勝手気ままな「フリーマン」端本悟 証言を拒んだ「沈黙の男」横山真人 <教団エリートの「罪と罰」(6)>

2018-07-27 | オウム真理教事件

“オウムシスターズ”次女と交際を黙認された端本悟の怒り「麻原さんを許せない」 <教団エリートの「罪と罰」(6)>
2018.7.26 13:07 週刊朝日#オウム真理教
 医師、弁護士、科学者……「宗教国家」を夢想した麻原彰晃の下には、高学歴で才能あふれるエリートが集まっていた。26日に死刑が執行された、勝手気ままな「フリーマン」端本悟と証言を拒んだ「沈黙の男」横山真人。地下鉄サリン事件から17年となった2012年、最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』では、オウム真理教を徹底取材。麻原の操り人形として破滅へと堕ちていった彼らの、封印されたプロファイルをひもとく――。

<端本悟(はしもと・さとる)>

 
(1)生年月日:1967年3月23日
(2)最終学歴:早大法学部中退
(3)ホーリーネーム:ガフヴァ・ラティーリヤ
(4)役職:自治省
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):愛長
 勝手気ままな性格で、信徒仲間から「フリーマン」と呼ばれた男は、武術の腕を買われて教団の“戦闘要員”を務めていた。
 北海道出身。都立高を卒業後、早大法学部へ進学した。大学2年のときに、入信した高校時代の友人を取り戻そうとオウムについて調べるうちに興味を持ち、セミナーに参加。当初は両親に、
「弱虫の集まりみたいな集団だ」
 と話していたが、取り込まれて入信し、88年末に大学を退学して出家した。
 物静かで線が細かったが、大学時代には空手サークルに入っており、89年、教団内の武道大会では元ボクサーの信徒などを破り優勝。麻原から「減量してボクシングの世界チャンピオンになれ」と指示されるなど「武道の達人」と認識され、教祖の警護役に抜擢されたことが運命を変えた。
 同年11月の坂本弁護士一家殺害事件では、腕を見込まれて直前に実行役6人の一人に選ばれた。「ポアしろ(殺せ)」という命令に逡巡したが、「教団で生きていくにはやらなければならない」と、犯行を決意。坂本弁護士の顔を殴って組み伏せたり、叫ぼうとする妻・都子さんの腹にひざを強く打ちつけたりと“制圧”役を担い、他のメンバーとともに一家3人を殺害した。
 94年の松本サリン事件では、村井秀夫が乗っていたサリン噴霧車を運転した。
 95年7月、埼玉県大宮市(現さいたま市)のマンションに潜伏しているところを見つかり逮捕された。かくまっていた女性は、恋愛関係にあった「オウムシスターズ」の次女。恋愛禁止の教団内でも、例外的に交際を黙認されていた。
 法廷では検事と激しくいがみ合うなど、しばしば好戦的な態度をとった。教団内での自分の立場を「しらけていた」と説明。91年に教団がドラム缶を改造して作った粗末な「潜水艦」に乗るよう指示され、事故死しそうになったことについて聞かれると、
「はっきり言って、麻原さんをぶちのめしても許せないって気持ちがすごいあった」
 と、教団へのいら立ちを吐露。松本サリン事件については「教団のすることはバカで間抜けなことばかり」であり、「鼻水を出させる程度のものと思っていた」と、殺意を否認した。一方、信徒たちがマインドコントロールされていたと言われることについては、「そういう言葉で納得するのは簡単だが、そんな言葉でごまかしたくない」
 と、明確に否定した。2007年10月、死刑が確定した。

■証言拒んだ「沈黙の男」

 
<横山真人(よこやま・まさと)>
(1)生年月日:1963年10月19日
(2)最終学歴:東海大工学部
(3)ホーリーネーム:ヴァジラヴァッリヤ
(4)役職:科学技術省次官
(5)地下鉄サリン事件前の階級(ステージ):菩長補
 神奈川県出身で、少年時代は剣道や美術に熱中。地元の東海大学に進み応用物理学を専攻した。湘南にあるキャンパスでは、いつもTシャツにジーパン姿で通し、友人たちとの会話では聞き役だった。
 1986年4月、卒業と同時に中堅の電子部品メーカーに入社。群馬県の工場に配属されて産業用ロボットの設計・製造を担当し、独身寮から通った。
 自己表現が苦手だったのか、新入社員を紹介した社内報の自己PR欄は、生年月日と血液型しかない。入社1年目の夏、長期休暇から戻ると同僚に、
「本屋でオウムの本を見た。俺にはあれだ」
 と話した。この時期からオウムのヨガ道場に通い、麻原の説法テープをすべて購入するほど熱中した。
 89年、出家を理由に退職。上司に教団の書籍を渡し、
「読んで勉強してください」
「私は(教団内で)偉くなりたい。それには土、日だけの修行では足りない」
 と主張。家族には反対されたが、「人類を救うため」に振り切った。
 教団では科学技術省に所属し、機械班の仕事を任された。仲間との会話は「ワーク」についてのみで、自室にこもって睡眠も忘れるほど作業に没頭し、布教活動用のロボットやホーバークラフトを作った。自動小銃の製造でも、電機メーカーの生産技術課で身につけたノウハウを生かし、中心的な役割を担った。
 だが、周りのことには無頓着で、逮捕されるまで松本サリン事件があったことさえ知らなかったという。
 地下鉄サリン事件では、丸ノ内線の四ツ谷駅でサリンをまいたが、この車両からは死者が出なかった。95年5月16日、麻原とともに上九一色村の教団施設で逮捕された。
 裁判では地下鉄サリン事件実行犯の中で、ただ一人詳細な証言を拒否。裁判のごく初期を除き、弁護人や検事の質問に下を向いたままひたすら無言を貫いた。
 死刑を求刑された後の最終弁論でようやく、
「犯した罪を逃れようとは全く考えていません。刑罰を受け入れる覚悟はできています」
 と、メモを読みながら消え入るような声で語った。07年7月、死刑が確定した。
 ※週刊朝日  臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)
 
 ◎上記事は[dot. ]からの転載・引用です
――――――――――――――――――――――――
勝手気ままな「フリーマン」端本悟 証言を拒んだ「沈黙の男」横山真人 <教団エリートの「罪と罰」(6)>
東大卒の死刑囚・豊田亨 麻原の「浮揚」信じた物理の秀才・広瀬健一 <教団エリートの「罪と罰」(5)>
執行前「生かされ感謝」=「殺人マシン」林泰男死刑囚 “愛”求め出家=岡崎一明 <教団エリートの「罪と罰」(4)>
「人のために尽くしたい」と出家して2カ月で殺人者に…<教団エリートの「罪と罰」(3)>土谷正実 中川智正
「グル(麻原彰晃)の指示なら、人を殺すことも喜び」<教団エリートの「罪と罰」(2)>新実智光 早川紀代秀
超有能な彼らはなぜ麻原彰晃の元に集まったのか? <教団エリートの「罪と罰」(1)>遠藤誠一 井上嘉浩
----------------------


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。