産経WEST 2015.3.6 07:00更新
【西論】「ずっと夢をみつづけておりました」…豊臣家滅亡とダブる、この国の「平和ボケ」 大坂の陣400年
徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年がたつ。落城迫る大坂城に籠もる豊臣方について、歴史作家の伊東潤氏が「何とかなる、という平和ぼけした姿は今の日本とダブる」と指摘した。
大坂の陣を描いた司馬遼太郎の小説「城塞」をテーマとした、「菜の花忌シンポジウム」(2月7日)での氏のこの発言には、どきりとさせる鋭さがあった。会場を埋めた千数百人の聴衆も、大なり小なりそう感じたのではないかと思う。
豊臣秀吉が官位にこだわり、都の貴人に憧れたのはよく知られている。秀吉の死後、再び世が乱れても大坂城内に残された秀頼や淀殿たちは平和で貴族的な雰囲気から抜け出すことはできなかった。貴族的な環境と教育で育った結果だった。そして徳川家康の奸計(かんけい)に手玉に取られていく。小説・城塞では繰り返し、城内の信じがたい様子が描写されている。
まさか戦になるまい-。これは家康が大坂攻めの最初の命を下した後の淀殿らの気持ちである。楽天主義ではない。家康がこちらに刃を向けるのではないかという現実の不安を抱えたまま自分たちの方が主家だという、かつての威光だけを頼りにそう思い込もうとしている。
情報収集する力も発想もなく、家康が配下に下した命など知るよしもない。城内では秀頼と淀殿に付きそう織田信長の弟の有楽斎(長益)でさえ冬の陣(1614年)に際して徳川方のスパイになったというのにである。
*重なる「平和ぼけ」の姿
ここで現代の日本を見てみたい。戦後の日本に与えられた最も過酷な試練は日本国憲法である。アメリカによって“赦(ゆる)された”日本は自らの手で憲法さえつくらせてもらえず、世界中の国も人も平和だけを愛していると錯覚させるような前文を持つ“平和憲法”を頂いてしまったのである。
朝鮮戦争、キューバ危機、中越戦争、ベトナム戦争、ソ連のアフガン侵攻、フォークランド紛争…。一度も地球規模の平和など訪れたこともなく、身の回りを銃弾が飛び交っても、裸にされた大坂城内にいる豊臣方のように、自分たちだけは何とかなると思ってきた。
北朝鮮による拉致事件も長い間、多くの日本人は知らなかった。忍び寄る危機、といった生ぬるい話ではない。国際犯罪、諜報戦に巻き込まれていてなお気づかないでいたわけである。今も北朝鮮は日本海にミサイルを発射し続け、安倍政権との間の拉致被害者交渉はのらりくらりとかわしている。
いかにして生き残り、盤石の体制を我がものにするか、ということしか考えていない国を相手に、丸裸でのぞむ状況は、できたばかりの幕府をいかに盤石のものにするかに心を砕いて大坂に攻め込んだ徳川家康に対する豊臣方の状況と重なりはしないか。
「戦争をしてはならない」。当たり前のことである。「粘り強い外交努力を」。そうあってほしい。しかし危機はすでに現実のものだ。いつまでも裸でいれば、風邪をひくといった生やさしいことでは済まなくなる。まとうべきは軍備の増強ではない。国民の意識のことだ。それは教育に始まる。
*自国から目をそむける教育
愛知県の中学校長が、建国記念の日に寄せてブログに「古代から日本は天皇と民が心を一つに暮らしてきた国」という文章を掲載した。これに対して教育委員会が1件の批判が寄せられたことを理由に、「神話を事実と断じるような書き方だ」と校長を注意。校長がブログから文章を削除するというニュースが報じられた。
文章は天皇制を維持してきた、この国のすばらしさを語っていた。これに対し「神話が事実かどうか」というレベルでしか受け止められない教育委員会とは何だろう-。そう考えたとき、これこそ戦後行われてきた教育だと得心したのである。「愛国心」と呼べば「軍国主義」と応える、あの教育である。まだそのような思考回路しか持たない人々がいるということだ。
大東亜戦争の大きなマイナス面の一つは「神国日本」というキャンペーンだったろう。しかしこうした教育に用いられた「皇紀」という暦が間違っているとか、神話は事実に基づかないなどとして退けられていいのか。過去の誤ったキャンペーンのあり方を教えるとともに、日本人が育み、伝えてきた文化の根幹にあるものを正しく伝承しよう、そんな教育がこの国をこれ以上裸にしないために必要ではないか。
*「消極的平和」の危うさ
竹島、北方領土、そして中国の領海侵犯…。日本をめぐる厳しい状況が好転の兆しを見せないのは、政治家や官僚だけが頼りないのではない。これまで述べてきた丸裸な状態が、国民の後押しを弱めているからではないのか。
かつて小平は尖閣諸島をめぐり「問題を棚上げしよう。将来の知恵者が解決してくれる」と述べた。まるで城塞で描かれた徳川家康のような老獪(ろうかい)な言葉だ。当時の政治はこれを受け入れたが、そんな言葉に世論はノーを突きつけるべきだったのだ。
小、中、高校できちんとした国体教育を施せば、12年で強い国づくりの基礎ができる。神話を教わり、国のあり方を学ぶなかでこそ「平和を愛する日本人」が生まれる。戦いがないことだけが平和だとしか認識できない消極的平和主義は危うい。
小説・城塞の最終盤、大坂城内で淀殿側近の大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)はこう語る。
「ずっと夢をみつづけておりました」 (文化部長・藤浦淳)
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◇ 『帝国の終焉 「スーパーパワー」でなくなった同盟国・アメリカ』日高義樹著 2012/2/13 第1刷発行
〈抜粋〉
p173~
ヨーロッパで言えば、領土の境界線は地上の一線によって仕切られている。領土を守ることはすなわち国土を守ることだ。そのため軍隊が境界線を守り、領土を防衛している。だが海に囲まれた日本の境界線は海である。当然のことながら日本は、国際的に領海と認められている海域を全て日本の海上兵力で厳しく監視し、守らなければならない。尖閣諸島に対する中国の無謀な行動に対して菅内閣は、自ら国際法の原則を破るような行動をとり、国家についての認識が全くないことを暴露してしまった。
日本は海上艦艇を増強し、常に領海を監視し防衛する体制を24時間とる必要がある。(略)竹島のケースなどは明らかに日本政府の国際上の義務違反である。南西諸島に陸上自衛隊が常駐態勢を取り始めたが、当然のこととはいえ、限られた予算の中で国際的な慣例と法令を守ろうとする姿勢を明らかにしたと、世界の軍事専門家から称賛されている。
冷戦が終わり21世紀に入ってから、世界的に海域や領土をめぐる紛争が増えている。北極ではスウェーデンや、ノルウェーといった国が軍事力を増強し、協力態勢を強化し、紛争の排除に全力を挙げている。
p174~
日本の陸上自衛隊の南西諸島駐留も、国際的な動きの1つであると考えられているが、さらに必要なのは、そういった最前線との通信体制や補給体制を確立することである。
北朝鮮による日本人拉致事件が明るみに出た時、世界の国々は北朝鮮を非難し、拉致された人々に同情したが、日本という国には同情はしなかった。領土と国民の安全を維持できない日本は、国家の義務を果たしていないとみなされた。北朝鮮の秘密工作員がやすやすと入り込み、国民を拉致していったのを見過ごした日本は、まともな国家ではないと思われても当然だった。
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◇ [ めぐみさんを守れなかった平和憲法 ] 阿比留瑠比の極言御免
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◇ スイス国民の圧倒的多数が徴兵制存続を望んだ/人口800万人のスイス、15万人という大規模な軍隊を持つ
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