産経ニュース2009.7.3 15:20
《茨城県土浦市で昨年3月、通行人ら8人が殺傷された事件などで殺人と殺人未遂などの罪に問われた金川真大(まさひろ)被告(25)に対する第5回公判が3日午後1時半、水戸地裁(鈴嶋晋一裁判長)210号法廷で開廷した。JR常磐線荒川沖駅構内で金川被告に刺されて亡くなった会社員、山上高広さん=当時(27)=の父親、明雄さんが意見陳述を行ったほか、土浦市内の自宅で刺殺された無職、三浦芳一さん=当時(72)=の遺族ら3人の意見陳述書が読み上げられた》
《6月19日の前回公判では、検察側の証人として、捜査段階で金川被告の精神鑑定を行った筑波大の佐藤親次准教授に対する尋問が行われた。佐藤准教授は金川被告を「自己愛性人格障害がある」としながらも、「刑事責任能力はある」と断言。「統合失調症の初期の特徴がみられる」として情状面に訴えたい弁護側との激しいせめぎ合いが続いた》
《金川被告は4カ月に渡る精神鑑定の過程で13回、問診を受けた佐藤准教授に対し、一定の信頼感や安心感を持っている様子がうかがわれた。佐藤准教授は検察官や弁護人からの尋問に受け答える合間、頻繁に金川被告の方に顔を向け、金川被告も笑顔を見せる場面が何度もみられたのだ。6月3日に行われた第2回公判で、実の父親が弁護側の証人として証言台に立った際の無関心な様子とは対照的な印象だった。法廷で被害者遺族と相対する金川被告はどのような表情を見せるのだろうか》
《開廷の直前、被害者遺族とみられる約10人が入廷し、着席するとすぐに金川被告が法廷に入ってきた。長めのスポーツ刈りに伸びたあごひげ。ぶかぶかのジャージーの短パンに、スニーカー用の短いソックス、Tシャツ姿の金川被告は実際の年齢よりも幼い感じだ》
《明雄さんが裁判長に促され、証言台の前に座った》
裁判長「山上明雄さんですね。今日は書面を用意してきましたか」
明雄さん「はい。あの、公判前と公判を聞いてからの二つあるんですけれども…」
裁判長「どうぞ」
《遺族が書面を読み上げ始めた》
明雄さん「私たち家族は3月23日を忘れない。なぜ高広が殺されなければならなかったのかと。高広には夢や希望もあった。結婚して、孫もできて、孫の面倒を見ること。それもかなわぬ夢となってしまいました。なぜ、このような凶悪事件が家族に降りかかってくるのか、何の落ち度もない人を殺さなければなかったのか、遺族の悲しみは癒えることはありません。被告は死刑になったら終わりだが、遺族には終わりがない」
「最近『誰でもよかった殺人』が多すぎるように思います。金川は家族や家庭環境のせいにせず、自分の責任で罪を償ってほしいです。金川は善悪の判断ができます。精神不安定ではありません。金川に対して極刑を望みます」
《遺族は裁判を傍聴して感じた金川被告に対する印象を続けた》
明雄さん「感じたのは、金川の両親は、子供たちの育て方や教育を間違えた。キャッチボールに例えるならば、両親は子供たちに向かって後ろ向きでボール投げて、子供たちがボールをキャッチして投げ返しても、後ろ向きだから受け取れなかったのではないでしょうか」
「子供たちは寂しかったと思います。それで、自己中心的になって自分たちの殻に閉じこもってしまったのだと思います。両親の愛情を知らずに育ったので、家族や友人とのきずながなくなってしまったのではないでしょうか。今回の事件は金川の責任もあるが、私は最大の原因は両親にもあると思います。両親にも罪を下せるならば、両親にも下したいと思います」
《明雄さんは金川被告のみならず、両親をも断罪した。遺族は裁判長に書面を提出すると傍聴席に戻った》
《JR荒川沖駅構内で刺殺された山上高広さんの父親の意見陳述が終わったあと、検察側はさらに遺族からの3通の意見陳述書を裁判所に提出した。受け取った鈴嶋晋一裁判長は、遺族の苦しみがつづられた書面を読み上げ始めた》
《3通の陳述書は、山上高広さんの母親、光子さんと土浦市内の民家で文化包丁で刺殺された三浦芳一さん=当時(72)=の妻、ふさ子さん、次女がそれぞれ記したものだった》
裁判長「息子は当時27歳で、会社員としてたのもしくなっており、これからが楽しみでした。そんな息子を見ていて幸せでした。金川に会わなければ、こんな不幸にはならなかったと思います。もし生きていれば、友達とも遊びたかっただろうし、結婚もしたかったと思います」
《鈴嶋裁判長は息子の無念さを思いやる母親の心境をやや早口で読み上げたあと、事件後の遺族の苦しみがつづられた部分に移った》
裁判長「事件後は、地獄に突き落とされ、現実を受け入れることができませんでした。無気力で何もできず、お風呂のときも、家事をしているときも涙が止まりませんでした」
「これから、重い悲しみを一生背負っていかなければならないのです。遺族としては、うわべだけの謝罪はしてほしくないのです」
「残虐な犯行を到底許すことはできません。極刑を望みます。上告(控訴)しないで刑に服してほしいです。遺族としては一人一人が命を大切にし、再び今回のような犯行がないよう望んでいます」
《続いて、鈴嶋裁判長は三浦さんの妻の意見陳述書を読み上げた》
裁判長「事件のあった3月19日でおだやかな生き方が変わりました。主人は45年間、地域や社会でまじめに生きてきました」
「毎日、血圧を測り、パソコンに入力し、まだ長生きしたいと言っていました。家事も進んでやってくれて、たのもしかったです」
「自分勝手で、死刑を願望する金川被告に主人は命を奪われました。本当に許せません。やさしい感情が少しでもあったなら、こんな事件を行うはずはありません」
「大事な人を突然失い、心に大きな穴があき、力が抜け、何もできません。不意の訪問にもおびえ、外出するのも怖いです」
《鈴嶋裁判長はこのあと、遺族に残る“後遺症”に触れた》
裁判長「月日がたっても忘れられません。一生癒えることのない悲しみを背負って生きており、毎日手をあわせています。殺すのは誰でも良かったという被告に対して、死刑を望みます」
《続いて、三浦さんの次女の読み上げに移る。金川被告は無表情のままだが、何かを言いたそうにも、我慢しているようにもみえた》
裁判長「(金川被告には)人の痛みを感じてほしいと思っていましたが、一方で、それも無理かと思っています。父は家族を守ってくれ、父がいたことで安心して暮らせました。けんかもありましたが、悩みも聞いてくれて、ささやかながら幸せな生活をおくっていました」
「まじめに生きてきて、なぜこんなむごいことになるのでしょうか。父はもう二度と帰ってきません。父は母と行きたいところもあったと思います。極刑を望みます」
《鈴嶋裁判長の読み上げが終了した。ほぼ満員となった傍聴席は、静まりかえっていた。金川被告は無表情でずっと前を向いたままだった》
《6月19日の前回公判では、金川真大被告について、「刑事責任能力あり」と診断した筑波大の佐藤親次准教授の精神鑑定結果について、検察側と弁護側の激しいせめぎ合いが繰り広げられた。今回の第5回公判では、弁護側が、検察側がすでに証拠として裁判所に提出している精神鑑定書以外の要約版と158ページに及ぶ詳細版を証拠採用するよう、鈴嶋晋一裁判長に求めた。しかし、検察側は「必要性はない」として弁護側の要求に反論した》
弁護人「われわれが精神鑑定書の要約版と詳細版の証拠採用を請求する理由は、結局、佐藤先生のオリジナル、つまり、当初の鑑定の経緯として残っている内容が158ページにも及ぶ鑑定書(詳細版)だと思っているからです。佐藤先生への証人尋問で、検察官の(金川被告に責任能力があるとする)立証は十分されました。私たちはその点を争っているので、争う部分として当然、証拠として請求するわけであります。裁判官にもぜひ、証拠として見てもらいたいのです。われわれが請求した証拠を全部、みてもらって裁判官が判断されるのがいいだろうと思います」
《弁護側はさらに証拠請求の理由を力説する》
弁護人「まず、2枚綴りのもの(要約版)には、はっきりと『(金川被告に)精神科治療が必要』と書いてあります。『責任能力に疑問』とするわれわれの主張を支えるものであります。158枚綴りの鑑定書(詳細版)には具体的な心理検査の結果や結果の分析が記されています。被告と佐藤先生の問診のやり取りも記されています。その中で、通常の精神状態の人がこういう台詞を吐くであろうか、という内容も出てきます。158枚の記載に相当する情報を佐藤先生が公判の証言で伝えるのは客観的に不可能だと思います。裁判所は真実を明らかにする場所です。せっかくあるものを証拠として採用して何が悪いのでしょうか!」
《別の弁護人はさらに、佐藤准教授が診断を「迷っていた」と指摘。鈴嶋裁判長に強く証拠採用を迫った。裁判長は検察官に詳細版を手渡すよう求めると、検察官はぶ然とした表情で詳細版を裁判長に渡した》
裁判長「採否の決定は次回以降にしたいと思います。検察官は何かありますか」
検察官「ありません…」
《裁判長はここで、次回以降の期日を9月3日と9月18日と告げた》
裁判官「金川被告は分かりましたか」
《金川被告は裁判長の方に一瞬だけ顔を向けた後、固い表情のまま立ち上がった。「バターン」。その瞬間、法廷に大きな音が鳴り響いた。被告人席の机は、前方に倒されていた。傍聴席には半分以上の人が残っていたが、あまりの音の大きさに驚き、何が起こったのか分からなかった。刑務官があわてて金川被告に近づいて制止すると、金川被告は暴れることもなく、素直に刑務官に腰縄を付けられた。その後、表情一つ変えず、法廷を後にした》
《すでに事件発生から約1年3カ月が経過。6月3日の被告人質問でも「ダラダラと長い時間が過ぎている」と話し、死刑判決を望んでいる金川被告。次回公判が2カ月も先になったことに、“逆ギレ”したのだろうか。スチールと木製のがっちりとした机は、よほどの力でなければ押し倒すことができなさそうに見える。定位置にもどされた机の脚の脇には、壊れて外れてしまった車輪が一つ、転がっていた》
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/75b44de8c93f6662e8c68013d67dea29