震災遺族として 黄川田徹:誓いの選挙戦 「〝股裂き状態〟にした。これが小沢先生のやり方なんです」

2012-12-23 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

震災遺族として―黄川田徹(復興副大臣)「誓いの選挙戦」に密着
現代ビジネス「経済の死角」2012年12月22日(土)フライデー
 黄川田徹復興副大臣(59、岩手3区)が、スーツの内ポケットを指差して「これを見て」と言った。そこに縫いつけられていたのは、「W. Mitsui」との刺繡。スーツは、国会で席が隣の三井辨雄厚生労働相(70)の〝お古〟だった。
 「震災直後、家も何もかも流され、着るものもありませんでした。『(洋服の)青山に行ってスーツを買わなきゃ』と話をしたら、『こんなんでよければ』と三井さんが夏物・冬物あわせて10着ほどくれたんです。だから、ほら・・・・・・」
 微笑みながら黄川田氏が視線を落とした先に、折り返して丈を詰めたズボンの裾が見えた。12月10日、黄川田氏が岩手県陸前高田市の事務所で、本誌に選挙戦にかける思いを語った。
 昨年3月11日の大津波は、黄川田氏から義理の両親、妻の敬子さん(享年51)、そして長男の駿一さん(享年29)を奪った。公設第二秘書の菊池章太さんも、黄川田氏の家族とともに波にさらわれた。自宅が被災した黄川田氏は、震災から1年9ヵ月が経った今も、仮設住宅で暮らす。黄川田氏は亡き家族について、多くを語ろうとはしない。
 「家族に対する想いを聞かれても困るんだよ。これは現実だ。本当に大変な目に遭った人は、何も言わない。『亡き家族のために頑張ります』なんて言わない。まして私は、家族のために政治家をやってきたわけでもない。被災地ではみんな、家族や親戚を失った。辛い目に遭ったのは私だけじゃない。だから、軽はずみに感想なんて言わない。言えないんだ」
 そんな黄川田氏を支えるのが、末娘で大学4年生ののぞみさんだ。震災当日、高台にある自動車教習所にいたため、被害に遭わずに済んだ。
 「これまでは事務所でお茶を出すくらいでしたが、今回の選挙から、娘が積極的に手伝うようになりました。口には出さないけれど、〝自分が母ちゃんの代わり〟という自覚が出てきたんだと思います」
 本誌は黄川田氏の選挙戦に密着したが、粉雪が舞う中、選挙運動は街宣車による遊説と公民館などでのミニ集会が中心だった。演説する黄川田氏の姿に「奥さんと子供さんを亡くされて頑張ってる」と涙ぐむ高齢者が多数見られた。各メディアの事前調査(12月12日時点)では、その境遇に共感する票も多く、黄川田氏が断トツで有利と予想されている。
 *震災に触れもしなかった小沢
 陸前高田市の職員だった黄川田氏は、小沢一郎氏(70)が'94年に新進党を立ち上げた時から行動をともにし、政界に身を投じた。義理の祖父が、小沢氏の父・佐重喜氏(元建設相)の後援者でもあり、その縁は深い。しかし、今年7月に〝政治の師〟小沢氏が民主党を離党した時、黄川田氏は行動をともにしなかった。岩手県という被災地選出の議員でありながら、復興を目指す地元そっちのけで政争に明け暮れる小沢氏を見限ったからだ。黄川田氏は腕を組んで思案した後、語り始めた。
 「小沢先生は震災の後、〝菅(直人首相=当時)降ろし〟に走りました。当時、(東京・世田谷の)深沢の小沢邸で会合が頻繁に行われ、私も(親小沢グループである)一新会の一人として参加しました。何十人ものメンバーが班ごとに分けられ、連日連夜の倒閣謀議です。そこで小沢先生と対面したのですが、私に『お前も大変だったな』の一言もありませんでした。いえ、私のことはいい。とにかく一切、震災の話をしなかったんです。あの混乱冷めやらぬ時期に、震災にまるで触れないなんて・・・・・・。横にいた中塚(一宏金融担当相)に、『おい、この机、ひっくり返していいか』と言ったら、『徹ちゃん、やめとけ』と諫められました」
 「前回まではお茶を出す程度だった」という娘ののぞみさん(右から2人目)も積極的に選挙を手伝うように
 無論、黄川田氏は小沢氏に直言もした。小沢氏はようやく今年4月1日、黄川田氏が暮らす陸前高田市の仮設住宅に焼香に訪れたが、それは、黄川田氏が「被災者の象徴として私の家に線香をあげに来てほしい」とかけ合ったからだ。野田佳彦首相(55)が消費増税を閣議決定すると、小沢氏は黄川田氏に総務副大臣のポストを辞することを要求した。決定に反対の意志を示すためだ。黄川田氏がそれを呑んだのは、小沢氏に「被災地と正面から向き合ってほしい」と願ったからだ。
 小沢氏の妻・和子さん(68)と黄川田家の交流も半世紀以上にわたる。特に亡き妻・敬子さんは小学校の頃から和子さんと交流があり、周囲から「仲のいい姉妹みたい」と言われたそうだ。
「初めて国政選挙に出た時、名前が難しいのでポスターには『きかわだ徹』と書くようアドバイスをくれたのも、和子さんでした。震災の翌日、議員会館の事務所に『黄川田君のところはどうなっている?』と電話をくれました。私の家族の遺体がすべて見つかった時、和子さんから香典と便箋2枚の手紙が届きました。政局や権力闘争に巻き込まれず、被災地、被災者のために働いて。復旧、復興に頑張って―。そういう内容でした」
 小沢氏が黄川田氏に向けて放った対立候補の佐藤奈保美氏(46)は、引退した菅原喜重郎元代議士の娘で、前回まで黄川田氏の支援者の一人だった。
 「比例区は喜重郎先生、小選挙区は私でやってきましたが、先生の引退後は喜重郎先生を応援していた人が私を応援してくれました。その関係があるのに、今度は喜重郎先生の娘を出馬させて〝股裂き状態〟にした。これが小沢先生のやり方なんです。 '09 年の総選挙は民主党が大勝しましたが、あの時、小沢さんは自民党議員の秘書らを引き抜いて、自民党の対抗馬として当てていった。無関係の新人を立てるのではなく、これまでの人間関係の中から対立軸をつくるんです。岩手1区では達増拓也知事の奥様(陽子氏)を擁立して、私と同じく民主党にとどまった階猛さんに当ててきた。私は佐藤さんではなく、小沢先生と戦っているんです」
 選挙直前、黄川田氏のポスター25枚に刃物でバツ印が切り刻まれる事件が起きた。今も犯人は分かっていない。
 「最初から、被災地の復旧、復興に与党も野党もないと言っている。自民の中にも立派な人はいて、民主の中に駄目なのもいる。この選挙は権力闘争とは違う。そう思って、小沢先生との歴史を閉じた」
 12月11日午後2時46分、震災から1年9ヵ月の月命日に、大槌町で演説を終えた黄川田氏は、1分間の黙禱を捧げた。
 「お墓にいい報告はしたいなぁ。でもそのためには(選挙に)勝たないと」
 こぼれかけた笑みは、瞬く間に引いた。
 「フライデー」2012年12月28日号より
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小沢「王国崩壊」/黄川田徹氏は当確直後、和子夫人に「お陰様で当選できました」 2012-12-20 
 小沢一郎「王国崩壊」 黄川田は和子夫人に「お陰様で当選できました」『週刊文春』12月27日号
 「岩手県内の小選挙区で勝ったのは小沢一郎氏本人の4区だけ。しかも前回の約13万4千票を大きく下回る、約7万8千票。“小沢王国”は完全に崩壊しました」(政治部記者)
 後援会関係者が言う。
 「小沢さんの選挙区も後援会はかなり緩んでいた。幹部が後援者の遺留のために『これで最後だから。今回限りだから』と言っていた。次の選挙に小沢は出ないから、と」
 岩手では小選挙区制導入以降、党が変わろうとも小沢氏が4議席のうち3つは確保してきた。前回の衆院選では県内全てを独占。そんな小沢王国でも苦戦が伝えられると、選挙戦終盤の12日、小沢氏自身が岩手入り。4日間にわたり県内をくまなく回った。(略)
 そんな空気を感じ取ったのか、小沢氏はある行動に出た。
 「その日の晩、小沢氏は1区で立った達増陽子氏の総決起集会に出席すると言われていたのですが、現れなかった。実は同じ時間に、宿泊先のホテルにゼネコン関係者を集めていたんです。引き締めを図ったものと見られます」(県政関係者)
 その翌日、朝10時。盛岡市に隣接する紫波町の公民館の駐車場に、小沢氏はいた。異例の地元入りを取材しようと集まった報道関係者は6人と寂しい。聴衆もたったの16人だ。ゼネコンの引き締め効果もまったくなく、王国崩壊の趣である。広く思えてくる駐車場で、小沢氏はにこやかに語り出した。
 「大変お忙しいところ、また、寒いところ、こうしてわざわざお越しいただいて・・・」
 候補者の紹介から始まり、原発、消費税、TPPに対して訥々と反対論を述べ、辻説法は約5分で終了。厳しい寒さの中、コートも着ずにいるため、次の会場へ向かうためにクルマに乗り込む頃には、小沢氏の唇は白くなっていた。
 この日、小沢氏は盛岡市内を中心とした17か所で、判を推したように同じ内容を喋り続けた。
 そこまでしても、結果は前述の通り大惨敗。中でも岩手3区は、開票作業開始からすぐに民主の黄川田徹氏に当確が出た。
 「黄川田さんは当確が出た直後、小沢さんに離縁状を叩きつけた和子夫人に電話をかけたそうです。和子夫人は、震災で家族を喪った黄川田さんをずっと気にかけていましたから。留守電に『お陰様で当選できました。ご心配いただき、ありがとうございました』と吹き込んだら、和子さんから折り返し連絡があったそうです」(黄川田氏の知人)
 国破れて、小沢氏はいま何を思うのだろうか。


「小沢王国」に挑む 反旗翻した飼い犬たち=階猛/黄川田徹のもとに届いた小沢氏の妻和子夫人からの手紙 2012-08-21
 民主残留組に対立候補=小沢氏
 2012年8月20日21:06 JST
 新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は20日の記者会見で、次期衆院選への対応に関し、消費増税関連法案の採決で造反しながら民主党にとどまった階猛(岩手1区)、黄川田徹(同3区)両氏の対立候補を擁立する方針を明らかにした。
 小沢氏は「民主党に残っているということは、われわれが政権交代で唱えた約束をほごにして増税に走ることを是とした人たちだ」と階氏らを厳しく批判した。[時事通信社]
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「小沢王国」に挑む 反旗翻した「飼い犬」たち
産経ニュース2012.8.16 22:14
 7月29日、東日本大震災の傷痕が残る岩手県陸前高田市の市役所仮庁舎は、日曜日にもかかわらずにぎやかだった。
 仮庁舎では財務相、安住淳が地元市議らの陳情を受けていた。安住の隣に座るのは同市出身の衆院議員、黄川田徹。黄川田は、安住が予算要望に「わかりました」と前向きに応じるたびに静かにうなずいた。
 陳情を聞き終えた安住は去り際、こう言い残した。
 「黄川田さんは大変難しい決断をしてくださり、ありがたい。私たちも黄川田さんを支えたい」
 「大変難しい決断」-。安住が指摘したのは、黄川田が長年行動をともにしてきた元民主党代表、小沢一郎とたもとを分かったことを指す。黄川田は小沢が旗揚げした「国民の生活が第一」に参加しなかった。
 黄川田の「決断」に応えるかのように、岩手3区には閣僚や民主党幹部が頻繁に入る。首相、野田佳彦も「生活」結成から3日後の7月14日に3区入りした。
 「小沢家と黄川田家は、双方の父の代から50年以上の付き合いだ」
 黄川田は今でも、小沢との深い関係を強調する。大震災の津波で両親、妻、長男、秘書の5人を亡くした黄川田の仮設住宅を今年4月に訪れ、家族の位(い)牌(はい)を拝んでくれたのも小沢だ。そのとき、黄川田は小沢から総務副大臣の辞任を求められ、これに応じている。
 その黄川田が今回なぜ、小沢に背いたのか。
小沢夫人の手紙
 家族4人の初盆を迎えたころ、黄川田のもとに香典を添えた便箋2枚の手紙が届いた。小沢の妻、和子からだった。
 お悔やみの言葉から始まり、被災地の現状を案ずる言葉や激励の言葉などがつづられ、どれもこれも黄川田の心に響いた。さらにこんな一文もあった。
 「大変な状態でも政局や権力闘争をする人はいるが、黄川田さんは頑張ってほしい」
 黄川田はこの言葉の意味をかみしめた。「地元の復興対策よりも永田町の政局を優先している」。夫人は小沢をこう批判しているかのようだ。黄川田も「小沢先生は、権力争いでなく副総理にでも手を挙げてほしいのに…」と考えていた。
 総務副大臣の辞任も断腸の思いだったのに、野党になれば復興に直接関与するのも難しくなる…。被災自治体の復興計画がまとまりはじめ、「今は政局より復興が最優先」と判断した。
 しかし、小沢の「恐ろしさ」は、黄川田自身が肌で知っている。
 平成12年の衆院選。小沢は、自由党を去り保守党結成に参加した当時の衆院議員、佐々木洋平を徹底的に潰した。そのときの刺客がほかならぬ黄川田だった。
 そして今、小沢の牙が自分に向けられようとしている。「生活」県連幹部の県議、佐々木順一は、黄川田に刺客を向ける可能性を示唆している。3区内の県議、市議の一部も「生活」に移り、黄川田を脅かす。
■知事自ら刺客?
 「小沢さんにしてみれば、飼い犬に手を噛まれたような気分かと思います。今後、私に対して厳しい態度で臨まれるでしょう」
 黄川田と同じく民主党にとどまった岩手1区選出の衆院議員、階猛はブログで、これからの覚悟をにじませた。1区では、小沢らに目立たぬよう街頭演説を避け、2、3人とのミニ集会を通じて支持者との関係維持に腐心している。
 1区の民主県議4人は全員残留し、支持母体の連合岩手も「生活」を支持しない方針という。それでも、小沢が「飼い犬」を放置するはずがない。
 佐々木順一は7月30日、岩手県知事、達増拓也との関係について「次期衆院選で同一歩調を取りたい」と表明した。階の前任者である達増が刺客となる可能性が出てきたのだ。
 達増は知事職を続ける意向を示しているが、「小沢氏の指示であれば刺客になるのもためらわないだろう」(民主岩手県議)との見方もある。しかも、階の支持者の多くは達増の支持者だ。達増と階が激突すれば、支持者はどっちにつくのか-。
 岩手県議会で「生活」は民主、自民に次ぐ第3会派となった。しかし、民主と自民が共闘すれば「小沢王国」は崩壊の危機にひんする。自民から再挑戦する高橋比奈子は「ようやく岩手も『小沢氏の呪縛』が解け、県民が普通の判断ができるようになるのではないか」と期待する。もっとも、現時点で民主、自民による選挙協力の話はない。(水内茂幸)=敬称略
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◆ 小沢一郎「妻からの「離縁状」全文 週刊文春6月21日号 2012-06-15
小沢家の悲劇「妻・和子の手紙」の真相 週刊ポスト2012/7/6号(2012年6月25日発売)
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「夫のため」刺客に 岩手1区『生活』達増知事夫人 出馬/ 民主・階猛氏の妻は「陽子さん、かわいそう」と涙 2012-12-01 
「日本未来の党」岩手1区 達増拓也知事の妻陽子氏 擁立 小沢氏が直接、説得 2012-11-30
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 〈来栖の独白 2012.12.01
  ここまでやらなければ「政治」は全うできませんか、小沢さん。『国民の生活が第一』の周辺で女性候補(三宅雪子氏・姫井由美子氏・・・)が痛ましすぎる、と感じるのは私だけだろうか。陽子氏出馬に達増知事も心中いかばかりだろう。ここまでやらなければ「政治」は全うできませんか。階氏に「頑張れよ」「ともに頑張ろう」と微笑み、刺客は送らない。貴方の「選挙」にそんな手法はありませんか、小沢さん。代議士に当選すれば陽子氏は単身赴任、夫婦別居だ。そこまでやらねば、「政治」は全うできませんか。
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小沢の恐ろしさ 「国民の生活が第一」衆院選岩手3区に佐藤奈保美氏 ~民主残留 黄川田徹氏に刺客 2012-10-12
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メディアで有名 旅館女将 佐藤奈保美氏 [ 国民の生活が第一]公認に 岩手3区/父親は菅原喜重郎元衆院議員 2012-11-01 
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落日 小沢王国-いわての審判 「岩手県南は小沢先生の金城湯池だと思っていたが、違った」 河北新報 2012-12-21 
 落日 小沢王国-いわての審判(上)1勝3敗/無敵の神通力に陰り
 日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)のカリスマ的な影響力で、岩手県は「小沢王国」と呼ばれてきた。未来は今回の衆院選で県内の4選挙区に候補を擁立したが、結果は1勝3敗。比例復活の1人を加えてもわずか2人となった。「剛腕」と呼ばれた小沢氏の力の源泉だった県内基盤が、かつてないほど弱まっている。
◎お国なまり、どぶ板不発
<自民、満面の笑み>
 「本日をもって『小沢王国』をぶち破った」
 16日午後10時40分ごろ、自民党高橋比奈子氏の選挙事務所(盛岡市)。玉沢徳一郎元農相が祝杯を手に高らかに宣言した。高橋氏は岩手1区では敗れたものの、比例東北で復活当選した。
 2009年の前回衆院選で、自民党は県内議席ゼロに終わった。今回は2区で当選した鈴木俊一氏、比例で復活した3区の橋本英教氏と4区の藤原崇氏を加え、立候補した4人全員が当選を果たした。
 千葉伝県連幹事長は「優勢を伝えられる全国と、岩手は全く違うとイメージしていた。小沢王国で4人。これ以上の結果はない」。これまで小沢氏に何度も煮え湯を飲まされてきただけに、満面の笑みを浮かべた。
 同じころ、落選が決まった未来の達増陽子氏は記者会見に臨んでいた。「敗因は私の力不足」と達増氏。「私の声を1区のすみずみまでお届けすることができなかった」と悔しさをにじませた。
 1区から立候補を表明したのは公示直前。達増拓也岩手県知事の妻という知名度を生かして4万票以上を獲得したが、及ばなかった。
 2区で落選し、辛くも復活当選した未来の畑浩治氏の陣営も時間不足を痛感していた。ある秘書は「未来は、政党名が公示の数日前に決まった。『そんな政党に何ができるのか』と有権者は思っただろう」と振り返る。
 しかし、そんな厳しい情勢でも、ひっくり返してきたのが小沢氏だった。今はたもとを分かった平野達男復興相が、自由党から初当選した01年の参院選岩手選挙区。自民党候補に先行を許していたが、党首だった小沢氏が2度も岩手入りして土壇場で逆転した勝利は今も語り草となっている。
<「仲間」が減った>
 選挙戦最終盤の15日午後。盛岡市の住宅街では雨の中、公民館前に集まった聴衆約60人に、小沢氏が普段は使わないお国言葉で語り掛けた。
 「俺だげで、いぐら頑張っでも一人では(政治は)できません。大勢のながま(仲間)がいて、初めて民主主義ですから」。時間は約5分。駆け足でワゴン車に乗り込むと次の会場に向かった。
 達増氏の応援で盛岡市に14日から入った小沢氏。2日間で計数十カ所の街頭演説をこなすどぶ板選挙を展開したが、かつての神通力はもはやなくなっていた。
 「仲間」は減った。小選挙区で勝ったのは4区の小沢氏だけ。1993年に自民党を離れて以来、県内の衆院選で小沢氏が系列候補の複数議席を獲得できなかったのは今回が初めてだ。
 民主党分裂まで小沢氏と行動を共にした渡辺幸貫党県連代表代行は「候補者擁立のやり方も、政治家を育てるのではなく、選挙受けばかりを考えている」と批判。「どんどん党を変わる。作り屋だか壊し屋だか分からない」と語った。
 河北新報2012年12月18日火曜日
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落日 小沢王国-いわての審判(中)崩された牙城/被災地離反、予想以上
◎旧地盤への「刺客」惨敗
<異例のお国入り>
 三十数年ぶりのたすき姿だった。「王国」の主(あるじ)が地元の岩手4区でマイクを握った。選挙区の首長や系列地方議員が横に並ぶ。
 「本当に長い間支援いただき、まだご恩返しもできずに申し訳ないが、郷里や国民のため、この一命をささげて頑張る」
 選挙戦最終日の15日、北上市であった日本未来の党前議員小沢一郎氏の街頭演説。異例のお国入りに危機感がにじんだ。
 小沢氏は15選を果たしたが、得票は約7万8000票。1996年の小選挙区制導入以来、初めて10万票を割り込み、60%前後を誇った得票率も約45%にとどまった。後援会連合会の小笠原直敏会長は「これまでと空気が違い、大変な圧力があった」と振り返る。
 「小沢離れ」の予兆を肌で感じた後援会関係者は、少なくなかった。
 奥州市前沢区の女性は「個人演説会に誘っても、つれない返事で来てくれなかった」と漏らす。同市江刺区の男性幹部によると、選挙用はがきの推薦人名の掲載を断られる例も相次いだ。
 前回衆院選後、小沢氏を取り巻く環境は激変した。陸山会事件で強制起訴(無罪確定)されたり、二大政党制を実現しながら自ら離党したりした。後援会幹部は「期待が薄れ、『何とか支えよう』というムードが弱まった」と指摘する。
<「呪縛が解けた」>
 強固な後援会組織を武器に、鉄壁の地盤を築いた小沢氏。そこに今回、仲間だった民主党が候補者を擁立し、くさびを打った。比例代表で復活当選した自民党候補の29歳という「若さ」も有権者には新鮮だった。「小沢氏の呪縛が解けた」と、ある民主党県議は語る。
 中選挙区時代の小沢氏の地盤とほぼ重なる岩手3区。たもとを分かった民主党の黄川田徹氏への「刺客」に、小沢氏と政治行動をともにした元衆院議員菅原喜重郎氏の次女佐藤奈保美氏を立てたが、惨敗した。
 小沢氏は秘書を投入し、かつての有力支持者を足掛かりに黄川田氏の地盤の切り崩しを図った。自らも選挙戦終盤にてこ入れした。佐藤氏は地元の一関市など内陸部ではわずかに黄川田氏の得票を上回ったが、沿岸部では大差をつけられた。
 勝敗の鍵となったのは「震災」だ。家族を亡くした黄川田氏は「政局よりも復興」と繰り返し、ほとんど被災地入りしてこなかった小沢氏との違いを強調。「黄川田さんを落としたら、被災地の恥だ」(野田武則釜石市長)と、沿岸首長も相次いで援護射撃した。
 黄川田氏が初当選したのは2000年。小沢氏の強力な後押しが原動力となった。それから4期12年。小沢氏系列の参院議員の地元で、一定の影響力が残っているとみられていた大船渡市でも倍以上の得票差がついた。 「岩手県南は小沢先生の金城湯池だと思っていたが、違った」。佐藤氏の陣営幹部は疲れ切った表情でつぶやいた。
河北新報2012年12月19日水曜日
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落日 小沢王国-いわての審判(下)激戦の余波/後援会組織、真っ二つ
◎「次は参院選」幹部強調
<「ついていけぬ」>
 「家庭を壊すような強引なやり方には、ついていけない」
 達増拓也岩手県知事の妻、陽子氏が岩手1区から出馬表明した翌日の今月1日。後援会の緊急会合で、ある幹部から痛烈な身内批判が飛び出した。
 矛先は、知事や陽子氏というより、知事の妻というだけで立候補させた日本未来の党の小沢一郎氏(岩手4区)に向けられていた。
 対する民主党の候補は、衆院議員を4期務めた知事の後継、階猛氏。家族ぐるみの付き合いがあった達増、階両家。「悲しい選挙」(階氏)の始まりだった。
 支持層が重なる両陣営には、ほぼ同じ後援会員や紹介者の名簿があった。「(有力支持者の)名前を勝手に使われた」「名簿を盗まれた」。怪情報や感情的な中傷が飛び交った。
 自民党政治の打破を目指し共に歩んできた。階氏は1区で3選を果たしたが、陽子氏と票を食い合い、皮肉にも自民党候補の比例復活を容易にしてしまった。
 「どうして考えが近い者同士でいがみ合い、共通の敵を助けなくてはいけなかったのか」。達増後援会女性部の一人は疲れた様子で振り返った。
<巻き返しを誓う>
 陽子氏の落選が決まった16日深夜。選対幹事長の佐々木順一県議は、選挙事務所から引き揚げようとするスタッフらに声を掛けた。「夏の参院選でこの悔しさを晴らしましょう」
 単なる負け惜しみではなかった。比例代表で見ると、未来の県内得票数は約14万4000票で、1位の自民党に約6000票差まで肉薄。県内4選挙区を合わせた得票数は約22万6000票で、逆に自民を上回った。 小沢氏の地元、4区の後援会幹部は「来夏の参院選に向けた足掛かりができた。(空白区だった)1、3区に候補を擁立できなければ、参院選はまるっきりめどが立たなかった」と語る。
 岩手選挙区で改選期を迎えるのは、小沢氏とたもとを分かった民主党の平野達男氏。復興相を務め、高い知名度で未来の前に立ちふさがる。
 この後援会幹部は「衆院選の結果だけで、小沢先生の政局観が衰えたと結論を下さない方がいい。戦いはまだ続くんだ」と巻き返しを誓う。
 小沢氏を支援する経済人の団体「欅(けやき)の会」の幹部も小沢氏の復活を信じて疑わない。「『小沢は終わった』と離れていった支持者は、先生の理念を理解できなかっただけだ」と語気を強める。
 将来の首相候補として期待を集めてきた小沢氏。その存在感は強力な求心力でもあり、時に分裂の原因にもなった。
 達増後援会の一人は1区で繰り広げられた同門対決を振り返り、つぶやいた。
 「小沢さんへの評価で、後援会が二つに割れた。また一つになれるとしたら、小沢さんの力が本当になくなったときなのかもしれない」
河北新報2012年12月20日木曜日
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