『恩讐の彼方に』市九郎と勝田清孝

2007-05-08 | 日録

 帰省で留守の5月1日から、中日新聞で菊池寛著『恩讐の彼方に』の連載が始まった。本日纏めて読み、この小説について真剣に語った清孝の言葉が甦った。交際を始めて間もない頃だった。この小説を私にも、読んで欲しい、と言ったのだった。なのに私は、煩雑にまぎれて結局読むことがなかった。

 「菊池寛という人は、犯罪を犯したことがあるのではないかと思いました。犯罪者の心理を、これほどまでに熟知している。驚きです」と、清孝は手紙に書いてきた。

 清孝の手記(『冥晦に潜みし日々』)に重なる部分もある。心理が酷似しているとさえいえる。

『恩讐の彼方に』・・・ 彼は、この夫婦の血を流したくはなかった。なるべく相手が、自分の脅迫に二言もなく服従してくれればいいと、思っていた。もし彼等が路用の金と、衣装とを出すならば決して殺生はしまいと思っていた。

『冥晦に潜みし日々』・・・ 空巣、ひったくりでは大金が入らないばかりか、不本意な殺人を続けてしまったことが自分でも情けなくなりました。こんなことばかりしていたらあと何人殺すようなことになるか分からない、と自分ながら不安になったのです。それで盗みはもうやめて、強盗になろうと考えたのです。
 強盗といっても、小心な私にはなかなかできるものではありません。(中略)それで猟銃を使った強盗というものを思いついたのです。脅迫効果抜群の銃で脅せば相手も抵抗しないだろうし、抵抗されなければ、捕まることはないだろうし人を殺すこともないわけです。また一回の強盗で多額な金を手に入れることができれば何回も空巣やひったくりをしないですみます。つまり、人を殺さないで金だけを奪える方法はないかと考えた末の猟銃強盗だったのでした。


 

 何人もの人を殺めた者のみの抱える絶対的な孤独と絶望。拘置所の孤房で、勝田はこの本を読んだ。勝田の孤独な胸を訪れ、ともに涙を流したであろう殺人犯市九郎。

 この小説に大いに刺激されて、勝田清孝は点字訳を始めるようになる。通信教育・刑事施設在所という困難な環境の中で驚異的といえる短期間で点字を習得した。

 私に、少なからぬ悔いがある。藤原の生前遂にこの作品を読まなかったことと、藤原と仏教について殆ど語り合わなかったことである。言い訳になるが、清孝との日々は多用であった。時間がいくらあっても、足りないような思いをした。本日『恩讐の彼方に』に接して、一層悔いを深めずにはいられない。


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