光市事件弁護人更新意見陳述 〔第3-1-(1)〕事実関係における精神発達の未成熟

2007-07-26 | 光市母子殺害事件

 

光市事件弁護人更新意見陳述

第3 情状
 1 精神発達の未成熟
 (1)事実関係における精神発達の未成熟
 (2)情状関係における精神発達の未成熟
 2 被告人のこれからの道のり・・・贖罪と償いの人生を生きる
 
(1)第1審、旧控訴審、上告審段階の被告人
 (2)被告人が目標とする先輩の存在

第4 結語
〔第3-1-(1)〕

第3 情状

1精神発達の未成熟

(1)事実関係における精神発達の未成熟
 本件の事実関係については、前述したとおりであり、上告審判決が前提とした事実認定とは
大きく異なるものである。
 そして、現段階において、客観的証拠に裏付けられた被告人の述べる事実関係によって明らか
になったことは、本件の本質が、被告人の未熟な精神状態が作り出した偶発的な事件の端緒と
対応能力の欠如による事件の予想外の拡大であるという点である。

ア C鑑定の指摘
 まず、C教授の犯罪心理鑑定報告書(弁9)の「V 鑑定主文」の4項では、被告人の未成熟な精
神状態について、次のように指摘している。
 「被告人の生育史を概観し、心理査定結果を踏まえて、事件当時の被告人の人格の水準や特
徴を記述すると、①母親生存時の過度な自己愛充足と母親の自殺による急激な自己愛剥奪の
影響を強く受けており、かつて自分の全部を満たしてくれた母子一体の世界(幼児的万能感)を
希求する気持ちが大きい。そのため、他者からの『見られ意識』が強く、愛情や関心の乏しさを、
相手の気を引く行動によって補う。②内面には激しい攻撃性を抱えており、内心の敵意や他罰傾
向が強いが、それを普段は表に出さない。鬱積した感情は、一旦抑制が外れると、自己コントロ
ールができなくなるほどの感情爆発や『行動化』が想定される。父親による圧迫、被虐待経験の
後遺症として理解できる。③現実逃避の傾向が強く、現実の世界で満たされない気持ちは、ゲー
ムなどの仮想現実のなかで自分の優位性を確認している。④身体的性の成熟に対して、それを
統制できる精神的な成熟は著しく遅れている。対人的に内面交流ができる力、ものごとを内面化
して現実吟味したうえで行動する力量、現実に直面する力が極めて弱く、対等に同性に、まして
異性に対応できるだけの人格水準には達していない。また男性としての同一性の獲得ができて
いないため、直接的な性的行動には自信がなく、性愛的感情や性的欲求は、母性的な依存感情
を通して満たす方法しかとれない。⑤家庭裁判所調査官が実施したTAテスト結果として記述され
た4-5歳の発達水準という評価はともかく、人格の統合性、連続性が乏しく、自立できるだけの
社会的自我の形成がなされていなかったと考えられる。」(33頁)

イ B鑑定の指摘
 B教授の精神鑑定書(弁10)によると、被告人が母親の自殺の時点での精神状態について、
精神的未発達であったことを以下のように指摘している。
 「母親の自殺の時点でも精神的未発達は、病的な家庭のために未熟であったが、とりわけ母親
の死亡とともに、人格的な成長が停滞しゆがんでいったと思われる。
 今回の鑑定にあたり、新たに心理テストを行うことができなかったが、少年事件の社会記録に
ある、TAT(絵画統覚検査)の結果によると、「発達レベルは、4、5歳と評価できる」と書かれてい
る。4、5歳は別としても、極めて未熟である。とりわけ母親の死とともに現実の人間関係に立ち向
かっていこうとする意欲は乏しくなり、おもしろくなかったり淋しかったり、気分が満たされないとき
は、容易に母親との性愛的イメージに戻っていっている。あえていうなら、母親の自殺を外傷体
験として12歳(12年と191日)のときの精神レベルに歩ぶみしているかのようである。」(弁10・13
頁)
 また、被告人の犯行前後の精神状態について、同じく被告人の未成熟な点を指摘している。
 「被告人は、T高校での生活に適応しながら、目立つような非行もなく、ゲームに浸りながら過
ごしてきた。多くの人が就職するとき、父親から逃げ出すチャンスだったが、逃げ出すだけの自立
心が育っていなかったため、『逃げ出せればいいなあ』という程度で、積極的な就職活動をしてい
ない。いつも家庭内家出の延長のような感じで生きていた。友だち(O君)と一緒に、大阪に行こ
うとしたがうまくいかなかった。やっと学校の先生が世話して、地元のK㈱に入る。この会社は小
規模で家庭的な会社であり、新卒の彼(被告人)を大切に受け止めた。これまで被告人は人に
信頼される関係を持ったことが乏しく、学校の先生に優しくされるぐらいであったので、同じ職場で
働く者として親密な関係を取ることに当惑する。母子関係を除いて他者との親密さは彼にとって
対応不能に感じられるようだ。
 被告人は、職場で働き始めてから7日出勤しただけで、親しい関係を取られることに不安になっ
て会社に行けなくなり、休み始めた。これは、ゲームをしたかったための単なるずる休みではな
く、未成熟で、信頼され信頼するという働く人間としての関係に不安を感じたためであろう。」(弁
10・14~15頁)
 さらに、B鑑定は、結論部分で以下のように指摘し、被告人の人格発達の幼さを指摘する。
 「被告人の人格発達は極めて幼い。その原因は、①父親の理不尽な暴力にある。母親と被告
人は父親の暴力にさらされて、②被虐待者として共生関係を持ち、苦しむ母親からの呼びかけ
で、性愛的色彩を帯びた相互依存の関係に至っている。③父親から殺されるかもしれないという
繰り返された恐怖体験、日常、母親と本人に加えられた父親の暴力は、持続的な精神的外傷と
なって、幼い被告人に刻印されている。さらに実母が苦しみ抜いて自殺したことにより、母親の死
の場面は被告人の強烈な精神的外傷として記憶された。この精神的外傷は侵入性の体験とな
り、被告人の少年期、何度となく内面を脅かしている。」(弁10・21頁)
 「母親の死を十分に受け入れられず、母親との幻の交流を続けていた被告人は、他者とは演技
的関係をとり、ゲームの世界に内閉していた。とりたてて反社会的行為も、性的非行もしていな
い。父親への恐怖、その全能的幻想は持続していた。
 外の人間関係に出て行く準備のできていなかった被告人は、Kの親切な対応にあい、『別の家
族のようだ』と不安になる。信頼され、信頼するという人間関係は彼を不安にさせた。出社できな
い被告人はゲームへの没頭に舞い戻り、さらに義母への愛着を通して、実母との性愛的共生に
回帰しようとしていた。
 被害者たちとの出会いは、このような精神状態で起きた。被害者の抵抗にあったとき、父親へ
の恐怖が呼び起こされなかったら、これほどの暴力に及んでいなかった可能性がある。被害者
の死、とりわけその臭いは、被告人の精神的外傷を再現させ、精神的外傷体験に誘導されて、
死者への性的一体化へ衝き動かされている。
 被告人の精神的発達は極めて遅れており、母親の自殺の時点に停留しているところがあり、
18歳以上の者に対するのと同様の責任を問うことは難しい。」(弁10・21頁)

ウ 少年審判での少年調査票の指摘
 この点について、家庭裁判所の少年審判での少年調査票(A)(検甲219)・60丁・別紙心理
テスト結果の解釈の項にも、C鑑定、B鑑定と同様の指摘が見られる。すなわち、
 「1 少年のTAT(絵画統覚検査)結果の解釈」では、
 「家庭に対する疎外感、拒否される不安感が強く葛藤を感じやすい。家庭状況が、自己無価値
感や傷つきやすい幼児的自尊心(自己愛)(※C鑑定人註:自尊心は社会化された自己愛)の源
泉となっているようである。対人関係では葛藤が少ないが、見放されるのではないかという懸念
を持つ。異性関係は未熟である。男女の接近した関係を、『母と自分と、それに介入する父』(エ
ディプス状況)といった枠組みで認知してしまいがちで、そのため生起した依存感情や憎悪と性
愛的感情の区別がつかなくなり、混乱した行動に至りがちであろう。男性としての自分に自信が
もてない。これは肯定的な父性経験の不足が影響しているようである。反動的に、競争やヒロイ
ックな行動に向いがちだが、常に挫折の予感を抱えている。課題の解決に当たっては、現実吟
味を欠いた願望充足的期待を抱きがちなため、結局は失敗してしまう。自尊心(自己愛)が傷つ
きやすいため、その防衛のために責任を他者に転嫁したり、圧力をかけてくる対象に攻撃する。
また他者に対する冷情傾向、善悪二分法傾向、罪悪感の乏しさから考え、発達レベルは4-5歳
程度と評価できる。空想世界で生き生きした構想力はあるが、感情的ショックでその場を収める
ことができず、引きずりすぎてしまう。感情統制(コントロール)が悪く、情緒的な退行を生じやす
い。このような過程が進行すると、原始的迫害不安がでてくるようであり、TATにおける物語は
強い自己否定や破滅に向う。これは現実場面でも生じると考えられる。」(弁9・16頁)と指摘され
ている。

エ C鑑定における偶発的な事件の端緒と事件の予想外の拡大に関する指摘
 さらに、偶発的な事件の端緒と対応能力の欠如による事件の予想外の拡大については、C鑑
定の「V 鑑定主文」の5項・33頁以下で、次のように指摘している。
 「5、被告人の人格理解を前提に、事件を評価すると以下のようになる。
(1) 事件は、高卒後、就職して14日目に起こっている。当時の被告人は、先にも述べたように、
自立できるだけの社会的自我が形成されていない状態にあった。働く場での緊張が高まり、異母
弟の出生により家庭からの疎外感が一層深まる過程で、被告人は、その不安定な心情を誰かに
受け止めてほしいと願っていた。それを紛らわしていたのは、高校時代から続いているゲーム仲
間との仮想現実の世界であった。
(2) 事件当日は、仕事には行かないでゲームの世界で過ごすことを考えていた。ところが、友
人の都合で空白時間ができてしまったため、一旦は自宅に戻った。被告人は、自分の気持ちを
癒してほしいと思い、義母に甘えたもののそれが満たされなくて、家を出ることになった。被告人
はそこで『人恋しい』気持ちに駆られ、自分を受けとめてくれる人との出会いを求めて、仕事を偽
装するかたちでの戸別訪問を行った。相手に安心してもらうためには会社のネーム入りの作業
着が必要であった。
(3) 被告人が『人恋しい』という気持ちは、自我水準が低下した状態での幼児的甘えを基調とし
ながらも、性的願望がそこに混じりこんでいた可能性を否定できない。既述したような人格水準
(とりわけ4-④)と、義母に対する性的欲求を抑圧した依存願望を推定することが、ごく自然だか
らである。被告人は、自分の依存感情が満たされ、さらに接触願望や性的欲求が満たされること
を、未分化な感情として持っていたとみるのが至当と思われる。なお、本件が性暴力を計画的に
実行するのであれば、会社のネーム入りの作業着で、赤ん坊を抱える女性を狙うというのは、あ
まりにも合理性に欠ける。
(4) 戸別訪問は被告人を満足させるものではなかった。ところが、被害者宅では、やさしく部屋
に招き入れてくれる女性に出会ってしまった。そこで被告人は、赤ん坊を抱く被害者のなかに、
自分の亡くなった母親の香りを感じ、母親類似の愛着心情を投影してしまった。被告人は、当初
は何とか『仕事のふり』を疑われずにそこを出ようと考えていたという。(作業中に、どのようにした
ら自分を受け入れてもらえるかを考えていたとしても、おかしいことではない。)ところが、テレビ
の前に座る被害者の後姿を見たときに、甘え(『人恋しい』)を受け入れてほしいという感情を抑え
ることができなくなってしまった。そして後方から抱きつくという行為に出てしまった。このとき、
被告人がどれほど自覚的であったかは別にして、性的関係に誘ってもらえればそうしたいという
願望が含まれていたとみるのが自然であろう。
(5) 被告人の思いとは裏腹に、襲われたと思った被害者は、必死の抵抗を試みることとなった。
一方被告人は、予期しない抵抗にあって平常心を失い、自己愛阻止への怒りの発散、あるいは
被虐待経験者によくみられる過剰防衛的反撃、あるいは父親への抑圧感情の発散と見られる
パニック状態となった。被害者の反撃に対して自分がどれくらいの攻撃を加えているかについて
はまったく意識できていない。また、『被害者が目を覚まさないか』など自己の不安や怯えだけに
固執している。自我の脆弱性と幼児的な一人よがりの自己愛が浮き彫りになる。ここでの暴力
が、性的欲求達成の手段ではなく、被害者の反撃に対する過剰反応だという点が重要である。
(6) 殺めてしまった被害者の死をなかなか受け入れることができなかった。最愛の母親と重な
る女性を死なせてしまったことへの戸惑いは、被告人を非現実的な行為に導いた。それは、自分
を母親の胎内に回帰させることであり、母子一体感の実現であった。自殺した母親と同じように
被害者の脱糞を目にしたことも、幻想的な母子一体を強化することになったと思われる。被害者
の死後に行った被告人の行為は、通常は逸脱した性行為として認知されるのだが、彼は、その
行為に『死と再生』の願いを託していたという。すなわち、自らにとっては母胎回帰という死の願
望であり、被害者とともに永遠に生き延びたいという幻想でもある。
(7) 死亡したかもしれない状態になってからは、生死を確かめる行為としながらも、性的関心を
示すものと推定しうる行為が行われる。乳房に吸い付く行為などは、まさしく母性によりかかりつ
つの性的願望達成のための行為である。死後の性行為は、生身の関係では実現可能性が低い
行為であり、これまで達成するチャンスすらなかった行為の実現である。性的欲求に基づく興奮
が生じなければ射精しないであろうから、『死と再生』という意味づけが事実だとしても、性的統合
への意思は否定できない。
(8) 幼児の殺害については、かなり激しい心理的混乱が見られる。母子の幻影を見たり、風呂
桶をベビーベッドと見間違えたりしていたとすると、解離という防衛機制により自我のコントロール
が及ばないところへ自分を追いやっていた可能性を否定できない。被虐待体験が根強い者に
よく見られる現実への直面を回避する行動機序である。現象を評価すれば、相当に狼狽して自分
をコントロールできないまま幼児を死に至らしめている。すでに確認されている事実認定のとおり
だとしても、どうしてよいのかわからないという逡巡が認められ、ひとおもいに殺すといった短絡は
見られない。」
 以上より、本件の一連の行為は、被告人が被害者に甘えることができると錯覚したという偶発
的な事件の端緒から始まり、その後、被告人の予期しなかった事態の発生により、被告人が対
応能力を欠く状態であったため、事件が予想外の事態に拡大して行ったものである。
 その意味で、本件での被告人の行為は、性暴力ストーリーとして事実認定されるべきものでは
なく、「母子一体」ないし「母胎回帰」ストーリーとして理解されなければならない。
 この点、C鑑定の「V 鑑定主文」の6項・35頁では、次のとおり指摘する。
 「被告人の犯罪が、性暴力ストーリーとして事実認定されてしまったのは、すでに述べたように、
依存感情の中に性的欲求が刷り込まれていたためである。行為の結果から類推すれば、性暴力
ストーリーのほうが理解を得られやすいという側面はある。しかし、当初から、鑑別結果などを精
査して丁寧な調査を重ねることができたならば、本鑑定のような『母胎回帰ストーリー』が見えて
きたはずである。また、被告人は、相手の構えや態度による影響を受けやすい。それまでも迎合
するすることで不安を解消してきたので、相手に話を合わせてしまいやすい。問題への直面を避
けた結果、性暴力ストーリーが一人歩きをしてしまったと考えられる。

オ B鑑定における偶発的な事件の端緒と事件の予想外の拡大に関する指摘
 同じく、本件について、偶発的な事件の対応能力の欠如による事件の予想外の拡大について
は、B鑑定の16~19頁で、被告人が、被害者に後からそっと抱きついた時の、被告人の意識とし
ては、被害者に義母を見て、その先に母親を見ているという意識であったこと、被告人が父親に
本件のことが発覚すると何をされるか分からないという恐怖を強く持っていたこと、母親の自殺が
外傷的体験として強く記憶されているため、感覚的刺激を通してフラッシュバックした状況、被害児
に対する行為については混乱している状況、被害者の死亡後の姦淫行為について、母親と一体
となろうとした意識に衝き動かされたものであることについて、次のように述べている。
 「被告人は、被害者宅を訪問し、ドアのベルを鳴らしたところ、部屋に招き入れてくれた。被告人
は信用されると当惑し、それでトイレに入ったのち、一旦そこから出て、アパートの階段の2階と3
階の間の踊り場に行き、タバコを吹かした。そこで、被害者にP母さんのイメージを重ね、もう一度
トイレに戻ろうとして入った。そこで、壊れていないものを直す作業のまねは、褒められることを願
った行為だったのであろう。被害者からペンチを借りて、トイレで10分くらい作業のまねをして、ペ
ンチを返しに行った。
 『ご苦労さま』と受けいれられた被告人は、被害者の後からそっと抱きついた。すると、被告人に
とっては意外にも彼女は抵抗した。抱きついたときの被告人の意識は、被害者に義母を見て、そ
の先に母親(P母さん)を見ていた。被告人にとって、母親(P母さん)は、大きくなってからも被告
人の布団に入ってくる女性、自分を常に受け入れてくれる女性だった。母親は、暴力を振るう父親
の共通の犠牲者であったからである。しかし、被害者は立ち上がって怒った。彼女はP母さんでは
なかった。」
 「被告人は、被害者の抵抗にびっくりして、被害者に静かにして欲しいという思いから、スリーパ
ーホールドの形で首を絞めた。被害者は一旦ぐったりしたが、放心状態で座っていた被告人に硬く
光るもので反撃してきた。そこで、被告人は、もう一度被害者を押さえ込む。被告人は柔道部で
『落とす(気絶させる)』絞め技を練習したことがあった。殺意はなく、静かにさせたいという思いだ
けであったという。この時、父親に告げられると何をされるか分からない恐怖を、強く持っている。
18歳になり、知らない女性に抱き着いている青年が、なお父親に知られ暴力を加えられることを
ひどく恐れている。
 被害者の抵抗がおさまったので、気絶したと思い、再び騒がれないようにしようとの思いでガム
テープで両手を緊縛し、口のあたりに貼った。被害者の目の前でスプレー式洗浄剤を噴霧するそ
ぶり等をし、さらに、ブラジャーをずらしたら元の位置に戻ったので、死んだふりをしているのでは
ないかと疑い、カッターナイフで下着を切り、ブラジャーをずらして、乳房を触り乳首を口に含んだ。
しかし、反応がないので、被告人は心臓の鼓動を確かめようとし被害者の腹部に耳をつけ、その
後下の方に移動していった。
 この時、異臭がすることから、母親の自殺が浮かんだ。それは普通の人には想像できないこと
である。母親の自殺は外傷的体験として強く記憶されていたため、感覚的刺激を通してフラッシュ
バックしたのである。被害者のジーパンを脱がせて、パンティの横をカッターナイフで切り、脱糞し
ている状態を見て被害者が死亡したことを認識する。
 そのうちに、被告人には赤ちゃんの泣き声が耳に入って、赤ちゃんをあやそうとする。被告人は
赤ちゃんを抱いて、風呂場に行くが風呂桶がベビーベッドに見えた。そこに赤ちゃんを置いたが
落としてしまった。パニック状態でどうしていいかどうか分からなくなり、風呂場の水道の蛇口を開
けたり閉めたりしていた。
 さらに、被告人には居間の入口付近に赤ちゃんを抱いた被害者が見えた。強い恐怖、混乱の中
で感情誘因性の幻覚を見たのであろう。飛び出そうとして台所の窓を開け、ここが高層であること
を思い起こす。
 被告人は風呂場から赤ちゃんを抱き上げて、トイレの前に置くと赤ちゃんははいはいした。被告
人は幻覚が見えたのは、被害者を不潔にしているからと思いつく。それから、赤ちゃんを天袋に
入れた上で、被害者の脱糞の手当てをした。そこで、おばあちゃんの下の世話をしたとき見た女
性の性器を見る。
 人を殺したようだ、とんでもないことをしてしまった、父に知れれば殺される。動転するなかで、
自分を責めるかのように、あるいは自分を覚醒させるかのように、持っていた紐を自分の左手に
くくりつけた。
 赤ちゃんの首に紐を巻いたのは思い出せない。泣いて欲しくないという思いはあったと思うが、
声が止ったので、チョウチョ結びしたのかもしれない。分からない。
 被害児を天袋に置いた後、呆然として押入れの柱にもたれかかっていた。目の前にブラジャー
がずれ上がり、下半身は裸の女性が横たわっていた。その時、初めて自分のペニスが勃起して
いるのに気づいた。自分はもう終わりだ、だが、セックスしたことがない、続いてP母さんと一体に
なろうとした記憶が重なる。
 P母さんの期待に応えて、自分に似た子どもが作れるか、セックスできるか、自信がなかったこ
となどがぼんやり浮かんでくる。さらに子どもを作ることのできる精子なら、女性を生き返らせるこ
とができるという、マンガで読んだ思考が浮かんできた。
 そこで、被告人は、ペニスを入れようとした。この時まで、死者とセックスをするという行為も死姦
という言葉も知らなかった、という。
 なお、強姦という極めて暴力的な性交は、一般的に性経験のある者の行為である。被告人のよ
うに性交体験がなく、これまで性体験を強く望んで行動していたこともない少年が、突然、計画的
な強姦に駆り立てられるとは考えにくい。また、当初より強姦目的にしているなら、P母さんのこと
を思い出すというのは、不自然である。一般的に母親のイメージは男性の性行為に抑制的に働き
やすい。被虐待者の外傷体験を媒介して死んだ女性の性器に自分のペニスを入れるという行為
を導いているようだ。
 さらに、はじめから強姦目的なら、最初の気絶の状態ですぐ姦淫行為に及んでいない点が不自
然である。直線的な行動をとっていない。強姦目的なら、わざわざブラジャーを切ったり、下着を切
ったりする必要はなく、すぐ下着を取り、強姦に及ぶであろう。」
 本件は、被告人の被虐待者の外傷体験を反映した母子一体の状態が再現されそうな状況か
ら、一転して被害者の反撃を受けたことにより、パニックになった被告人が本件の一連の行為を
行ったものであり、偶発的な行為として、理解すべきものである。

カ 鑑別結果通知書(検甲218)判定による精神状況の指摘
 山口少年鑑別所の鑑別結果通知書(検甲218)判定による精神状況は、以下のとおりであり、
C鑑定、B鑑定の結論と符合するものとなっている。
 「知能水準は『中』程度(新田中3B式 106)だが、学習不足で学力が身についていない。物事
を考えたり、想像をめぐらすことは多い。思考は主観に偏りがちで柔軟性に欠け、独り善がりな判
断で動いて失敗することも少なくない。
 表面上は、その場ごとの期待に合わせて振舞う。仲間のなかではにぎやかに軽い調子で振舞
い場を盛り上げる。しかし、内面は非常にうっ屈している。本当は、誰にも妨げられずに何でも自
分のしたい放題に振舞いたいという気持ちを強く持っているのであるが、現実には思いどおりに
ならないし、そんな自分を出したら人に嫌われると感じているため、内面を押し込め、周囲の顔色
をうかがいながら、行動することが習性になっている。非難・拒否を避けるために取り繕いや言い
訳はかなり巧みで、めったに感情をあらわにすることはないが、それだけ気持ちをためこむので、
いったん抑制が外れると自己コントロールができないほどの感情爆発の危険がある。
 基底にあるのは、小心で依存的でありながら子どもっぽい傲慢さを残した、未熟な性格である。
自分を妨げる者は『やっつけ』たい、何でも一番でないと嫌、でも困ったら優しく助けてもらいたい
というのが本音である。一人では何もできないのに、指示は嫌がる。加齢に従い無力な自分を意
識させられるので、ゲームなどの仮想現実に逃避する傾向を強めた。自分が得意なものには尋常
でないほど夢中になり、出来不出来にこだわるというのも無力感を背景としている。共感性がない
わけではないが、自分の内面を明かすのには警戒的であり、少し親しくなるとわがままさが出て信
頼関係が築けない。
 対人関係を作れるだけの表面的社会性に、自立できるだけの社会性の発達が伴わなくて、社会
適応に問題を残す。不遇な環境を強調して関心を引こうとする様子、本人が訴える『うつ』の症状
は見られない様子、罪障感が乏しい様子などからは、『演技性人格障害』ではなく、自己愛の傷つ
きに由来する人格の偏りと判断する。将来的に人格障害に固まっていく可能性はある。」


キ 小括

 以上のとおり、C、B鑑定のみならず、家庭裁判所の調査官の判定のいずれにおいても、「本件
事件の本質が、被告人の未熟な精神状態が作り出した偶発的な事件の端緒と対応能力の欠如
による事件の予想外の拡大にある」という点を指摘しているのである。


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