【正論】グルジア危機 日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一
産経ニュース2008.9.12 03:07
■ロシアの行動の本質的な意味
今回のロシア・グルジア紛争について「その原因はNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大にあり、ロシアの行動は勢力圏防衛のため必要だった」、あるいは「民族自決原則と内政不干渉原則の優先順位を決められない国際社会にも責任がある」などと述べて、ロシアの行動を正当化しようとする主張があるが、私は同意できない。
NATOの東方拡大について言えば、それを求めたのはかつてロシアの抑圧に呻吟(しんぎん)した中東欧諸国であり、NATO側ではない。ルーマニアのNATO加盟実現のため奔走した同国のパシュク前国防相は「これでルーマニアは歴史上初めて真の安全保障を得た」と、私にその安堵(あんど)感を漏らしていた。中東欧諸国がどこの国と同盟するかは、これら諸国の主権的決定事項であり、ロシアの指図すべきことではない。「勢力圏」という発想自体が、もはや受け入れられない。
民族自決と内政不干渉の両原則の優先順位という問題はあるが、だからといって、今回のロシアの行動が正当化されるものではない。今回の事件の本質的な意味は、別のところにあるからである。
≪「暴力」依存の権力基盤≫
実は私は今回のロシアの行動を予想していた。帝政時代から旧ソ連時代を通じて一貫するロシア国家の本質を「力治国家」ととらえる私は、プーチン前政権のこの本質への回帰の危険性を感知していたからである。プーチン政権発足直後の2000年8月にロシアを訪ねた私は「プーチン大統領は今後10年、20年の長期にわたり新生ロシアの建設を指導することになり、ピョートル大帝やスターリンに匹敵するロシア史上の建設者としての位置を占めることになろう」(『諸君!』)と予言した。この予言はその後ピタリと的中したが、その根拠は、プーチンが「暴力」依存の権力基盤を構築しつつあり、それがロシアの伝統的な政治文化である「力治国家」体制に適合すると判断したからであった。
「力治」の担い手は、その後「シラビキ」(武闘派)と呼ばれるようになった政治秘密警察権力であって、早くも私の予言の3年後には、ホドルコフスキー社長を逮捕して、ユコス社を解体に追い込んだ。無限定の絶対権力を行使する政治秘密警察の「力治」こそは、ピョートル大帝やスターリン以来のロシアの内政構造であり、それが対外的に投射されて、ロシア外交となるのであった。
今回のロシアの軍事行動は、まずグルジアの初動を挑発して、自らは被害者救済の立場を装うなど、事前に周到に用意された作戦であった。それは満鉄線を自ら爆破しておきながら、中国側の暴発であるとして、一挙に全満州の制圧に動いた旧日本軍の満州事変を想起させた。ロシアによる南オセチア、アブハジアの「独立承認」は実質的に「併合」であり、その本質は1990年のイラクのクウェート侵攻と異ならない。それが今回のロシアのグルジア侵攻の真の意味である。
≪冷戦の敗北から学ばない≫
では、ロシアの志向する大戦略の目的はなにか。それは、ロシア国家の「力治」性を抜きにしては語れない。ロシアが世界エネルギー市場の支配をめざしていることは疑いないが、問題は、市場外の力を動員して目的を達成しようとすることである。ユコス社を解体して国内エネルギー産業を国家統制するだけでなく、グルジアに侵攻して中央アジアなどの石油・天然ガスのパイプラインを独占しようとする。今回、国際社会が抱え込んだ新しい問題とは、ポスト冷戦期の安全保障の脅威である「ならず者国家」がロシアのような大国である場合には、どのように対応すべきか、という問題であろう。この対応は慎重の上にも慎重ならざるを得ないが、幸いなることに、われわれには「冷戦時代」の成功体験がある。
「力治国家」ロシアは、「冷戦」の敗北から何ものも学ばなかったのだろうか。国際社会は、武力行使による現状変更を絶対に認めないとの原則的立場に立って、(ロシアがその姿勢を変えないのであれば)ロシアとの関係の根本的な見直しに着手すべきである。ロシアが「新冷戦を恐れない」と言う以上、国際社会がそれを恐れていては問題はなにも解決せず、事態はかえって悪化するのみだからである。しかしその対決は、あくまでも「冷戦」のレベルにとどめ、「熱戦」に発展する可能性については十分に慎重であるべきであろう。最終的に「冷戦」だけで大目的を達成できることは、すでに歴史が証明している。(いとう けんいち)