昨日小教区のミサの後、修院へシスターをお送りする車の中で「歳をとって、体がしんどくなりました。今年は、修道院でのクリスマスミサは断念しました」とSr.Kがおっしゃった。例年クリスマスには、修道女会が運営する幼稚園の園児と父兄を招待して、修院聖堂でミサを立てるのだが、今年は、その気力体力がなくなった、というのである。確かに、夜、司祭をお迎えして大勢の園児・父兄を招いての一大行事は過重である。パンフレット(式次第)も作らなくてはならないし、聖堂に絨毯を敷いたり、ミサ後お帰りになる園児や父兄にお持たせするお菓子も手配しなければならない。
小教区の司祭が異動になった年には、まだ夏の早い時期に、クリスマスミサを立ててくださる司祭(神言会)を私は修院へ紹介したこともあった。
「今年からは、小教区のミサに与ります」とおっしゃる園長のシスター。
修道女会のシスターたち、皆さん、お年を召されてしまった。最年少のシスターSだって、40代だろうか。50代のシスターは、いらっしゃらないような気がする。皆さん、60代以上ではないだろうか。お年寄りばかりの修院。その彼女達が、幼稚園や養護施設を運営なさっている。激務である。・・・・
毎年修院のクリスマスミサで、私はオルガンを弾いてきた。が、今年は(今日は)、そのミサがなくなった。
教会のミサに与る気にはなれなくて、家で過ごすことにした。何十年ぶりだろう。イブに修院へ行かないで、家にいるなんて。とっても珍しい、そんな気分。朝から、ゆっくり過ごせた。
私の裡では、イエス(福音)と教会(小教区)とは別物であった。教会というものに違和感を感じ続けてきた。
イエスがいなかったら、恐らく今の私はいない。イエスの視点は、私には道標、温かく照らす灯火であり、命脈であった。イエスがいたから、私は、立っていることが出来た。
「オルガン弾き」というポジションがなかったなら、私は教会へは行かなかったろう。司祭の説教に魅力は感じないし、教会というグループのなかに「隣人」を探し求める気持ちもない。
「野宿のおっちゃん」(に象徴される群像)にコミットしない「聖体」。そんな聖体を拝領する意味が、私には見い出せない。イエスは炊き出しをする教会(側)にいるのではなく、炊き出しの一杯を貰うために並ぶおっちゃんたちの列の中にいる。
「ある日、街中を移動の為に急いでいた時、『淀川さんのファンです』という青年が握手を求めてきた。 その人が左手を差し出したので、『握手と言うのは
右手でやるものですよ』と敢えて不快を隠さずに、これに応えた。 そのまま行き過ぎようとしたが、何か心に引っ掛かりがあり、振り返って見ると、その青年には右手が無かった。 同氏はハッとして直ぐに駆け寄り、彼の左手を握り締めながら、『御免なさいね』と謝った。 あの時、自分を振り返らせてくれたのが神様だったと思う」
神は近寄りがたい権威ではなく、人にそっと寄り添う愛なのですよね。
ちょっとドキッとして胸痛む所もあるエピソードでしたが、きっと、その青年自身、神様だったのでしょうね。カトリック教会や修道院の聖堂には聖体ランプが点灯していて、神が其処に存在することを示していますが・・・。
以前、飼い主から捨てられた犬のドキュメントをテレビで見ました。保健所へ送られ、引き取り手がいないと、ガス室で「処分」される。ガス室へ入れられた犬たちの泣き声が数秒聞こえていましたが、すぐに止みました。犬たちは、保健所へ集められた時点で異変を察知するらしいです。
またこれも以前、車を走らせていたら、私の前を食肉センターの車が走っていました。豚を乗せていました。
土の上を遊んで歩くことも知らず光の射さない工場のようなところで卵を産まされて一生を終わる鶏たち。インフルエンザで「処分」される鶏。
なぜか、rice_showerさんに、こんなこと、書きたくなりました。