今週のことば
小畑文正(同朋大名誉教授)
中日新聞 2021.6.29. Tues
己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。 ダンマパダ(法句経)
幼い頃、家に押し入った強盗に刃物で脅かされた。それ以来、犯罪は恐怖以外の何物でもなかった。個人の殺人も、集団の殺人も、即ち戦争も、反対の立場で生きてきた。しかしもう一つの国家の殺人、死刑制度は判断ができないでいた。冒頭に掲げた釈迦の言葉に向き合えなかったからである。そんな私にも転機が来た。それは名古屋拘置所で死刑執行され、最後まで「生きて罪を償いたい」と訴えていた人の通夜であった。絞首刑を受けた彼の苦悶の表情を見た時、彼を殺した一人は私だと思った。
死刑制度を私が支えている限り、死刑はなくならない。「みんながそれに賛成した」(河島英五「てんびんばかり」)からである。私は元オウム真理教の井上嘉浩氏に一度だけ死刑確定後に東京拘置所で面会をしたことがある。その彼も2018年7月6日に「生きて罪を償いたい」と願いながら大阪拘置所で死刑を執行された。殺しても殺させてもならない。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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〈来栖の独白 2021.6.29 Tues〉
以前にも書いたけれど、命を奪った場合、「生きて償うこと」など、出来はしない。「償う」とは、元あった状態にして返すこと。死者に命の息を蘇らせることだ。「命」は、人間の領域ではない。人間は「詫びる」だけだ。「生きて償う」、この言葉に出くわすたびに、私には虫唾が走る。「償えないもの(命)」を奪ったのが、死刑囚である。
その冷厳な事実が、井上嘉浩氏にも小畑氏にも分かっておられない。生きていれば償える、と思っておられる。
* すべての罪はわが身にあり…その言葉を井上嘉浩は何度もくり返した 門田隆将著『オウム死刑囚 魂の遍歴』