本日は名古屋能楽堂 2016.1.24. Sun. 能「熊野」「小鍛冶」 / 狂言「薩摩守」

2016-01-24 | 日録

〈来栖の独白〉
 開演前、和久荘太郎さんの解説があった。時間に限りがあり、ざっとした解説を余儀なくされたわけだが、以下の部分、「皆さんにはお分かりにならないと思いますが」と言われ、少々首を傾げた。“生死(しょうじ)の掟”は、本曲のテーマではないか。それを「お分かりにならない」とは、和久氏は観客をどのように認識しておられるのか。

シテ 甘泉殿(かんせんでん)の春の夜の夢、心を砕くはしとなり、驪山宮(りさんきゅう)の秋の夜の月、終りなきにしもあらず、末世一代教主の如来も、生死の掟をば遁れ給わず。(以下略)

 狂言「薩摩守」、アドの井上蒼大君。いつも可愛い声。よく頑張っている。シテのお父さん(井上松次郎)との共演。お父さん、どんなに嬉しいことだろう。
 ところで、本日は今季一番の寒気だそうだ。寒さは厳しかったが、当地は雪にもならず、明るい晴天。梅の模様、黄色地の被布のコートに、同じ梅の模様の着物。少し若い色遣いかなとも思ったが、キモノというのは、モンダイになるほどの派手さを感じさせない。母の作ってくれたもの。公立学校の教員だった母だが、「キモノの仕立ての腕は日本一」と、私は母に云ってきた。そうそう、本日の帯は、結ぶと二重太鼓に見える、そんな仕立て。刺繍も、今や、こんな本格的なものは少ない。
 先日も帰省し、母を見舞った。胃瘻となり、声も発せず、動くこともできない母。母のお蔭で、今日の私がある。私の幸せがある。こんな状態になって、母は生きていてくれる。私からの「ありがとう」を聴いてくれるために、生きていてくれる。ここ何年か、私はじっと母の人生を考えないでいられない。母の人生、悲しみ、苦しみ・・・。愛おしい人。勝田清孝を養子に迎えてくれた母。死刑囚の心を救ってくれた。
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能「熊野」「小鍛冶」 / 狂言「薩摩守」
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