矢野治(指定暴力団・住吉会の幸平一家矢野睦会の前会長)(68)が告白していた「永田町の黒幕」殺害の全貌。「週刊新潮」の報道により、警視庁はようやく矢野の逮捕に踏み切った。矢野は2件の犯行を告白していたが、今回の逮捕容疑は不動産ブローカー、斎藤衛に対する殺人である。
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 斎藤の遺骨は昨年11月30日、秩父に隣接する埼玉県ときがわ町の山林で発見された。彼の右手の骨は虚空を掴むように地中から突き出され、薬指にはプラチナの指輪が。そのリングの両脇2カ所には、彼の稼業名である「龍」の文字が刻印されていた。
「龍は不動産ブローカーとして住吉会のある組に出入りするうち、幸平一家の有力幹部に気に入られ、企業舎弟になった。矢野さんと知り合ったのもその関係だ。その頃から『龍一成』という稼業名を名乗るようになった」(暴力団関係者)
 斎藤がその有力幹部の紹介で知り合ったのが、旧川崎財閥の資産管理会社「川崎定徳」の佐藤茂社長だ。あらゆる方面に顔が利く佐藤の後ろ盾を得た斎藤は地上げで成功。1992年には10億円近い所得があり、全国長者番付にも登場した。
 しかし斎藤は、銀座のクラブに高級車に、と湯水のごとく金を費消。そんな彼が目を付けたのが、国会議員を目指していた友部達夫が設立した「オレンジ共済組合」の“オレンジ・マネー”である。
 同組合は92年頃から高配当の金融商品を売り出して100億円近い資金を集め、その一部は政界に流れた。95年の参院選に出馬した友部が、新進党での比例名簿順位を上げさせるため、5億円もの資金を使って行った政界工作。それを担ったブローカーこそ、斎藤その人であった。
 結局、政界工作のおかげで友部は初当選と相成ったものの、96年には組合が破綻、97年に詐欺容疑で逮捕された。一方の斎藤の姿は97年、国会にあった。オレンジ共済事件に関する証人喚問の席で、政界に金をばらまいた“永田町の黒幕”として追及を受けた彼がぷっつりと消息を絶つのは、翌98年春頃のことだった。
■「龍がロクった」
 絶命の瞬間、斎藤の体は檻の中にあった。東京・要町にあった矢野の知り合いの組長の事務所に設置されていた檻である。矢野からの手紙と、弁護人による面会を通じて得られた情報をもとにした矢野の証言の概要は以下の通りだ。
〈彼には糖尿病があり、いつ死んでもおかしくないくらい、体が弱っていた。私は怨念を抱きながら、その首にネクタイを巻きつけました。彼の命を奪うということは、私の債権も回収できなくなることを意味するからです。抵抗する力も残っていない龍の首を締めあげました。ほどなくして龍は絶命したのです〉
“私の債権”という語句が登場することから分かる通り、殺害の動機は金である。矢野が斎藤に貸していた金のうち、8600万円が焦げ付いた。執拗に追い込みをかける矢野に、斎藤はこう提案した。
「『川崎定徳』の佐藤さんが亡くなった後、会社の資産を受け継いで、管理している男がいる。奴を攫って脅す。権利関係の書類を奪い、それから殺します」
 だが、その人物は住吉会の大幹部とも親交があった。矢野はその殺害計画を中止させようと説得するが、斎藤は聞く耳を持たない。そこで矢野は知り合いの組長の事務所に監禁し、殺害したというわけである。
「龍がロクった(死んだ)。死体を始末してくれ」
 矢野からそう電話で指示されたのは、彼の配下の結城実(仮名)氏だ。氏は他の組員と共に、事前に埼玉方面に死体を遺棄するための穴を用意していた。以下は結城氏の証言である。
〈木の葉をかきわけ、土嚢袋をすべて取り出すと、我々は龍の遺体をその穴の中に放り込んだのです。時計や指輪をはめていましたが、そのままの状態で体に土嚢袋の土をかけていきました。ほどなくして、龍の遺体は土の中に完全に埋もれてしまった。スコップで地面を固めると、その上にまた木の葉をかけたのです〉
■“食えない死刑囚”
 迫真性を帯びた矢野と結城氏の証言。それらが掲載された本誌(「週刊新潮」)記事について、
「何の文句もない。俺は刑事に対し、やってないものはやってないと言うし、やったことはやったと認めるつもりだ」
 矢野は当初、そう述べていたのだが、
「そのうちこの件について、“何の話だ?”とか“知らねぇ”などと言ってとぼけるようになった。さらに、最近は任意の事情聴取に対して、話すことを億劫がる傾向が出てきて、“手紙の内容は無かったことにしてほしい”とまで言うようになっていたのです」
 と、先の捜査関係者。
「そこで、捜査に強制性を持たせる狙いもあり、逮捕という手段をとったわけです。警視庁としては矢野の身柄を警視庁本庁や目白署に移しての取調べを求めていましたが、法務省は“不測の事態が起こったらまずい”として一貫して拒否。拘置所に身柄を置いたままでの逮捕となりました」(同)
 拘置所の中で行われる“食えない死刑囚”矢野の取調べは一筋縄ではいかないだろう。しかし、これまでの怠慢の責任を取る意味でも、警視庁は今度こそこの男と正面から対峙しなければならないのだ。
  写真:矢野治死刑囚 

   

 特集「永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白 事件を闇に葬ろうとした『警視庁』ジレンマ八百余日」より 週刊新潮 2017年4月20日号 掲載 ※この記事の内容は掲載当時のものです

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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永田町の黒幕「リュー一世(斉藤衛)」を埋めた矢野治死刑囚の告白(1)(2) 週刊新潮2016/2/25号 
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