原発処理 作業員の被ばく隠し 今後四十年かかる廃炉も中心を担うのは末端の作業員だ 中日新聞 社説

2012-08-25 | 政治

被ばく隠し 作業員いての原発処理
中日〈東京〉新聞2012年8月25日
 東京電力福島第一原発で作業員の被ばく線量がごまかされていた。多重の下請け構造で、労働者の命や健康が脅かされている。国は事業者に対し、被ばく線量管理や偽装チェックを徹底すべきだ。
 本末転倒の犯罪的行為だった。
 東電の孫請け会社の役員が、作業員の線量計を放射線を下げる効果のある鉛カバーで覆い、実際の線量よりも低く見せ掛けようと命じた。労働安全衛生法はもちろん、刑法にも触れかねない。
 作業員の被ばく線量は年間許容量が定められ、上限になると働けない。現場では以前から線量のごまかしが行われていたとされ、発覚したのは氷山の一角である。
 ほかのケースで従事した作業員は証言している。「高線量の場所で警報が鳴らないように線量計のスイッチを切った」「線量計を身につけずに作業場の外に出していた」。これまで目を向けられてこなかった現場の実態と問題が浮かんでくる。
 東電は不正発覚を受け、福島第一原発で昨年六月以降、線量計を紛失したり、装着していなかったケースが二十八件あったという調査結果を公表した。ずっと偽装は見て見ぬふりをされて、対策は怠られてきた。
 原発作業は、東電をトップに約四百社がピラミッドをつくる。プラントメーカー、子会社、孫請け、小規模事業者、一人親方…。下へ、下へと降ろされる間に手数料がピンハネされ、末端で働いているのは多くが立場の弱い日雇いの労働者だ。
 作業員が集まりにくいと暴力団を使った強引な人集めもはびこることになる。発覚した例も、派遣許可のない業者から送り込まれたり、口利き業者が絡んだ違法な多重派遣だった。これでは作業員が病気になっても事業者の責任はあいまいにされてしまう。労災を申請しようにも被ばくの証明が難しく、救済できなくなる。
 3・11事故で高線量の作業が増え、一人一人の被ばく線量を足しあげた「被ばく総線量」は、事故前の十六倍に跳ね上がっている。健康に対する不安は増すばかりである。
 今後四十年かかる廃炉も中心を担うのは末端の作業員だ。許容線量が上限に達した作業員が雇用保険もなく、雇い止めにされる問題もある。国は事業者に被ばく線量と健康の管理を徹底させ、作業員が安心できる生活保障の道筋をつくっていってもらいたい。


線量計に鉛カバー強要 作業員の被ばく隠しか 福島原発事故 2012-07-22 | 原発/政治 
 【福島原発事故】線量計に鉛カバー強要 作業員の被ばく隠しか
 東京新聞2012年7月21日
 東京電力福島第一原発事故の収束作業をめぐり、作業を請け負った福島県内の建設会社の役員が昨年十二月、作業員が個別に装着する警報付き線量計(APD)を鉛板のカバーで覆うよう強要していたことが二十一日、関係者への取材で分かった。これまでにカバーの使用を認めた作業員はいない。
 累積被ばく線量が高くなった役員が、遮蔽(しゃへい)効果が高いとされる鉛でAPDを覆い、被ばく線量を偽装しようとしたとみられる。厚生労働省は労働安全衛生法違反の疑いもあるとみて調査を開始、福島労働局などが同日、第一原発内の関係先を立ち入り検査した。
 関係者によると、装着を強要していたのは、東電グループの東京エネシス(東京)の下請け企業「ビルドアップ」(福島県)の五十代の役員。昨年十二月一日、作業員宿舎で約十人の作業員に鉛板で作ったカバーを示し、翌日の作業で装着するAPDをカバーで覆うよう求めた。
 役員だけが装着した場合、一人だけ極端に被ばく線量が低くなって偽装が発覚するのを恐れたとみられる。
 ビルドアップが請け負っていたのは、汚染水を処理する設備の配管が凍結しないようホースに保温材を取り付ける作業。作業現場付近の空間線量は毎時〇・三~一・二ミリシーベルトだった。工期は昨年十一月下旬から今年三月。
 東京エネシス広報室によると、ビルドアップからは「(役員は)カバーを作ったが、作業員は使っていない」と連絡があったという。東京エネシスは「事実だとすれば非常に問題だ」としており、役員が単独で作製したかなどを調べている。
<原発作業員の被ばく線量> 原発で働く作業員の被ばく線量限度は、通常作業時が「5年間で100ミリシーベルトかつ年間で50ミリシーベルト」。事故などの緊急時は「年間100ミリシーベルト」としている。東京電力福島第一原発事故では、作業時間を確保するため特例として100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げたが、収束作業の進展に伴い、昨年12月から原則として通常時の基準に引き下げられた。一般人の年間被ばく線量限度は1ミリシーベルト。

        
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「あなたは、大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか」原発作業員の母 /「鳴き殺し」というごまかしの術 2012-08-01 | 原発/政治 
 中日春秋
 2012年8月1日
 きょうも福島第一原発では、二千人以上が働く。炎天下で防護服とマスク。現地でも真夏日が一週間近く続いている。想像するだけで、気が重くなる作業だ▼「あなたは、あなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」。あるお母さんは自作のプラカードを手に、脱原発デモを歩いている▼そんな記事を読んで、重い石を持たされたような気がした。過酷な現場に家族を送る母たちの苦悩を、私たちは、どれだけ分かち合えるだろう▼そもそも、電力会社は作業員の命を本気で守ろうとしているのか。福島の事故発生時に、原子炉の危険な状態が作業員にどう伝わっていたのかを、国会事故調が調べた。東電社員は半分近くが説明されていたが、孫請けでは九割以上が知らされていなかった▼世界の原発産業を主導してきた米ゼネラル・エレクトリック首脳ですら「原子力を正当化するのは難しい。非常に困難だ」と英紙に語った。天然ガスや自然エネルギーのコストと比較してのことだ。なのに、この国の財界首脳らは経済のために、原発が不可欠だと繰り返す▼原発作業員の間に「鳴き殺し」という隠語があるらしい。高線量で警報が鳴ることを避けるためのごまかしの術だ。家族を思う母の声も、脱原発に舵(かじ)を切ろうという国内外の声も「鳴き殺し」にするつもりなのか。
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 「家族に原発で働けと言えますか」 果てない被ばく労働 
中日新聞 特報 2012/07/28 Sat.
 脱原発デモの現場ではあまり語られないが、避けられないことがある。福島第一原発の廃炉処理や除染作業だ。廃炉までには、膨大な労働力と被ばくが伴う。さらに経験の乏しい除染の被ばく対策も課題に挙がっている。昨年末にできた除染被ばく規制は有効なのか。長期にわたる作業を保障するのは、確かな労働者保護の仕組みだ。だが、現場では鉛板による被ばく隠しすら発覚している。(出田阿生、中山洋子)
■事故収束作業 息子の「使命感」、胸痛める母
 「あなたは、あなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」
 脱原発デモにこう記されたプラカードを手にして参加する女性がいる。木田節子さん(58)。長男は福島第一原発の事故収束作業に従事する。
 福島県富岡町に家を建て、二十年間住んだ。現在は水戸市に避難する。「町内は原発で働く人が多く、息子からも小さな事故の話はよく聞いていた。でも、『自分たちが生きてる間は大事故はねえべ』と話していた」
 事故後の十ヶ月間は引きこもっていた。その間、原発に関する本を数多く読んだ。「勉強が足りなかった。作業員は政治家や電力会社に利用されてきたと気づいた」
 長男は十九歳で東京電力の下請け会社に就職した。「四次か五次請け」で、八年勤めて月給は手取りで十七万円程度。ボーナスもなかった。一年半前に、少し条件の良い今の会社に転職した。
 今年二月、避難先に寄った長男とテレビを見ていると再稼働のニュースが流れた。「この国は懲りないね。福島がこんなになって責任も取っていないのに」と木田さんが呆れると、長男は「この国には資源がないから原発が必要なんだよ」とボソッとつぶやいた。
 「原発が爆発して住むところを追われた。田舎に原発を造り、地元民が被曝しても仕方がないと電力会社に思われていることも知らないのか」
 しかし、この木田さんの言葉は届かなかった。その後、長男は寄り付かなくなってしまった。
 知人の原発技術者から「東電は社員を被曝させたくないので、協力会社(下請け)から出向名目で人を呼ぶ。息子さんもいずれ福島第一の収束作業に従事させられるだろう」と警告された。その予想は現実となった。
 ただ、他の原発労働者と知り合い、長男の心情を少し理解できた。「みんな被ばくは怖い。『必要とされている』と自己犠牲の精神を奮い立たせ、必死に自分を支えていると思う」
 別の原発労働者からはデモに参加した感想を聞かされた。「今すぐ廃炉」という掛け声に違和感を抱いたという。
 「廃炉にも四十年以上かかる。都会で原発反対を叫ぶ人たちは、その間も被ばく労働が続くことが分かっているのか」
 木田さんは最近、原発労働をめぐる対政府交渉に出た。長男と同年齢の官僚が「雇用保険に入っていない作業員が半分くらいいる・・・」と、淡々と語っていた。同じ国のために働いているのに、この官僚と長男の置かれている環境の違いは何か。憤りを覚えたという。
■除染現場 リスク深刻 薄い緊張感、放射線管理も後手
 原発で危険な作業に当たるのは常に下請け労働者だ。最新の「原子力施設運転管理年報」をみると、大手電力会社の社員一人当たりの平均被曝線量が年間〇・三ミリシーベルトなのに対し、メーカーや下請けなど「その他」作業員の平均は一・一ミリシーベルトと大幅に上回っている。
 福島原発直下の富岡町で四十年以上、反原発運動に取り組んできた石丸小四郎さんは「政府が事故収束宣言を出してから、福島第一原発で働く人の労働条件が悪化している」と指摘する。
 労働者の持つ線量計を鉛板で覆う被曝隠しが発覚した。こうした被ばく労働の現場は原発の敷地内に限らず、周辺の除染作業にも共通する。
 二十七日には田村市で、国が直轄で除染する「本格除染」が始まった。前段階の除染モデル実証事業では、大熊町で除染に携わった作業員の最大被曝線量が百八日間で一一・六ミリシーベルト。五年間の法廷被ばく線量である一〇〇ミリシーベルトこ超える可能性も出てきている。
 除染現場の放射線量管理が求められている。しかし、対応は後手に回っている感が強い。原発労働者の被ばく対策を定めた「電離放射線障害防止規則(電離則)」は屋内作業を前提としていた。
 このため、厚生労働省は昨年末、除染作業での被曝防止のために「除染電離則」を制定。今月からは対象を広げた改正規則が施行された。しかし、この新ルールでも「労働者を保護できない」といぶかる声は多い。
 NPO東京労働安全衛生センターの飯田勝泰事務局長は「作業前には必ず特別教育が必要だとか、粉塵マスクなど決められた装備を守るなど内容は立派だが、どの程度守られるかについては非常に疑問だ」と話す。
 「実際は除染作業に当たる業者も労働者も、放射線防護の経験がない場合がほとんどだ。事業者向けの講習もわずか一日。それで必要な手順を身に付けるのは無理だ」
 改正除染電離則では、平均空間線量が毎時二・五マイクロシーベルト以下だと個人線量計を着用するのは代表者だけでいい。このルールはボランティアの除染作業従事者にも援用されるが、福島原発事故緊急会議メンバーの那須実氏は「個人線量も管理しないで、被ばくの防護といえるのか」と警告する。
 こうした批判に厚労省放射線対策室の担当者は「国際放射線防護委員会(ICRP)の基準を考慮すると、二・五マイクロシーベルト以下の場合は本来、個人線量を測る必要はない」と強調。実効性についても「適切な管理が行われているかどうかは、労働基準監督署が監督する。除染現場にもすでに入っている」と説明する。
 しかし、郡山市に住む労働組合「ふくしま連帯ユニオン」の佐藤隆書記長は、規則と現実がかけ離れていることを指摘する。
 「実際には公園の除染や街路の枝を払っている作業員も、せいぜいマスクを着けるくらい。きちんと防護しているようには見えない。通学路などは住民たちで除染しているが、被ばく防止の事前講習は全くない。池の周辺や木陰など毎時四~五マイクロシーベルトを超えるホットスポットはあちこちに点在するのに、累積の被曝は考慮されているのか」
 ある意味、原発敷地内ほどの緊張感がない分、除染作業による被ばくは深刻ともいえる。長丁場になる原発内外での被曝との闘い。前出の木田さんはこう断言した。
 「この国は、放射線と闘う労働者抜きには立ちゆかない。労働環境を整えずして明日はない」
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福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」 2011-04-08 | 原発/政治 

潜入ルポ 福島第一原発「被曝覚悟で闘う現場作業員たち」 放射線量が増大し作業はますます危険に
現代ビジネス2011年04月08日(金) FRIDAY

 福島第一原発周辺の通行車両を除染する作業員。「一日1回、防毒マスクのフィルターを交換しています」
 芝生の上にサッカーボールは見当たらなかった。ピッチの隅に追いやられたゴールの脇では、クレーン車が鉄板を敷き詰める作業を進めている。駐車場に目を向けると、陸上自衛隊の74式戦車が2台と航空自衛隊の赤い消防車数台が見える。
 パタパタパタパタ・・・。
 大きな音がする方角を見上げると、迷彩色のヘリコプターが降下してきた。砂埃が上がる着地点に向け、防毒マスク、防護服をまとった白装束の男たち数人が駆けていく—。サムライジャパンの合宿所として知られる、日本最大のサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉町)。原発建設の見返りとして東京電力が県に寄贈した広大なサッカー場は、皮肉なことに、その東電のために戦場と化していた。
 東日本大震災以来、緊迫した状態が続いている福島第一原発。東電社員、自衛隊、東京消防庁ハイパーレスキュー隊らが連日、命がけの復旧作業を行っている。
 その前線基地となっているのが、第一原発から南方20Kmに位置するJヴィレッジだ。避難勧告エリアにあるため、メディアのカメラが入るのは本誌が初。だが、記者が現地に足を踏み入れた3月27日午後の時点で"基地"には100名以上の男たちがいた。自衛官や消防隊員より、むしろ目立ったのは大手ゼネコンや東京電力の協力会社の作業員たち。
「私たちはテレビには映りませんから」
 「一般人」の多さに戸惑う記者に、笑いかけたのは大成建設の作業員だった。東電の要請を受け、社員26名、協力会社の作業員100名の陣容で、3月16日から福島第一原発内で作業を行っているという。
 実際に第一原発敷地内で作業を行った作業員の一人はこう語った。
防護服を着て、3号機の10mくらいまで接近して作業をしました。消防車やポンプ車が通れるように、重機で瓦礫を撤去するのが私たちの仕事です。3月18日の朝7時に敷地内に入り、戻ってきたのは夜8時くらい。東電さんが線量計で放射線の数値を測ってくれます。
 限界に達するとアラームが鳴って知らせてくれる仕組み。社の規定では1時間あたり100ミリシーベルトが被曝の限度ですが、今回は80ミリシーベルトに設定して、安全第一でやっているので、実際に作業できる時間は2時間程度。一度に作業するのは20人くらいで、その他の人は、敷地内にある免震棟という非常時に使う施設で待機。目に見えない放射能の恐怖の中での作業は緊張します」
 そう言うものの、作業員の言葉は力強い。士気が高いのだ。
「みな、志願した上で、上長と面接して意思を再確認してから、ここに来ています。国を救いたいという一心です」
 Jヴィレッジ内の駐車場で待機していた東電の二次請け会社の役員が恐怖体験を振り返る。
「私たちは物流を担当しています。毎日、「カロリーメイト」や野菜ジュースなどの食料、ホースなどの資材を原発まで届けるのです。問題なのは、私どものような下支え作業員のところには、情報が届くのが遅いということ。3号機から原因不明の黒煙が出た日(3月23日)も、煙の中を、車を走らせ、原発敷地内に入っていました。『これはヤバイな』と慌てて荷を下ろして引き揚げたんですが、まさか退避命令が出ていたとは・・・。幸いその日の放射線量検査はセーフ(基準値内)でしたが、翌日はアウト。少し、被曝してしまいました」
 彼の言う「翌日」とは、東電の協力会社の作業員3名が、3号機のタービン建屋地下で作業中、170〜180ミリシーベルトという高濃度の放射線に被曝。うち、2人が病院へ運ばれた3月24日のことだ。
「実は、私はあの3人のすぐ隣で除染を受けていたのです。裸になって、空のプールに入って水で体を洗うのですが、仕切りがあって、彼らの表情までは見えませんでした。ただ、東電社員や消防隊員が大勢駆けつけたので、かなりヤバい状況だというのは分かった。ここに来て10日になります。もちろん、ニュースはチェックしているんですが、放射能に対する恐怖に慣れつつあるのが怖いですね」
 自衛隊員や消防隊員で宿泊施設が一杯なため、彼らは自分たちのバスの中で寝泊りしているという。
「命の保証はできない」
 話を聞いている最中に東電の総務と名乗る男が険しい顔で近づいてきた。
「許可は取っているのですか。作業員たちに声をかけるのはやめてください」
 その後、作業員たちは口をつぐんでしまった。3月29日付「東京新聞」は、東電の協力会社が日当40万円という高報酬で作業員たちを募っていたという証言を掲載した。
「現在は20万円ほどだそうですが、震災翌日には100万円の値がついたそうです」
 と驚きの証言をするのは、原発から約25Km、屋内退避エリアの福島県南相馬市に今も暮らす田中大さん(30・仮名)だ。
「知人が福島第一原発で働いていたんです。震災当日は4号機で作業をしていたんですが、新潟への避難を決断。親戚にも県外退避を促していると、作業員仲間から電話があって、『明日、現場に出たら報酬100万円だそうだ。命の保証はできないらしいけど』と誘われたそうです」
 知人がこのオファーを蹴ったことを知って、田中さんは恐怖を覚えたという。
「いわば、原発の現場を熟知する人間が避難する道を選んだワケですから。彼は『いつまで南相馬にいるつもりだ? プルトニウムが撒き散らされていることが発表されたら、自由に移動できなくなるかもしれないぞ。浪江(原発のある地区)から福島市までは汚染されやすいホットスポット。間違いなく人体に影響はある。
 ヨウ素は甲状腺、セシウムは精巣に貯まり、がん発症の引き金になる。水も飲むな。今の基準値は事故後、100倍甘く引き下げられた数値だ。みな、パニックが起きないよう安全を強調しているんだと思う』とまで言っていた。彼と話した3日後の3月28日、プルトニウムが検出されたという報道が出てゾッとしました」
 プルトニウムは報道の1週間前に採取された土から検出されたことを考えると「安全を強調している」という言葉が不気味なほど真実味を帯びる。
 Jヴィレッジには、そんな被曝確実の現場に向かう人が現在も溢れていた。一体、なぜ、何のために—前出の会社役員はこう理由を語るのだった。
「ウチは発注元と条件面の話はできていませんが、仕事だからというのはある。けれど、それ以前に日本を救いたい。家族を守りたいという使命感が我々を突き動かしています。中一になる息子は『父さんが頑張ってるんだから、俺も頑張るよ』と見送ってくれましたが、不安は隠せなかった。確かに放射能は怖い。けれど、誰かが行かないといけないから」
 テレビには映らない、無名のヒーローたちが原発危機と日夜戦っている。
命懸けで働く作業員に、被曝に対する予防を!
「隊長の会見を見て、胸を打たれました。彼らは命を懸けて最前線で戦っていた。ならば、我々、医療者は有効な予防法を考え、彼らを守らなければならないと感じたのです」
 3月18日から行われた、福島第一原発内での東京消防庁ハイパーレスキュー隊による放水作業は、一定の効果を得たと言われている。被曝しながらも任務にあたった隊員、なかでも冨岡豊彦総括隊長(47)らの涙ながらの会見に多くの人が胸を打たれた。冒頭のように語る、虎の門病院血液内科部長の谷口修一医師もその一人だ。原発内外では今もなお、高濃度の放射線が測定されている。
「これからも原発の第一線で働き、被曝してしまう人は多いでしょう。急性の放射線障害は細胞分裂が速い細胞で起こりやすい。まず、破壊されるのは骨髄(造血)機能と生殖機能です。造血障害による"致命的な状況"を防ぐには、"造血幹細胞移植治療"が効果的。作業員から事前に血液を造る幹細胞を採取・保存しておけば、造血機能が破壊されても、保存した幹細胞を再注入して、造血機能を回復させることができるのです」(谷口医師)
 3月28日、原発2号機タービン建屋脇のトレンチに溜まった水の表面から、毎時1000ミリシーベルト以上の放射線量が計測された。これは、作業員の被曝線量上限の約4倍。30分その場にいただけでリンパ球が半減。1時間で嘔吐などの急性症状が現れ、4時間いれば1ヵ月以内に50%の確率で死亡するとされる値である。しかし、冷却機能復旧のためには汚染水の除去が目下の最優先課題。当然、多くの人が現場で作業することになる。その際に、先の"造血幹細胞移植治療"は有効な"予防"になるという。
「地震発生以来、我々の想像を絶することばかりが起きている」
 こう語るのは、九州大学病院遺伝子・細胞療法部の准教授・豊嶋崇徳(てしま・たかのり)医師。対応が後手後手の東電と政府に苦言を呈し、豊嶋・谷口両氏は、作業員への予防医療の重要性を語る。
「重大事故時の緊急作業において総被曝線量の国際基準上限は500ミリシーベルト。"予防"をしておけば、その10〜20倍くらいまでの被曝をしても治療が出来る」(谷口医師)
 つまり、急性症状が現れ始める1000ミリシーベルト以上の被曝をしても治療は可能なのだという。方法は?
「直接、骨髄に針を刺して髄液を採取するのは、かなりの痛みを伴い、作業員が仕事に復帰するにも1週間ほどかかる。他に、G‐CSF(体内に存在する白血球を増やすサイトカインというタンパク質)という薬剤を投与し、骨髄から造血幹細胞を追い出し、採血する方法もあります。ただ、この方法でも、充分な幹細胞を得るには4〜5日かかる」(豊嶋氏)
 今、この瞬間も現場の最前線では作業員が戦っている。一刻の猶予もない。だが、別の手立てがあるという。
「『モゾビル』とG‐CSFを併用することで、幹細胞を採取するため、4〜5日かかっていた治療を1泊2日の入院に短縮できます。ただ、『モゾビル』は日本では未承認なんです。欧米やアジア諸国ではすでに使用されている薬剤なのですが・・・」(豊嶋氏)
 『モゾビル』は造血幹細胞の血中濃度を高め、採取しやすくする注射薬。入院1日目の夜12時頃、皮下注射で投与する。翌朝6時にG‐CSFを筋肉注射し、9時頃から採取開始。3時間後の12時頃に終了する。
「副作用は一切ない。採取も通常の採血と同様で両腕を伸ばした状態で針を刺すだけ。退院後、すぐに作業に戻っても問題はありません。私どもは、モゾビルの使用許可を得るために官邸にも足を運びました」(谷口医師)
 他国で使用を許され、日本では未承認の薬剤の使用要請を官邸はどう受け止めたのか? 厚労省関係者が明かす。
「仙谷由人官房副長官はその案件について、表立って了承はしないが、薬剤の使用を禁止することもしなかった。前代未聞です」
 明るい話に聞こえるが、豊嶋医師は"治療の限界"についても明かす。
「急性障害自体は2週間で治ります。だが、これはあくまで"血液の部分"に関してのみ。例えば造血器官の次に影響を受けやすい、腸などに内部汚染が進むと、腸管破壊が起こってしまいこの予防法では手に負えない。あくまで、限定的な保険のようなものです」
 3月30日時点、すでに谷口医師の下には、"移植医療"依頼が届いている。患者は原発周辺のガレキ除去に向かう作業員。費用は保険が利かないため、1回20万円と高額だ。
「治療費を支払うのは国か、それとも東電や関連企業なのかー。早急に対応していかなければならない問題です」(豊嶋医師)
 高い"保険料"だが、命をお金の多寡では語れない。国や東電は最低限この移植の費用を負担すべきではないか。
 *強調(太字)は、来栖
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「ツイッター」で原発現場の情報を発信してきた地元作業員「自分の健康や将来をあきらめながら働いている」 2012-03-16 | 原発/政治
 収束などしていない 福島発つぶやき 1年続けた原発作業員 
中日新聞《 特 報 》2012/3/16 Fri.
 いまだ放射線量が高い過酷な環境のもと、事故処理作業が続く東京電力福島第一原発。先行きが見通せない中、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」で現場などの情報を事故直後から発信してきた地元出身の男性作業員が、発生から1年を機に本誌の取材に応じた。自宅へ帰ることすらまだかなわない自称「国策の被害者」の胸中は-。 (小倉貞俊)
■心配しなくていいが 安心してはいけない
 「今は、くすぶっているたき火に水をかけ続けているような状態。心配はしなくていいが、安心してはいけない。もちろん収束などしていない。解決まで道のりはまだ遠いことを、多くの人に知ってほしい」
 険しい表情でそう語るAさんは、第一原発が立地する福島県大熊町で育った30代。「協力企業」と呼ばれる東京電力の下請け会社社員で、ずっと地元の原発で働いてきた。
 福島原発事故後、全国に放射能への恐怖が広がった。ちまたでは情報交換の新しい手段としてツイッターの利用者が急速に増加。匿名で情報を発信する作業員も現れた。そのうちの一人がAさんだ。
 「ネット上には『核爆発だ』といったデマや、不安をあおる書き込みがあふれていた。リスクを冒してでも、真実を伝えなければと思った」
 身元が特定されないよう、ツイッターでは「TSさん」と名乗り、デマを打ち消す一方、原発内部の復旧作業の様子などを投稿。当初はわずかだったフォロワー(読者)は、1万9千人にまで増えた。昨年暮れまでの投稿は、スマートフォン(多機能携帯電話)向けとパソコン向けの電子書籍「福島原発現役作業員のツイッター」(マイクロコンテンツ社)にまとめられている。
■作業することで国家の危機を回避できるなら
 震災当日、Aさんは第一原発でいつものように作業をしていた。強烈な揺れとその後の津波から逃げ、勤め先に自宅待機を命じられて帰宅。翌日以降しばらくは、他の住民とともに被災者の一人として避難所に身を寄せた。やがて、勤め先から第一原発に戻るよう連絡が届いた。爆発で大破した原子炉建屋をテレビで見ていたので、大変な事態が進行していることはわかっていた。
 「いわば“召集令状”だったが、誰かが作業をすることで国家の危機を回避できるのなら自分がやろう、と腹を決めていた」
 当時の心境をそう振り返る。
 「最後の日常。周りがすべてセピア色に見える」
 ツイッターにこう書き込んだ翌日、目に飛び込んできたのは変わり果てた職場の光景だった。敷地内の膨大ながれき、横転した車、巨大な魚の死骸、完全防備の同僚たち…。屋外にわずか10分間いただけで被ばく線量は一ミリシーベルトに達した。
 「二重、三重に講じられた対策のどれかで過酷事故は防げると思い込んでいた。東電同様、私も自然をなめていた」
 Aさんはそう話し、唇をかんだ。
■自分の健康や将来を あきらめながら働く
 昨年5月の大型連休あたりまで、現場は復旧作業が迷走し、大混乱だった。作業は平時とは異なるものばかりで、しかもマニュアルなどは皆無。東電から下請け業者への指揮系統も交錯した。
 「ホースを一本引っ張るだけでも、複数の指示が飛び交い、誰の言うことを聞いたらいいのかわからないので仕事が進まない。現場にあると言われた部品が、行ってみたらそこになかったなんてことは日常茶飯事。すぐに被ばく限度を超えて線量計が鳴りだしたが、聞こえないふりをするしかなかった。そうでなければ作業にならない」
 多額の損害賠償を見越して支出を抑えるためか、東電はメーカーに部品だけを発注し、取り付けは専門外だが単価が安く済む下請けに行わせていた。その結果、施工ミスが頻発した。
 「短期間で効果的に人員と予算を投入していれば、作業はもっと早く進んだはず」
 予算不足が工事に与えている悪影響はほかにもあるのではないか、とAさんはいぶかる。
 例えば、原子炉格納容器から漏れ出す汚染水を冷却水として再注入するため浄化する仮設の循環装置。水を送るホースが凍結などにより破損し、何十件もの水漏れが発生した。
 「仮設ではなく、予算を投じて金属製の頑丈な配管にしておけばそんなことはなかった」「原子炉建屋を覆うカバーを設置できたのはまだ1号機だけ。ほかは放射性物質の飛散を防ぎきれていない」
 廃炉に向けた政府の工程表では、完了までに30~40年と試算する。
 しかし、格納容器の底に溶け落ちた核燃料の取り出しなどは新技術の開発が必要で、想定通りに行くかは未知数だ。
 まだまだ働き続けることになる職場の労働環境にも、不安は付きまとう。何より心配なのは被ばく量だ。Aさんの場合、現在の基準では「5年で100ミリシーベルト」が上限だが、すでに70ミリシーベルト超。それでも指示があれば、今後も線量の高いエリアに向かう覚悟でいる。
 「10数年後には、ベッドの上でもがき苦しんでいるかもしれない。事情は人それぞれだけれど、作業員仲間のほとんどは故郷への思いと、使命感に燃えて現場に戻ってきた。そして、自分の健康や将来をあきらめながら働いている」
■声を上げることが大事 関心を失わないで
 だからこそAさんは、「収束」を唱えて事態を小さく見せようとする政府や東電の姿勢に憤る。
 「収束したというなら、なぜ私たちはこんなに被ばくしているのか。原子炉建屋に来てみろと野田(佳彦)首相に言いたい」
 筋金入りの原発推進派だったAさんは昨年9月、ツイッターで「脱原発」を宣言した。
 「安定した職場として満足していたが、被災者になったことで考えが変わった。第一原発にいる作業員の6割は地元出身。みな気持ちは同じはず」
 そんな思いとは裏腹に、経済産業省原子力安全・保安院が大飯原発、伊方原発の安全評価(ストレステスト)の一次評価を「妥当」とするなど、再稼働に向けた環境整備は着々と進む。
 「福島の処理が終わる前にどこかで事故が起きたら、日本は終わる。福島県民の姿は明日のわが身かもしれないのに、立地市町村は危機感がなさすぎる」
 Aさんはいら立ちを隠さない。
 「今まで、都心などで行われる脱原発デモには『安全圏にいるだけの人に言われたくない』と反発を感じたこともあった。でも、声を上げてもらうことこそ大事だと思い直した。関心を失わないでほしい。少なくとも今後40年間、国民全体で向き合っていかねばならない問題なのだから」
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「重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい」特報部 田原 牧2012-03-16 | 地震/原発 
 メディア観望 上り坂をゆく覚悟
特別報道部 田原 牧 (中日新聞2012年3月6日 夕刊)
 東日本大震災と東京電力福島原発事故から、間もなく1年がたつ。後者については1年という区切りを感じない。むしろ、事故が2年目に入ると言った方がピンとくる。
 事故発生以来、担当する「こちら特報部」では、今日まで紙面の多くを原発問題に割いてきた。こだわる理由は記者によって異なると思う。個人的には、原発に日本社会の縮図を見たからである。
 原発は放射性廃棄物という未来へのツケと、被ばく労働者という犠牲が不可欠なシステムだ。それを無責任な原子力ムラが増殖させてきた。下地にある差別とムラ構造。それは日本社会のあちこちに顔をのぞかせている。原発はそうした精神風土のあだ花だ。
 東電や政府をはじめ、原子力ムラの虚飾をはぎとろうと奔走してきた。ただ、そうした作業の間も、どこか割り切れない感情を抱えてきた。
■都市生活者の責任
 11日には福島で大きな脱原発集会があり、首都圏からも多数が参加しそうだ。そのことで、福島の友人にこう云われた。「地元には逃げ出したくても、介護や収入に縛られて逃げられない住民たちがいる。都会の人は1日ここに来て、原発は危険だと騒いですぐに帰る。それを不愉快に思う人は少なくない」
 特報部の紙面への批判に聴こえた。そうかもしれない。事故以前にも、原発を批判する記事を書いてきた。だが、私も都会で原発に頼り、安穏と暮らしてきた一人だ。
■避け難い国民負担
 事故で進学を断念した若者の将来。緊急避難で津波に襲われた家族を探せなかった悔恨。荒れる農地。事故の被害はいまも拡大している。
 にもかかわらず、東電も政府も賠償には逃げ腰だ。同社に十分な支払い能力はない。だが、巨額の費用ねん出も理由のひとつに、もっとも稼ぎやすい再稼働へと突き進んでいる。
 東電を徹底的に絞っても、賠償や廃炉のための国民負担は避け難い。その負担軽減に固執すれば、再稼働は必然の流れだ。さらに間もなく、東電の処分や新たなエネルギー計画が固まる。脱原発は上り坂にさしかかっている。
■ただでない脱原発
 もう一度、苛酷事故が起きれば・・・と考えれば、進行中の再稼働の企てに対する答えは明白だ。ただ、それは地方に原発依存を強いてきた構造を正すことでもある。それには賠償問題と同様、都市住民の協力が不可欠だ。原発に頼ってきたツケを払うことに等しい。脱原発はただではない。
 重荷を分かち合う。怒りと責任追及に加え、2年目はそのことを読者の皆さんと考えたい。「福島の痛みを共有する」といった大それたことは言えない。けれども、この事故は「誰かの犠牲」を無言で認めるような社会を変える機会でもある。
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