どんな理由でも命を狙って社会に恐怖を与える行為はテロであって、絶対に許されない

2007-04-19 | 社会

中日春秋 2007年4月19日

 「『人間は、いったい何をしているのか』。被爆から六十一年目を迎えた今ここ長崎では怒りといら立ちの声が渦巻いています」。昨年八月九日の長崎の平和宣言だ▼これを式典で読み上げ、核廃絶の進まない現実に強い怒りを示したのが、市長の伊藤一長(いっちょう)さんだった。前に核兵器の違法性を審理したオランダ・ハーグの国際司法裁判所では「核兵器は国際法違反」と陳述し、米国では黒こげの少年の写真を示して「長崎を最後の被爆地に」と訴えた▼一方で「寝ても覚めても古里のことを考える『長崎ばか』なんです」。十二年前の初当選の際の言葉だ(西日本新聞)。そんな地元への思いも、核廃絶の悲願も、命とともに吹き飛ばされた。平和を問う地の、それも選挙運動中の銃撃。過去には本島等市長も撃たれており、二重三重の衝撃である▼凶弾の標的は伊藤さんの命だけではない。民主主義、治安、そして話し合いで解決するという人間社会の当然のルールも、だろう。米国の大学乱射で、昨日の小欄は「米国の根深い悲劇」と結んだ。それがもう遠い国の話では済まされないような事件。暴力に走らせる根深いものが日本にもあるのかと暗然とする▼昨年、加藤紘一衆院議員の地元事務所が放火された。前には岐阜県御嵩町の柳川喜郎町長が襲われた。今回の男は「市とのトラブル」を供述したが、どんな理由でも命を狙って社会に恐怖を与える行為はテロであって、絶対に許されない▼伊藤さんが世界に訴えた長崎の怒り。いま新たな長崎の怒りを、多くの人とともに胸に刻む。


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