〈来栖の独白 2020.1.24 Fri 〉 遠藤周作という作家は、人生の大半をイエス研究に費やしたのだろうな

2020-01-24 | 日録

〈来栖の独白 2020.1.24 Fri〉
 『キリストの誕生』を読み終わった。重苦しい期間が続いていた。前作『イエスの生涯』はイエスについて書かれたものであり、『キリストの誕生』はその死後、イエスは何故「キリスト」「メシア」となったのか、を書いている。
 弟子たちの背反について論じたもので、遠藤周作という作家は、人生の大半をイエス研究に費やしたのだろうなと痛感させられた。イエス・キリストに拘泥して生きたようだ。離婚した母親が姉(遠藤周作には伯母)のところへ身を寄せ、その伯母が教会へ行っていたということから周作氏は教会へ連れて行かれるようになり、11歳で幼児洗礼を受けた。
 遠藤氏の著作のお陰で---何十年も前にいずれも購読しているはず(今では古本)なのだが---今頃になって私はやっと、パウロや使徒たちについて、少し知り始めたのかなという気がしている。取るに足りないことだが私は、別名、パウロの名をもって呼ばれる大学を卒業した(St.Paul's University)。また、聖書、行伝やパウロ書簡などは、ミサの中や日常の折々に読んできたが、心が入っていなかったのだろう、碌に理解できていなかったようだ。
 遠藤さんの労作のお陰で、パウロについて少し知ることができた。
 それにしても、なんという生涯であることだろう。イエスも使徒たちも。イエスの磔刑、使徒たちの殉教、そのいずれにも、神は沈黙しておられた。奇蹟の一つも起こされなかった。なのに、イエスは愛を貫き、使徒たちは殉教を遂げた。
 古本の中、『死海のほとり』も読みたいと思って、今朝も手に取ったが、遠藤さんのこういった一連の作品は、楽しいものではない。それどころか、離れていても本のことが常に頭にあって、重苦しい。少し、間を置いたほうがいいのかな。

遠藤周作『キリストの誕生』 現実のなかで無力であり・・・それなのに彼は弱虫たちを信念の使徒に変え、人々からキリストと呼ばれるようになった

 

『イエスの生涯』 弱虫だった弟子は何故、殉教をも辞さぬ強い信念と信仰の持ち主になったのか 

 
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遠藤 周作『死について考える』 あの人の百倍も強烈なのが私にとってイエスかもしれないと思うことがあります

  
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遠藤周作著『私にとって神とは』---聖書はイエスの生涯をありのまま、忠実に書いているわけではない---原始キリスト教団(書き手)によって素材を変容させ創作した

  
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遠藤周作著『人生の踏み絵』 … 一応、自殺は禁じられています… 2019.12.12

 
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