【慰安婦問題の真実】“捏造・創作”を認めた吉田証言を証拠採用する国連人権委 誤報を訂正しない朝日新聞

2013-09-13 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

慰安婦を二度と生み出さぬため証拠に基づく冷静な議論が必要
 NEWSポストセブン2013.09.11 16:00
 旧日本軍が性処理のために朝鮮人女性を「強制連行」した──韓国をはじめ世界ではそう信じられているが、それを示す史料は存在しない。では、なぜそんな話が広まったのか。
 残念なことに、最初に「軍による強制連行」を言い出したのは日本人だった。1983年、元兵士・吉田清治氏が著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房刊)の中で、軍令により韓国・済州島で女性を慰安婦にするために拉致したと“告白”した。
 先に結論を述べると、この吉田証言は創作であることが明らかになっている。現地紙『済州新聞』の追跡取材で住民は吉田氏の証言を否定した。
 しかし、その吉田証言をもとに追及キャンペーンを展開したのが朝日新聞だった。1991年8月11日、<元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀 重い口開く>という記事で元慰安婦が軍による連行を証言したと報じたが、吉田証言を土台にした誤報だ。
 この時に名乗り出た元慰安婦・金学順さんは韓国メディアの取材などに「母親に40円で女衒に売られた」と語っている。
 これらの経緯は小学館『SAPIO』編集部がまとめた新刊『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』に詳しいが、「軍による強制連行」と「売春業者が娘を買った」では話がまったく違う。悲しいことに戦時中の日本で売春は合法だった。
 そして、現代の価値観では絶対に許されないが、各国の軍隊が売春業者に性処理の仕組みを作らせていた。戦後、進駐した米軍も日本人女性に性処理をさせた。にもかかわらず日本が世界中から非難されるのは「軍による強制連行」があったと誤解されているからだ。
 吉田氏は1990年代後半になって自らの証言が創作を交えたものだと認めたが、朝日新聞は先述の誤報を訂正していない。そして朝日新聞が広めた吉田証言は、国連人権委員会などで強制連行の証拠として採用された。
 誤りを訂正しない朝日新聞や左派知識人が、吉田証言に証拠能力がないとわかり、言い出したのが、「広義の強制」である。軍は直接手を下していないが、本人の意に反して戦地に行ったことは日本政府に責任がある、という拡大解釈だ。そして「軍の強制連行」を信じる人は今も世界中にいる。
 慰安婦問題にはとかく誤解が多い(「日本政府が謝っていない」という主張はその典型だ)。慰安婦のような存在を二度と生み出してはならない。だからこそ、証拠に基づく冷静な議論が必要だ。
『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』では識者が丹念に史料をめくり、複雑な問題を丁寧に解説している。そうした議論に目を通し、反論すべきは反論するのが、日本人として真に「歴史と向き合う」ことではないか。
※週刊ポスト2013年9月20・27日号
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日本の謝罪不十分=慰安婦問題で国連報告者
 時事通信 9月12日(木)6時11分配信
 【ジュネーブ時事】旧日本軍の従軍慰安婦問題などを扱う国連のパブロ・デ・グレイフ特別報告者は11日、「いかなる謝罪も元慰安婦の人権を明確に認識した上で行われる必要がある」と述べ、日本の謝罪は不十分との認識を示した。問題の放置は「(アジアと日本に)相互不信を生む」と懸念も表明、日本政府に適切な対応を促した。
  グレイフ氏は人権団体が国連欧州本部で開いた会合で「公式謝罪、国家責任の存在を認めないままの経済補償を元慰安婦は受け入れない」と主張。村山政権時の1995年に設置された「アジア女性基金」による元慰安婦支援でこの問題は解決していないと訴えた。
  さらに日本の教科書で慰安婦問題を扱わなくなったと指摘し「大いに懸念している」と表明。「過去に触れなければ強い不満に満ちた社会になる」と警告した。
  会合では韓国人元慰安婦の金福童さん(87)が「日本政府が正式謝罪をするだけで十分」と訴えた。また参加者から「日本政府の弱みは国際圧力だ」(人権NGO)と、慰安婦問題を国際社会に広く訴える必要があるとの意見が出た。
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◇ 慰安婦問題 「バカな親日家と罵られても、私は真実を語る」安秉直(アン・ビョンジク)ソウル大学名誉教授 2013-09-10 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
 慰安婦調査のソウル大教授「事実をねじ曲げる仕事じゃない」
 NEWSポストセブン2013.09.10 07:00
 韓国だけでなく、世界中に慰安婦問題で日本を非難する声が拡散しつつある。だが今回、韓国・ソウル大学の名誉教授が発見し解読した日記によって、世にはばかる“通説”には捏造情報が多分に含まれていることがわかった。「たとえ親日家と罵られても、私は真実を語る」と、教授は語り始めた──。
「約20年前、私は『韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)』という団体と共同で慰安婦問題を調査していた。しかし、次第に『挺対協』の目的が慰安婦問題の本質に迫ることではなく、ただ日本を攻撃することだとわかり、調査団から離れた。
 その後は“お前はバカな親日家だ”などと罵られ、研究者としての仕事もしづらくなった。だが、研究者の仕事は事実を明らかにすることであり、事実をねじ曲げることではない。その信念は今も変わらない。
 だから、慰安婦問題の新事実を含んだこの日記と出会った時は心が躍った。そこにはこれまでの慰安婦問題の通説と異なる情報もあった。しかし、研究とは事実を明らかにすることであり、利害関係が入り込む余地はない。この日記は日韓どちらの損得とも関係のない客観的で重要な資料だ」
 そう話すのは、朝鮮経済近代史が専門の安秉直(アン・ビョンジク)・ソウル大学名誉教授(77)だ。
 安教授は8月、慰安婦の施設を運営していたある朝鮮人男性の日記を発見し、世間に発表した。もともと日記は個人博物館の運営者が所蔵していたものを国立韓国学中央研究院が見つけ、安教授が所属する研究所が解読と研究を請け負ったものだった。
 日記の筆者は1905年に朝鮮に生まれ、1979年に死亡。彼は1922年から1957年までの36年間の記録を綴っていた。第2次世界大戦に日本軍政下のビルマとシンガポールで慰安所の経営に携わることになる彼の日記は、1943、1944年の分が、慰安婦関連の貴重な資料となった。安教授が話す(以下、「」内はすべて安教授)。
「今までの慰安婦関係の資料は、朝鮮総督府、台湾総督府を含む日本政府が残した資料に限られていた。慰安婦という性格上、公文書に残しづらい点もあり、資料は極度に不足していた。そのため、韓国での慰安婦に関する研究は、新聞や雑誌などに記載された二次資料や関係者の証言などに依存するほかなかった。
 政府の資料は隠蔽された部分もあるだろうし、関係者の証言は補償などの利害関係に絡むから信用できない点もある。その点、この日記は慰安婦問題が世に出る1990年以前のもので改竄されようもない。非常に客観的な歴史的資料といえる」
 日記は第三者に見られることを想定しておらず、慰安婦や慰安所の日々の様子が淡々と綴られていた。個人名は一部伏せ字にしてある。
<鉄道部隊で映画があるといって慰安婦たちが見物に行ってきた>(1943年8月13日)
<保安課営業係に金◯愛の廃業同意書を提出し証明を受け取った>(1944年9月6日)
<帰郷する慰安婦、お○と○子は明日の乗船券を買った。共栄倶楽部(※注1)の慰安婦、尹○重(○子)も明日出発だ>(同4月5日)
<正金銀行(※注2)に行き、送金許可された金◯守の1万1000円を送金してあげた>(同12月4日)
 植民地時代の話になると、“悪魔の日帝”と“被害者の朝鮮”という構図になりがちだが、安教授は「両国共に冷静な分析が必要だ」と語る。
「宗主国にとって植民地政策には『利用』と『開発』の両方の側面があると考えている。開発しなければ負担になるだけ。実際、当時の朝鮮では農民経済が安定し、工業生産力が拡充するなど、様々な分野で近代化を迎えた。それは自主的なものというより、日本の植民地開発によるものが大きい。韓国は植民地時代のすべてを否定すべきではない。
 翻って日本だが、今の安倍政権が歴史認識で批判されるのは、何のために『15年戦争(※注3)』を戦ったのか、それで何を得たのかということを客観的に議論できていないからだ。300万人以上が亡くなった戦争は結局、何一つ日本のためにもなっていないのではないか。
 日記が両国の歴史認識にどれほど影響を与えるかはわからない。研究者としての私の願いは、事実をねじ曲げることなく、事実は事実として問題が解決されること。そういう意味でこの日記は役に立つはずだ」
【※注1】共栄倶楽部/シンガポールにあった慰安婦の名前
【※注2】正金銀行/横浜正金銀行のこと。東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身
【※注3】15年戦争/1931年の満州事変から1945年のポツダム宣言受諾による終戦まで、約15年間の日本の紛争、対外戦争をまとめた総称
 ※週刊ポスト2013年9月20・27日号 *強調(着色)は来栖 
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◇ 慰安所:朝鮮人男性従業員の日記 / 安秉直(アンビョンジク)ソウル大学名誉教授が発見 2013-09-10 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
  「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」安秉直教授
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慰安婦募集広告~日本兵の月給7円時代に月収300円超 『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』 2013-09-07 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 

   

慰安婦募集広告 日本兵の月給7円時代に月収300円超の記録
NEWSポストセブン2013.09.07 16:00
「慰安婦問題」について、日本批判を繰り返す韓国政府。しかし、韓国人ノンフィクション作家の金完燮氏は慰安婦が「性奴隷」だったとする主張に異を唱える。新刊『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)の中で、金氏は以下のように解説している。
 * * *
  不当な扱いを受けたと証言する元慰安婦については、その言葉が事実だとしても、当事者の証言とその家族や女衒(ぜげん)の立場はかなり異なる可能性があることを忘れてはいけない。たとえば、女衒が慰安婦の両親に莫大な前払い金を渡した場合でも、両親は娘に売春婦として売ったとは言えず、事実を隠したまま挺身隊に行くのだと話したり、日本にある工場や病院に就職するのだと伝えたりして、業者について行くよう諭したこともあっただろう。
 従軍慰安婦問題に関する資料には、朝鮮で慰安婦を集めた女衒が少なくて300円、多い時は2000円もの大金を両親や家族に支払ったという記述がある。このような場合、女衒は投資額を回収しなければならないため、相当の期間、慰安婦に報酬を支払わないことになる。一方の慰安婦当事者は、強制的に連れて来られ、一銭ももらうことなく酷使されただけで故郷に帰ったと信じるようになるのである。
 ただし、朝鮮出身の慰安婦についてはその社会性、つまり、600年もの長きにわたる儒教思想による純潔と貞操観念が厳しい社会で、慰安婦として働いたという前歴がどれほど彼女たちを精神的に苦しめたかということは理解しておく必要があろう。
 では、当時の慰安所の規模と運営実態はどうだったのだろうか。戦争が拡大していくにつれて、軍では後方に対してより多くの慰安婦を要請した。これに対して日本政府は多様な方法で、必要な数の慰安婦を供給するよう努めた。
 日中戦争初期までは、軍人100人あたり慰安婦1人の基準を充足するのに特に問題はなかった。しかし、1942年、戦線が東南アジアと太平洋地域に拡大され、海外に派兵された日本軍の規模が急激に増大すると、慰安婦への需要も増加した。日本国内で慰安婦を確保するのが難しくなった業者は、朝鮮や台湾、中国で両親に前金を渡したり、勤労挺身隊としてたくさん稼ぐことができると騙したり、あるいは道端の拉致という方法で慰安婦を調達したのである。
 売春婦を連れて軍隊を回れば大金を稼げるという事実が知れわたり、多くの業者がこの事業に駆け込んだことだろう。彼らは手段と方法を問わず慰安婦少女を確保しようとしたはずだ。
 そのひとつの例として、1944年10月27日付『毎日新報』にはホ氏という人物が「軍慰安婦急募」という広告を出しており、1944年7月26日付『キョンソン日報』にも「クムジョン紹介所」名義で「慰安婦大募集」という広告が掲載されている。
 この広告には17歳以上の女性を対象に月収300円以上、前払い3000円可能という内容が記されている。当時、皇軍の2等兵の月給が7円だったことを考えれば、当時の慰安婦事業がどれほど大好況だったか推測するに余りある。
 そして、それだけの収入が得られるならば、自分の意志であろうが、親など他人の意志であろうが多くの少女が志願したのではないだろうか。しかし、その数字は韓国の国定教科書で主張されている10万人から20万人とは相当の乖離がある。
※『日本人が知っておくべき「慰安婦」の真実』(小学館)より
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