「知らないものは知らん」キリストを置いて全速力で逃げた弟子 逆さまで処刑された場所は今
2023/11/26(日) 16:32配信
イエス・キリストの弟子ペトロは、イエスがローマの兵士たちに捕らえられた途端、他の使徒たちといっしょに全速力で逃亡した。のちに死から復活したイエスから後進の指導を託され、別人のように毅然としたリーダーとなった。皇帝ネロが彼を処刑しようとした際、イエス・キリストと遭遇。自分が殉教する時期が来たことを確信し、ローマへ戻りマニアックな磔刑によって殉教した。清涼院流水氏の新著『どろどろの聖人伝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、マニアックな磔刑を望んだカリスマ聖人を紹介する。
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兄弟アンデレに続いてイエスの弟子となったペトロは、同時期に弟子入りした大ヤコブとヨハネの兄弟とともに、常に師の活動につき従いました。ペトロが使徒たちのリーダーとなり、のちに、初代ローマ教皇と見なされるようになったのは、十字架に磔にされる前のイエスから直接、キリスト教会を託されたのが彼だったからです。
ペトロの本名はシモンですが、彼が弟子入りしてすぐに、イエスは彼に「岩」を意味する「ペトロ」という名前を与えました。ある時、イエスは弟子たちに「あなたは、わたしをだれだと思う?」と尋ねました。それにペトロが「イエス様、あなたは生ける神の子、救世主です」と答えると、イエスは彼にうなずきました。
「ペトロよ、あなたにそれを語らせたのは、天の『父なる神』である。わたしは、この岩(=ペトロ)の上に教会を立て、あなたに天国の鍵を与える。あなたが地上で結ぶ関係は天国でも結ばれ、解いた関係は天国でも解かれる」
全幅の信頼を寄せられたペトロは、イエスに「あなたが死なれる時は、われわれも運命をともにします」と誓っていました。ですが、イエスがローマ帝国の兵士たちに捕らえられると、ペトロは他の使徒たちといっしょに全速力で逃げました。しかも、近くにいた人から「お前はイエスの弟子だろう?」と見咎められた際には、「そんな男を知っていたら呪われても良いが、知らないものは知らん!」と3回も師を否定しました。
死から復活したイエスは、ペトロと再会した時、「あなたは、わたしを愛するか?」と3回尋ねました。ペトロが「愛します」と3回答えたことが3度の否認の埋め合わせとなり、彼は師から「わたしの羊たちを導きなさい」と後進の指導を託されます。
そんなペトロは「聖霊降臨」のあとは、別人のように毅然としたリーダーとなり、初代教会を率いるようになりました。それまで彼が恐れていたユダヤ教の既得権益層に対しても、怯まず立ち向かいました。記録が書かれる時に美化されたのだろう、という印象を持たれる方がいても当然ですが、初代教会の記録「使徒言行録」を書き遺したルカの手による「ルカの福音書」では、ペトロの情けなさや頼りなさをきちんと描いています。師を頼れない環境に置かれたことで、ペトロは実際に変わったのでしょう。
そんなペトロは、絶対的に君臨していたリーダーというわけではなく、エルサレム教会の初代司教となった義人ヤコブ(「主の兄弟ヤコブ」とも呼ばれ、12使徒の大ヤコブや小ヤコブとは別人)や、異邦人(=ユダヤ教ではない人々)にキリスト教を広めたパウロに対しては配慮して歩み寄っていた様子も「使徒言行録」からは窺えます。
現在、カトリック教会の聖職者は妻帯が禁じられていますが、ゆるされていた時代も長く、ペトロはイエスの弟子となる以前に結婚していたこと(ペトロの姑をイエスが癒す話)が、新約聖書にも記されています。ペトロの娘としてペトロネラも聖人に認定されていますが、ペトロネラは名前が似ているだけでペトロと関係ないとする説もあります。ペトロの妻については、名前さえわからず、ほとんど情報がないのですが、カイサリアの司教エウセビオスが書き遺した初代教会の重要資料「教会史」によれば、妻が逮捕されて処刑されることになった際、ペトロは「わが妻は、これで天国に行ける!」と大喜びしたそうです。ペトロは処刑場に向かう妻に、こう叫んだと言います。
「わが妻よ、処刑されるあいだ、主イエス様のことを片時も忘れてはならんぞ!」
ペトロ自身も殉教を望んでいましたが、皇帝ネロが彼を処刑しようとした際、弟子たちに懇願され、最初はローマを脱出しようとします。ところが、街を出ようとしたところ、イエス・キリストが彼の前から歩いてきました。呆然とする自分の横を通り過ぎる師に、ペトロは「イエス様、どちらへ行かれるのですか?」と問いかけました。
「わたしは、ローマへ行くのだ。もう一度、十字架につけられるために―」
ペトロが「では、わたしもあなたといっしょに戻り、十字架につけられます」と告げると、イエスはふり向いてやさしくうなずき、ふたたび天に昇って消えました。
自分が殉教する時期が来たことを確信したペトロはローマに戻って逮捕され、「わが師と同じ方法で殺されるのは不遜である」と語り、上下を逆さまにした十字架に磔にされて殉教しました。ペトロが処刑された場所に墓がつくられ、のちに、その上に建てられたのが、現在のヴァチカン市国のサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂です。
●清涼院流水(せいりょういん・りゅうすい)
1974年、兵庫県生まれ。作家。英訳者。「The BBB(作家の英語圏進出プロジェクト)」編集長。京都大学在学中、『コズミック』(講談社)で第2回メフィスト賞を受賞。以後、著作多数。TOEICテストで満点を5回獲得。2020年7月20日に受洗し、カトリック信徒となる。近著に『どろどろの聖書』『どろどろのキリスト教』(ともに朝日新書)など。
◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です